4.絶対に解き明かす

 蒼の助けによって危機を脱したのち、京介と蒼はひとまず帰宅しようということになり、記憶喪失だという田中を連れて帰路についた。

 京介が死ぬほど帰り着きたかった2DKの安アパート。ダイニングのソファーに腰を下ろした蒼は不機嫌そうに眉をしかめ、カーペットの上で気まずそうにしているでろでろの物体を指さした。

「まず情報収集の整理をしましょう。俺が知りたいのはコイツ。何ですか、コレ?」


 蒼は京介が高校時代に知り合った1つ下の後輩に当たる。かなりの美形で背も高い。頭が良く、今は隣町の大学に通っている。持ち前の顔の良さで女子からの人気も非常に高く、1つ上の学年、かつ、当時学校をサボりがちだった京介でさえ、彼のうわさは聞き及んでいた。

 女子たちが彼の追っかけをするために親衛隊を組んでいた、とか、入学2日目で下駄箱にラブレターを入れられた、とか、彼のモテモテエピソードを思い返すとキリがない。親衛隊云々について、蒼本人は全く身に覚えのない話だと吐き捨てていたが、どうやらラブレターは実話らしい。彼は興味がないから、と、もらった手紙を捨ててしまったようだが。

 しかし、そういうエピソードとは裏腹に、蒼自身は他者と関わることを好んではおらず、特に知らない相手に対しては露骨に嫌な顔をするきらいがある。京介と初めて出会った時も、今田中にやっているような、面倒くさそうな表情を浮かべていたものだ。


 機嫌の悪さを隠す気さえない蒼にたじろぎながらも、田中は精一杯の笑顔を浮かべつつ口を開いた。

「わたしは愛らしい怪物だ。記憶がないから詳しい自己紹介はできないが、少なくともお前たちの敵ではないぞ。お前たちを害するつもりはない」

 田中を小馬鹿にしたように蒼は鼻で笑った。

「どうだか」

 一連のやり取りを聞き、田中を哀れに思った京介はキッチンで湯を沸かしながら声をかけた。

「まぁまぁ蒼ちゃん、そんな怒んないで仲良くしたげてよ」

 蒼は初対面の他人が目の前にいるということだけでなく、土足で家に上がり込んでいることも気に入らないのだろう。田中は靴を履く必要はなさそうだから、土足と表現するのは誤りかもしれないが。


 蒼はとにかく内と外の切り替えが激しいタイプで、家では基本的にルーズだ。数年前に買っった、ウエストの伸びきったスウェットを、数日間着回して洗濯させてくれないとか、暖房や電気をつけっぱなしのまま床で寝ているなんて日常茶飯事だし、面倒くさがって電話やインターホンを無視するなんてのもザラだ。

 彼にとって、この家はどんなにだらけても大丈夫な空間と定義されているのだ。そんな場所に、知らない他人が上がりこんでくることが許せないのだろう。


 なだめるように間に割って入った京介に、蒼は不満そうな声を上げる。

「先輩はこんな意味不明なヤツ信用できますか?」

「いやー、俺も最初はビビったけど…、悪いヤツじゃなさそうだし」

 蒼の言うことも一理ある。常識の及ばない怪異に巻き込まれてしまった今、どこに脅威が潜んでいるかわからないのだ。蒼が突然現れた田中を警戒するのはなんらおかしなことではない。一連の怪異の発生とともに、田中は自分たちの前に現れているし、彼は少なくとも怪異と無関係であるはずはないのだ。

まぁ、俺も最初はびっくりして転んじゃったしね。


 田中の姿に驚いて転倒したことを思い出し、京介はひとりでに苦笑しながら、2つのマグカップにインスタントコーヒーの粉末を入れる。

そういえば田中さんってコーヒー飲むのかなぁ。

 京介は手を止める。

まぁいらないって言われたら俺が飲めばいいか。

 そう思いなおしてカップに湯を注いだ。


「わたしは田中さんだ。京介がそう名付けた。お前は」

 田中がおもむろに口を開いた。京介にしたのと同じように、蒼との友好の糸口を探っているのだろう。ところで、田中さんというのは適当に思いついた名前だが、親しみやすくて結構いいんじゃないだろうか。

「…」

 蒼は返事をしない。彼の返事を待ちながら、スプーンでカップの中身をかきまぜ、粉末を湯に溶かしていく。慣れ親しんだコーヒーの香りが湯気とともに京介を包み込んだ。胸につかえていたものがすっとほどけていくような安心感を覚える。穏やかに波打つ2つのマグカップを手に取り、2人の方を振り返る。

