22.俺たちはそう変わらない

 命とは、結局のところ1つである。たった1つの命として、この世に生まれ落ちる。だから、みんな孤独だ。自分以外の1つを探して、死ぬまでさまよい続ける。

 人間球体説という考え方がある。これは生命の本質なんじゃないかと、流は考えていた。

 人は元々球体で、それが2つに引き裂かれて今のようになった。

 そう。我々は生まれた時から半球体なのだ。根本的に欠けている。

 だから、別れた方のもう1つを求めてしまう。


命とは、心細いものなのだ。生まれた時からずっと。


『お前、嫉妬してるんだろ?』


 京介の言葉を、流は否定できない。図星、というヤツだ。神様が手元に残ればそれでいいが、それはそれとして自分の欠けた部分を補いたいと願うのは、ワガママではないはずだ。


俺は”彼”を愛している。


 自分には彼だけだ。代わりを求める気はさらさらない。断面の合わない破片と噛み合うために、自らを削って、すり減っていくのは願い下げだ。

 彼からは手ひどい裏切りを受けたが、だからといって彼を嫌いになってしまえるほど、自分の心臓は単純ではない。


 彼のことを愛している。だから、最後までたどり着く。自らに与えられた命の意味を達成する。蘇りたいという神の願いに手を伸ばす。

 一緒にそれを達成したとしても、互いにいがみ合いながら雌雄を決したとしても、何ら違いはないだろう。共に在ったという事実に変わりはないはずだから。





 屋敷の扉を開く。前ここに来たのは一昨日のことだったか。怪異が起こって3日目。いまだかつて、こんなにも大変な3日間があっただろうか。


 蒼は家に残してきた。次に会う時は全てが終わってからだ。


「やっぱここ、あんまり好きじゃないかな」

 赤ヶ原岬の屋敷。薄っすらと埃の積もった不気味な邸宅。この屋敷の持ち主は流だ。いったいどうして、あれはこのお屋敷を作ったのだろうか。

 2階にある2つの部屋がその答えであるような気もするが。いや、深く考えるのはよそう。多分、野暮だ。


 玄関から廊下へあがる。京介は怪物の襲撃によって崩れ去った壁の破片を踏みしめつつ、廊下のつきあたりへと目をやった。

「お前は大変な目に遭ったからな。そう思うのも無理はない」

 田中は破片を器用によけながら、京介の隣を歩いた。心なしか、移動速度が前よりも上がっている気がする。小さくなった分、機敏になったのかもしれないなぁ。


「あぁ、やはりか」

 ふと、田中が何かに気が付いたように声を発した。

「あれって階段? 地下があったんだ」


 京介と田中は一緒になって、崩れ去った壁の向こう側を覗き込んだ。明かりのない向こう側には、地下へと延びる階段が設けられていた。

「ハリボテの壁で階段を塞いでたのか。何ともわかりやすい」

「行こうか。俺が先に行くから、田中さんは後ろをお願いね」

「わかった。何かあったらすぐに言おう」

 京介は階段に足をつけ、一歩一歩ゆっくりと進んでいく。木製の階段だ。踏みしめるたびにギシギシと悲鳴が聞こえる。横幅は人間1人が歩くのでやっと、というくらいで、壁に照明がかけられているというわけでもない。暗くて狭い地下への階段。使い勝手が非常に悪い。


 一歩一歩下へ降りていくたびに、周囲の暗さは濃くなっていく。こういうのは好きじゃない。だが、もはや怖がっている場合ではない。

「懐中電灯持ってくればよかった」

 腰のベルトに引っ掛けている杭がおぼろげな光を放ってはいるが、足元を照らす明かりとしてはやはり頼りない。

「流のヤツ、電気代でもケチったんだろうか」

「あの顔は電気代を気にする感じじゃないでしょ」

 京介は軽く笑う。田中が冗談を言った。雰囲気を和ませようとしてくれたんだろう。だが、闇は濃度を増す一方で、一向に地下にたどり着く気配がない。それがどうしようもなく不安を掻き立てた。

