8.望んでないながれ
蒼や田中に背を向け、京介は階段をのぼって2階へと上がる。階段をのぼった先には廊下が広がっており、左右に1つずつ扉があった。廊下の突き当りには窓が設けてあり、外からの光を取り込んでいる。手入れがされている様子はなく、潮風を浴び続けたせいか劣化が進み、表面が曇っている。
まずは、右かな。
特に理由はないが、右側にある部屋に目星を付け、そっと扉を開いた。
右側の部屋は6畳ほどの広さであり、デスク、タンス、本棚、ベッドの4つの家具が置かれていた。どれも使われた痕跡はなく、本棚の中身は空で、ベッドにはマットさえ置かれていなかった。
「なんもないなぁ」
引け目を感じながらタンスを開けてみるが、本棚と同じく中身は空だ。埃が宙を舞っただけで何の成果もない。
今度はデスクに目を向ける。引き出しがあった。
なんだか強盗にでも入ってるみたいだ、と、苦笑しながら引き出しに手をかける。
「あれ、なにコレ」
目に飛び込んできたのは1冊のノートだ。緑色の無地の表紙。若干擦り切れており、色あせてはいるものの、1階で見た絵本のように古いものではなさそうだ。
手に取ってページを開く。日焼けして茶色く変色してはいるが、折れや破れは見当たらない。表紙の様子を鑑みるに、綺麗に保管されていたというよりも、引き出しにしまわれたまま放置されていたようだ。最初の1ページに目を通す。日記帳か? インクが所々擦れており、文字が霞んでしまっているが、読むことに困難が生じているわけではない。
記されている文字は早く書くことを目的としたような感じだ。丁寧に書かれているわけではない。実際、文字のインクが乾く前に手で擦ってしまったのか、文字が滲んでいる個所もある。
文字の擦れから判断するに、これを書いた人は左利きなのかもしれない。
『1日目
うみなり様は形を持たぬ流体の神とされている。流体であれば、刃物で貫くことは不可能だ。では杭はなぜ、うみなり様を殺すことができたのか。流の推測によれば、杭はうみなり様の血を吸い取ることでその命を奪ったのかもしれないとのことだ。
吸い取ることができるのなら、吸い取ったものを取り出すことも可能なのではないか。
杭からの抽出を目標に据え、我々は解析を始めた。とは言っても、私は頭が良い方ではないし、信仰に厚いわけでもない。手伝ってやることぐらいが精一杯だ。流の役に立てるだろうか。
後から見返せるよう、研究について軽くメモを残しておこうと思う。日記の真似事のようにはなるが、ないよりはマシだろう』
「は?」
思わず声が出る。日記の続きに目を通す。
『418日目
流は正しかった。杭からの抽出に成功した。古びた短刀のようなそれから、奇妙な青白い液体があふれ出すさまは見るに堪えない。気味が悪い。うみなり様を信奉する赤ヶ原の末裔としては不適切な感想かもしれないが、そう思ってしまったのだから仕方がない。
青白い液体はうみなり様本体にあたるはずだが、それそのものではただの水と何ら変わりがないらしい。取り出したものをどうするか、液体について研究を始めることになった。』
『422日目
青白い液体をラットに投与した。ラットの体重はまったく増えなかった。採血し、抜き取った血液について詳しく調べた結果、青白い液体が血液の一部として置き換わっていたらしい。ヘモグロビンがどうのこうのと、長めの説明をされたが、よく理解できなかったので割愛する。
驚くべきことだが、私や流の血液の一部も置き換わっていたとのことだ。それも元から。ほんの思いつきで採血を行ったが、まさかこんな発見があるなんて。この液体はうみなり様そのものであるというのは間違いないだろう。子々孫々と、一族に受け継がれてきた神の正体を直に見ることになるとは思わなかった。
そのままではただの奇妙な色の液体だが、生体に投与することで血液に置き換わる。つまり、生き物に宿ることで意味を持つ。で、あるならば、生体に投与を続けることで、血液のすべてを神そのものに置き換えることも可能ではないか。そうすればうみなり様の御子を人為的に生み出すことも夢ではない。
御子を生み出すことができれば儀式が行える。流は嬉しそうだ。
液体をエーテルと名付ける。生体に投与を行うことが決まった』
『投与1日目
投与を始めた。被験体は私、姉、流の3人だ。まずは私から投与を行った。