「蒼ちゃん」

 催促するように声をかけつつ、テーブルにマグカップを並べる。床に座っている関係上、田中はテーブルに手が届きにくそうだと判断し、直接カップを手渡した。

 田中はマグカップを左右の触手で器用に掴み、感謝の意を述べる。おそらく口元にあたる位置にカップのフチを当てると、それを傾けて中の飲料をからだの中に流し込んでいった。どうやらものを飲むことは可能らしい。

 田中はコーヒーを一口飲んだあと、マグカップを触手で、いや、両手で抱え込みながら蒼の顔をじっと見つめた。度重なる催促に耐えられなくなったのか、蒼はバツが悪そうに視線をそらしてそっぽを向いた。

「……戸木蒼」

 ぼそりとつぶやくように名を名乗る。

「なるほど、いい名前じゃないか」

 田中は表情を明るくする。


 蒼は知らない相手に対して無愛想に接するが、決してイヤなヤツではない。ただちょっと人見知りするだけだ。少なくとも自分はそう考えている。田中が懸命に蒼と仲良くしようとするそぶりを見せている以上、そのうち仲良くなれるだろう。


 照れ隠しなのか、蒼はわざとらしく咳ばらいをしてみせる。

「じゃあ話を戻します。さっきのバケモンは何ですか。そもそも外で何があったんです」

 あー、それね。と相づちをうちながら、テーブルをはさんで蒼と向き合うようにカーペットの上に腰を下ろす。京介の定位置だ。いつもここで食事をするし、意味もなくスマホを触って時間を無為に過ごしたりもする。


「俺もよくわかってないから、うまく説明できるかわかんないんだけど」

 ちょうどいい機会だと思い、京介は外で見たことを語り始める。情報の共有は必須である。意味不明な事態が起こっているのだから、互いに協力ができるように態勢を整えなければならない。


 この町から自分たち以外の人間が忽然と消えてしまったこと、謎の赤い壁、田中との遭遇や突然地面から這い出してきた奇妙なバケモノ。自分が直接見たものでなければ、到底信じられないような奇怪な事実。

 もし蒼ではない誰かにこのようなことを伝えなければならないのであれば、京介はかなり躊躇する。こんなこと、誰も信じてくれないのは明白だ。ウソをついているか、頭がおかしくなったと思われて終わりだろう。だが京介にとって、蒼はそんなことを気にしなければならない相手ではなかった。蒼は京介を疑わない。京介も蒼を信じる。それは2人の間に築かれた堅牢な理であり、決して瓦解することのない繋がりに裏打ちされた確実性である。


 蒼はすべてを黙って聞いていた。時折、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべることはあっても、目の前の京介に疑いの目を向けることは一切なかった。複数の奇妙な出来事を一通り聞かされた蒼はため息をつく。ため息をつくのは蒼のクセだ。それを傍でずっと見ていたから、京介もよくため息をつく。胸のつかえを吐き出せるような気がするから、ため息も案外悪いものではない。


「誰もいなくなってしまったこと、通せんぼする赤い壁、変なバケモン。まぁ全部関係があるんでしょうね。これだけ奇妙なことが同じ時期に起こっている。無関係とは思えない」