 壁に手を触れ、慎重に先へ進んでいく。

 もはや目を開けているのか、閉じているのかさえわからないくらいだ。


 ここでヒルの怪物に遭遇したら終わりだな。

 そういえば、このお屋敷から逃げ出した時以降、アイツを見かけない気がする。


 京介だけに限った話ではないが、あんな意味不明な怪物とは遭遇したくないというのが本音だ。出会わないのであればツイてる。


「あれ?」


 不意に、足音が変わった。

 木製の板がきしむ音がしなくなった。靴底越しに感じる床の感触がやけに硬い。

「こ、これは…」

 田中が息をのんだ。何事かと思ってあたりを見回す。

「なにここ」


 京介も異変に気が付いた。あたりの景色は一変していた。まず見えたのは透明だ。ガラスで作られたような透明な天井。四方を覆う壁も同様に透明で、様々な装飾が施されている。

 ついさっきまで暗くて狭い階段を下りていたはずだが、気が付けばだだっ広い部屋の真ん中で立ち尽くしていた。いったいどうして、何があったと言うんだろう。

 ガラスだけ、いや、実際にガラスかどうかはわからないが、とにかくそのガラスだけで作られた部屋は異様だ。レントゲン写真のような、色味の抜けた影のような世界。陽の光が当たらない海の底は、もしかするとこんな風に見えるんだろうか。


「ごきげんよう」

「…!」


 たおやかで、落ち着き払った上品な声。遊びに来た子どもを歓迎するかのような、柔らかな声だ。

 しかし、それが背後から降りかかった。

 京介は身構え、後ろを振り返った。


「俺を殺しに来たのね」


 流だ。

 美しい顔で、咲き誇るような眩い笑みを浮かべ、それはうやうやしく2人の来客を出迎えた。

 右腕の袖の先は、だらりと重力に従って垂れ下がっている。

 ついさっき下ってきたはずの階段はそこには存在しなかった。自分たちはどこからやって来たのだろうか。後ろを取られたということは即ち、退路を断たれたということだが、そもそも退路自体が存在しなくなっている。断たれた、とか言っている場合ではない。


 ため息をついた。ここ最近、ため息をつくことが多くなったなぁ。


 田中に目配せし、後ろに下がらせた。


「そうだよ。俺がいくら頭を下げて頼んでも、楔をどうにかしてはくれないんでしょ」

 京介は流を睨みつける。しかし、彼/彼女は全く怯む気配がない。何を今さら、とでも言いたげに、華奢な肩をすくめてみせる。

「俺はうみなり様を蘇らせたい。でもキミは蒼を助けたい。俺たちのゴールは互いに相反するもの。もはや争いは避けられない」

 彼/彼女の瞳には迷いがなかった。大胆で不遜なまなざし。あれは自分が何をするべきかを理解しているし、それについて躊躇いなど携えてはいなかった。覚悟ができているのか、あるいは、もともと覚悟など必要としないほど、強い意志を持っているのか。

 なんだかいたたまれない。あれに見つめられるのは落ち着かない。自分の煮え切らない部分を眼前に突き付けられているような気がする。


 自分が何をするべきか、何をしたいのか。それはよくわかっている。ただ、踏ん切りがつかないのだ。覚悟が決まらないのだ。

 ここまでたどり着いてもなお、”自分の大事な人のために他の誰かを傷つける”ことに躊躇があった。

 今すぐあれの喉元に飛びかかってやりたいという気持ちがないわけではない。流への害意は、確実に京介の心臓の奥深くで沸騰し続けている。しかし、この感情を、京介は認めたくないのだ。だって、他人を傷つけるのは悪いことだから。


 敵を目の前にしてもなお、葛藤を飲み干すことができない。

 いっそ、流のように、大胆で不遜な在り方ができれば、もっと楽だったのかもしれない。


あぁ、そっか

 ふと、あることに気が付く。


俺は、うらやましかったんだ。


「あのさ」


「…お前がこの町の人たちを材料にして、壁を作ったって聞いた時、俺はすごく腹立たしい気持ちになったよ。だって、自分の望みを叶えるために、お前はたくさんの人を犠牲にしたんだ」

