23.負けたのはどっち?

 流は自らの目の前に液状の球体を出現させ、残った左手で球に触れる。上品なしぐさだ。寄り添うような手つき。球体は流の所作に反応し、細身の長剣に姿を変えた。


 真っ赤な血液を凍らせて、それを削って作ったような刃物。まるで芸術品のようだ。刀身や柄のあらゆる部分に不思議な装飾が施されている。趣味なんだろな。きっと


 刃物の長さだけを見れば、こちらの方が不利だろう。リーチの差が大きい。だったら先手必勝だ。

 京介は駆け出す。流の懐目掛けて突っ込んでいく。真っすぐに、星のように飛来する京介をいなすように、流は左手の長剣を振るった。小さな動作。それでも、剣という四肢の延長は大きな範囲を切り裂いた。


 杭を用いて、横からの一撃を塞ぐ。流はおそらく右利きだった。体格も華奢だし、正面からぶつかり合った場合は京介の力の方が勝るはずだ。

 京介は力任せに長剣を押し返す。全身の体重をかけて流の剣をはじき、その勢いを利用して回し蹴りを食らわせる。


 喧嘩は苦手じゃない。自慢になることではないが、そこそこ頼りになる方だと思う。

 京介の右足の踵が、長剣をはじかれたことでよろめく流の腹部にヒットする。

 確かな感触。当たる。大丈夫だ。昨日みたいに流体にはならない。


 ぐらつく流の心臓目掛けて杭を振るった。しかし、遅い。流は態勢を整えながら長剣を操り、その刀身で杭を防ぐ。


 金属と金属がぶつかり合って、鈍い音だけが響く。完全に防がれた。

 利き手でない方の手だけで、細身の人間がこうも力を出せるものなのか。かなりの力をぶつけたはずなのに、流は動じることなく、的確に防御した。


「なかなかやるじゃないの」

「お前こそ」

 再度、攻撃を加えようとして、京介は重心を後ろへとずらす。

 しかし、その動作を好機ととらえた流は、京介が振るう杭目掛けて長剣の刃を素早く叩き付ける。


 単純な力の差で言えば、京介の方が勝っている。しかし、力のある方が優れているわけではない。


 短刀越しに、強力な打撃が手元に伝わる。杭を手放してしまいそうだ。だがこれは生命線。これを手放したら、もう京介に勝ち目はない。


 流の強みはその素早さと、剣を扱う技量だ。普通に戦ったら敵わない。

 だが幸いにも、これは普通の戦いではない。

 こちらには杭がある。エーテルに対して凄まじい特攻を持った杭が。


 流からしてみれば、触れただけでとんでもないダメージを受けてしまう凶器を、何の心得もない素人が振り回しているのだ。容易に近づきたくはないだろう。その点では有利なのはこちら側だ。


 終わるわけにはいかないんだ。俺は負けない。絶対に勝つ。この脅威に打ち勝つ。俺の神様を守る。


 ひとえに、京介が啖呵を切ったのは自分のためだった。

 このまま流をただの敵だと見なしてぶつかっていたら、いつか自分は後悔する。

 そうはいかない。蒼を守ったことを、自分は後悔したくない。何をしたとしても、だ。


「クッソ」

 京介は後ろへ下がる。ぐらついた姿勢のままで接近戦はマズイ。流は京介が後退するのを見逃さず、一歩前へと踏み込んだ。素早くしなやかな身のこなし。それでも流は美しいままなのだから、恐ろしいことだ。

 美しい金色の髪、陶器のような白い肌、艶やかな赤い瞳、たおやかな口調、無駄のない華奢な肉体、手入れの行き届いた衣服、洗練された所作。同じ人間とは思えないほどの眩さに、そんなつもりはなくとも目が眩んでしまいそうになる。


 流の振るった長剣の切っ先が右の脇腹をわずかにかすめた。カッターの刃で擦ったような痛みが皮膚を切った。だが皮膚を切っただけだ。大した攻撃でない。


「1ダメージ、といったところかしら」

「たった1だぞ。まだ負けない」


 背後では田中が固唾を呑んで見守っていった。もはや、田中は一切の戦闘行為ができない。減りすぎてしまった。簡単に言えばMP切れといったところだ。いわゆる盾役として京介を守ることすら、もうできない。


 流を止めるためにここまで来たというのに、見ているだけとは。なんというザマ。

 しかし、田中に課された役割は流を殺した後にある。流を殺し、楔の権限を奪い、楔からの干渉を止める。これは田中の役目だ。

 こんなこと、京介にはさせられないからな。


 流が素早い一撃をたたき込む。京介はそれらことごとくを杭で受け止めて、はじいていく。人生のなかでつばぜり合いをすることになるなんて思わなかった。

「うまくいけば、俺たちは友達になれたかもしれないわ」

「無理だよ。俺はいつだってお前のことが嫌いだ」


 京介を狙って放たれた流の長剣が空を切る。チャンス。首ががら空きだ。喉笛目掛けて一歩踏み込み、がむしゃらに杭を振るう。

「流!」

 手に確かな手ごたえ。皮膚を切り、肉を断ち、血管を切り開く。むやみに相手の懐に突っ込んで攻撃、だなんて、疑う余地もなく捨て身の一撃なんじゃないのかな。

 なら、やられる前にやれればいい、そう思って、京介は一撃をたたき込んだ。


 ふふ。流の笑い声がする。


 流を、エーテルを切り裂いた杭は、喜びに打ち震えるかのように瞬いた。表面を覆う光の線が、強く、早く拍動している。コイツ、もしかして性格が悪いのでは?


とった


 京介は勝ちを確信した。しかし、ダメだ。流は負けを確信してはいなかった。


は?


 彼/彼女の傷口から溢れ出す真っ赤な血の洪水が、あっという間に京介の視界を覆う。取り返しのつかない傷を与えた。片腕を切り落とすよりもひどい傷を与えた。にもかかわらずだ。

 出血のカーテンの隙間から除いた輝かしい美貌に、京介は驚きを隠せなかった。


何がおかしい?


 理解に苦しんだ。確実に死に至る傷をつけられてもなお、流は笑っていたのだ。


「マズイ! 京介、逃げろ!」

 背後で田中が叫んだ。京介の視界は真っ赤だった。艶やかに微笑む流の首から、海のように血液が流れ出る。そして、傷口からの出血を皮切りに、流の全身が溶けるように輪郭を歪めた。


 瞬く間に流は姿かたちを全て失い、1つの波となって、京介を覆うように襲いかかる。


「あっ…」


 ただ、息を呑むことしかできなかった。重力に従い、かつて流だった波は京介を容赦なく押しつぶす。


とってない。とられている。


 これは確信だ。絶対にそうだ。認めたくはないが、自分はとんでもない悪手を打った。


 今何が起こっている? 何をされている。

 網膜にまとわりつく赤色の中で、必死になって水を掻く。一抹の光すら見えない、呼吸すらままならない。溺れているというよりも流されているという感覚だ。


 右の脇腹の、ほんの少しの傷が信じられないくらい痛む。無理にこじ開けられているような、嫌な圧力。


 何かが、ほんの少しの傷を入り口に、身体の中に入り込んできている!


 京介は、これが何かを知っていた。思い当たる点があった。

 ついこの間。自分はこれに助けられたじゃないか!


 脳裏をよぎったのは明け渡し。ついこの間、背中の傷を入り口にして、田中が自分の中に落ちてきた。まさか


 あぁ、そんな。これは明け渡しだ。俺を助けるためじゃない。俺を終わらせるための!

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