 淡々とそう述べた彼に対し、京介は同意を示す。

「そうだよなぁ。俺は昨日結構遅く帰って来たけど、えぇっと、夜の11時くらいだったかな」

 昨日のことを思い出そうと記憶をたぐろうとした京介に、蒼はボソリとつぶやく。

「23時39分」

「そうそう、そんくらいに帰って来た」

 京介の帰宅時間をぴしゃりと、分刻みで言い放った蒼に対し、田中がプルプルとからだを震わせた。

「こ、細かすぎないか?」

 蒼の中の執念を感じさせるような細かさに気圧されたらしい田中に対して、京介はにっと笑った。

「蒼ちゃんは頭がいいから」

 京介は話を続ける。

「で、その23時に俺が帰って来たときはフツーに人歩いてたよ。もちろんあんな壁もなかった」

「なら昨日の23時から今朝の8時までの間に何かしらの異変が起こった。俺はそう考えますよ」

「俺もそう思うなぁ」

 京介は頷き、そのまま話を続けた。

「人がいなくなったことに関してはマジで誰もいねぇじゃん、の一言に尽きるんだけど、気になるのはあの壁かな」


 足を組み、テーブルに肘をつく。6車線全てを塞いでしまうほどの規模を持ったあの赤い壁を思い返した。

 硬い壁の表面を縦横無尽に走るなんとも言い難い幾重もの線。それが生み出す不吉な模様がはっきりと脳裏に焼き付いている。書けと言われたら書けるかもしれない。


「なにでできてんのかはわかんないけど、とにかくすっごいデカかったの。頑張って押しても動かなかったし。で、俺が気になったのはその壁の模様だね」

 京介は壁についての所感を述べる。あの壁の模様はやけに不吉で、見ていると不安になるような禍々しさをもっていた。だが大事なのはそこじゃない。

「壁全体にキレーに彫り込まれてたんだよ。いろんな線とかがさぁ。あれは絶対に人の手が加わってできたものでしょ!」

 人の手。それを聞いた蒼はその意味するところを察知し、端正な顔つきの中に鋭さをにじませた。対象的に、田中は目を真ん丸に見開くと、おずおずと疑問を呈する。

「あの壁が人工物であるというのであれば、もしやすべてが人の手によって仕組まれたということか?」

 いや、と蒼が口を開いた。

「まだ断定できない。情報が足りない」


 田中が言ったように、これらすべては誰かの仕業によるものなのではないかと京介は感じていた。物事が起こるには必ずなにかのきっかけが必要だ。ひとりでにぽっと湧き出すことはない。あの壁だってそうだ。何のきっかけもなく突然現れたとは思えない。

 あの壁は明らかに人の手が加わってできた形をしているのだから、そのきっかけは人によるものだと考えるのは当然の帰結である。人の手であんなものを作り出せるか? と聞かれれば答えに窮するが。


「6車線の道路を完全に封鎖しちゃうくらいデカかったんだけど、継ぎ目とかは見当たらなかったね。小分けにして作ったものを繋ぎ合わせた感じじゃなかった」

「そんなに大きいものを作ってたった一晩で配置っていうのも、なかなか現実的ではないですね」

 蒼は空っぽになったマグカップをテーブルに置いた。

「人が消えているというのも不可解です。町の人間が俺たちを残してごっそりいなくなるなんて普通じゃない」


 京介の脳裏に空っぽの町並みがよぎった。見慣れた町の風景の中に人がいないだけで、こんなにも恐怖をかき立てられるものなのか。あの空虚な感じを思い出しただけでも背筋に悪寒が走る。蒼や田中がいてくれてよかった。心底そう思う。


 あれは本当に、ただ誰もいないだけの光景だった。

 職業柄、たいていの人間が寝静まった夜分遅くに帰宅することは珍しいことではない。

 だからこそ、人気のない場所を街灯の明かりだけを頼りに歩くのには慣れていた。想像力をかき立てるような闇夜に、いちいち恐怖心を抱くようなタチではない。

 だがどういうわけか、京介が見たあの光景は、彼自身にとってひどく恐ろしいものに感じられたのだ。ただ、誰もいないだけの風景に恐ろしさを感じていることが少し恥ずかしい。もちろん、蒼は恐ろしいという感情を隠したくなるような相手ではないし、みっともない姿を見せることをためらうような間柄ではない。が、自分の中に生じた恐怖と恥ずかしさそのものをごまかすために、京介は冗談めかした口調でわざと的外れなことを口に出す。

「みんながみんな足並みそろえて町の外にお引越し、ってのはありえないか」

 はにかむ京介に対して、田中は意外なものを見るような目つきを浮かべる。

「いや、京介、それはちょっとありえなくないか」

 田中のマグカップは空になっていた。冗談だって、と笑いながら、京介は田中の手に握られたマグカップと、テーブルの上に置かれたもう1つを手に取り、キッチンのシンクに運ぶ。

 田中にはもっと馴染みやすい冗談の方がウケるかもしれない。


 京介が席を離れたあたりで、蒼は田中に目を向けた。

「田中、でしたっけ、コイツはどうかわからないですけど、俺たち2人だけが取り残されているってのも気になりますね。」

 たしかに、田中が相槌を打った。

「言われてみればそうだな。わたしと違って、お前たちはずっとこの町にいたんだろう。なぜお前たちだけが残ったのかは、気に留めておかなければならない疑問だな」

 言われてみればそうだよな。京介は思案を巡らせながら、スポンジを手に取った。食器用の洗剤を少し垂らし、数回握って泡立てる。


 誰もかもが消えた町の中で唯一、自分と蒼だけが取り残された。そこにどんな意味があるのか。どんな法則があったのか。いつ、どんな方法で、どんな理由で人が消えたのかわからない以上、予想することしかできないのだが。