「そうね」

 流は静かに肯定する。

「でも、よく考えたら、俺がお前にしていることも、おんなじことなんだよな」

 京介はそのまま続ける。

「お前は神様のためになりたくて、ああいうことしたわけでしょ。で、俺は蒼ちゃんを守りたい、助けたいっていう俺の望みをかなえるために、お前を殺そうとしている」


「俺たちのやっていることって、結局は一緒なんだよな。自分の望みのために、他を踏みにじろうとしている。」


「認めたくなかったけど、俺はお前のようになりたかったのかもしれない」

 京介はバツが悪そうに視線をそらした。喧嘩の直前に相手を視界から外すなんて、絶対にやってはいけないことだ。


『他人を傷つけるのは悪いこと。他者を踏みにじるのは悪いこと。そんなのは知っている。でもどうでもいい! 我らの神のためなのだから』


 流のこの言葉は京介の逆鱗に触れた。無性に腹が立ったのだ。あくまでも、自分は赤ヶ原の関係者ではないのだから、むやみに流を憎むべきではない。もしかすると的外れな憎しみかもしれないし。

 でも、京介は怒ってしまった。ただ無性に腹が立ったのだ。

 自分の望みのために他人を傷つけていいはずがない。それはよくわかっている。わかっているからこそ怒ってしまった。

 だっておんなじだから。心臓の裏側で、俺も”そう”思っていた。


 そう思いつつも、躊躇を捨てきれない自分が死ぬほど嫌いだった。


「お前はさ、いつだって堂々としてるじゃん。躊躇がないっていうかさ。それがいいことか悪いことはさておき、少なくとも俺にはうらやましく思えたんだ」


 京介が流へ向ける”嫌い”という感情の正体は、自己嫌悪だ。

 流のことが嫌いだったわけではない。本当に嫌いだったのは煮え切らない自分自身。

 自分の大切な人を守りたい。必要なら、他の何かを踏みにじったってかまわない。そう自覚しつつも、自分にとって大切なもの以外を蔑ろにして、傷つけることに、抵抗を抱くことをやめられなかった。

 良心を捨てきれないわけじゃない。勇気がなかったのだ。覚悟ができなかったのだ。京介は、そんな自分が大嫌いだった。

 そして、京介と同じ思いを抱きながらも、それを実行することに抵抗を持たずにいられる流のその在り方が、ただ妬ましかった。


 だからこそ、ここで啖呵を切っておくべきだ。自分と流は今から殺し合う。自分の大切なものを守るために争うんだ。で、あれば、妬ましいとか言っている場合じゃない。覚悟を決めなければならない。

 

俺は、アイツが嫌いだ。


 これは啖呵。京介の意思の表明。自分の神様のために、誰かの神様を殺すという覚悟。


「俺は、自分の信じる神様のためなら、なんだってしてあげたいんだ。これが俺の答えだ。お前の望みをぶっ潰して、俺は俺の望みをかなえる。お前が死のうが俺が死のうが関係ない。俺は蒼ちゃんを守りたいし、助けたいんだ。悪いけど死んでくれ、流」


 これは啖呵。京介の意思の表明。自分の神様のために誰かの神様を殺すという覚悟!


 最初からずっとそう思っていた。蒼は自分にとっての神様。蒼のためなら、なんだって捧げてやりたい。もういいんだ。それで誰かが傷ついたとしても知るもんか。これは俺のためなのだから。


 これはとてもじゃないが、自慢げに振りかざせるような覚悟ではないのだろう。だって、自分のためなら他人を傷つけてもいいというのは、極めて利己的な感情だ。人として相応しい感情ではないし、そういう感情を抱いている自分への嫌悪感は無視できないほど大きい。

 だから、その嫌悪感ごと自分を受け入れよう。それが、俺の覚悟だ。


 京介は杭を強く握り、切っ先を流へと向けた。

「覚悟を決めたようね」

 彼/彼女はふんわりとした笑みを浮かべる。どこか満足げだ。気のせいかもしれないが。

「お前も、お前の神様のために最善を尽くしてよ。俺もそうするから」

「そうね。そうするわ」


 クスリと、流は笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る