「そもそも、町の人たちが移動したのか、文字通り消えてしまったのかさえ今は判断がつかない。わからないことが多すぎる」


消えた、ねぇ。

 マグカップを手に取り、スポンジで擦る。数年間使い続けたコップの底には、いつできたのかわからない小さなひび割れが横たわっている。

 人がそっくりそのまま、忽然と消えるなんてあり得ないことだ。だが、全員が全員、どこかにまとまって移動することもありえない。この町に、住民の全てが隠れることができる場所なんてないし、彼らが自発的に移動をしたのであれば、自分や蒼がそれに気が付かないはずはない。


 住民にとって代わるように現れたあのヒルのような怪物のことも気になる。

 生き物というにはためらうほどの冒涜的な姿がふいに脳裏を過ぎり、泡だらけのマグカップを握る手に力がこもる。

「なんかさぁ、人にしろ壁にしろ怪物にしろ、全部が非現実的なんだよな。人がそのまま消える、なんてありえないことだけど、どう考えても消えてるようにしか見えないし、あの壁だってあんなにデカイのに急にパッと出てきた感じがするじゃん。あの怪物も、意味わかんねー見た目してて地面から湧いて出てきたんだぜ」

 京介は下唇を尖らせる。

「こういう言い方すると恥ずかしいんだけど、こう、ファンタジー的な、いわゆる魔法みたいなありえない力が働いててありえないことがおきてたり…」


 ファンタジー。理屈では説明できないものごと。一連の怪異を京介はそう解釈したのだ。どう考えてもすべては理屈で説明できることではない。

 大勢の人間が消える。大きな物体、それも、人の手が加わっていそうなものが突然現れる。怪物としか思えないようななにかが大手を振って歩いている。どう考えてもファンタジーだ。京介は自らの回答にどこか確信めいたものを感じていた。が、いい年して突然『魔法』だなんて非科学的な単語を口走ることには抵抗を感じざるをえなかった。まるでサンタさんを信じていることをからかわれたような居心地の悪さを感じ、すべてを言い切ることができずひとりでにもごもごと口ごもってしまう。

 雰囲気をごまかすために意味もなく水道の蛇口を思いっきりひねり、勢いよく水を出してマグカップの泡をすすぐ。

 やっぱり、怪異という言い方の方がよかったかもしれない。そっちの方が恥ずかしくなかったはずだ。

 ただあり得ないことに巻き込まれているという認識を伝えたかっただけなのだが、大やけどをしてしまった気がする。


 蛇口から流れ落ちる水が、無遠慮に激しい音を立てている中で、蒼が口を開いた。

「あながちファンタジーじゃないとも言いきれないですね。あのバケモンや田中の姿思い出してくださいよ。これがファンタジーじゃなかったらなんだと言うんですか」

「まぁ、確かに…」

 ふいに白羽の矢が立った田中は、やや気まずそうな顔をしてプルプルとからだを揺らす。

 確かに、その姿は人間とかけ離れている。一目でわかることだ。彼とあの怪物を同列に扱うことは気が引けるが、異形の姿をした怪物という点では、田中もヒルも、自分たちを巻き込んだファンタジーの証拠そのものである。

「ファンタジー、だよなぁ」

 はぁ、今度は京介がため息をついた。

「まぁ、結論を述べるのならば、現状ではなにもわからない、ってことですかね。すべてがありえない力で起こっている可能性が高い。もしかすると、すべては人為的に引き起こされた怪異なのかもしれない」


 蒼はおもむろに立ち上がるとキッチンに向かい、収納棚に乱雑にひっかけられた手を拭くためのタオルを手に取ると、そのまま京介に手渡した。なにもそのタオルは京介にとって手の届かない場所にかけられていたわけではない。蒼なりの気遣いなのだ。

 京介は礼を述べ、タオルを手に取った。濡れた手を拭き、タオルを元の場所に戻す。京介はにっと笑った。


蒼ちゃんは俺の友達だ。コイツとのこういう生活が楽しい。でも外はなんだかおかしなことになっている。このままだと普通の暮らしはできない。それはイヤだ。

 京介は啖呵を切った。

「そこも含めて謎を解いていくぞ。わかることを増やしていくんだ。おかしなこと全部解決して、全部元通りにしてやる!」

 ふむ、と田中が考え込むような声を出す。ふむ、と前置きしてしまうのは彼のクセなんだろうか。

 キッチンにいる2人を見上げながら、田中は決意を固める。

「わたしは…、わたしはお前たちの手助けをしよう。記憶を取り戻すことは重要だが、お前たちを助けることによって思い出すこともあるかもしれない」

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