感想としてはただの点滴だったと言えばわかりやすいだろうか。投与中も、投与後も痛みなどはなく、体調が悪くなることもなかった』
『投与57日目
投与を始めてからかなり経ったが何の変化も起こらない。採血の結果、我々3人の血液の半分はうみなり様に置き換わっているらしい。何の実感もなかったが、顕微鏡を通して見た自分の血液は信じられないような様相を呈していた。思い出しただけでも気分が悪い。それだけは記しておく』
『投与65日目
結婚のため、姉が村を出ていった。2人になってしまったが投与は続ける』
『投与70日目
なんだか流の様子がおかしい。どことなく浮ついており、口数が多くなった。投与を続けているが、あれから私の血液が置き換わることはなかった。だが流は違う。置き換わりは7割に達したらしい。』
『投与77日目
依然として流はおかしいままだ。父や母は『前より明るくなった』と言っていたが、私の目には病的に見える。私への投与は中止になったが、流への投与は継続する。だが、これ以上置き換わりが進行すれば流はどうなってしまうのか。私は怖くなった。』
『投与80日目
流の身体に変化が訪れた。形を保っていられなくなったのだ。彼は相変わらず嬉しそうにしている。もうやめようと何度も説得を試みたが、聞き入れてもらえない。私はただあれの望みを叶えたかっただけなのに。』
「…」
心臓が早鐘を打った。信じられないと思う気持ちもあるにはあるが、それよりも確実に、大きな危機感が心臓を支配した。
『私は覚悟を決めた。この村を出ようと思う。杭を持ち出してどこかに消えるつもりだ。このまま投与を続けたら流を失うかもしれない。うみなり様の復活は我が赤ヶ原一族の悲願であるが、そんなものはもうどうでもいい。この日記はここに残しておく。お前を裏切ってしまって本当にすまない。』
ノートのページはまだ余っていたが、それ以上の書き込みはされていなかった。
「なんだよこれ」
膝を折ってしまいたい。その場に座り込んでしまいたい。こんなこと知りたくはなかった。だがダメだ。膝を折ることは負けを意味する。座り込んでしまったら2度と立てなくなる。それはダメだ。この町を襲った謎を解く。そのためにわかることを増やしていく。そう啖呵を切ったのはたった数時間前のことだ。まだ思考を放棄するには早すぎる。
くじけそうな気持ちを振り払うように頭を振り、大きく息をついた。
まず田中が覚えているといった言葉からだ。『うみなり様』、そして『アカガハラ』。うみなり様は予想していた通り、神様を表す言葉で間違いないだろう。形のない流体の神様。そしてアカガハラは赤ヶ原という一族の名前のことだ。この一族はうみなり様を信仰している。この日記に登場する人物はみな、その一族に連なるものであり、死んでしまったうみなり様を蘇らせることを望んでいる。
”私”と“流”はそのためにうみなり様を殺した『杭』について研究して、”エーテル”を発見した。赤ヶ原の人たちはみんなエーテルを宿しており、そのうち、血液のすべてがエーテルで構成されている人間が“うみなり様の御子”、ということか。
そのうみなり様の御子がおそらく、神様を復活させるための鍵なのだろう。それを人為的に生み出すため、この日記の人たちは実験をしていた。だが実験は失敗、というよりも、”私”が杭を持ち去ったことで続けられなくなった。
ここまではわかる。わかるが、これがこの町の異変とどう関連するんだ。
なぜ誰もいなくなった? なぜ変な壁ができた? なぜバケモノがいた?
何かヒントはないか、と、日記のページをもう一度捲っていく。しかし、新しい発見はない。
まぁ、ここまでわかれば十分な進歩だ。もう1つ部屋は残っているのだから、そっちに何か目新しい情報があるかもしれない。
日記を元の位置に戻し、引き出しをそっと閉める。
まだ大丈夫。俺は正気だ。
胸元に手を当てる。心臓が破裂してしまいそうだ。その前に気が狂ってしまいそうな気もするが。
世界の根底が揺らぐような、突然足場がなくなってしまったかのような不快感を必死でこらえる。
そういえば、この”流”という人物はこのあとどうなったんだろうか。”私”とは親しい間柄であったと推測できるが、ただ1人残された彼、あるいは彼女はどんな行く末を辿ったのだろうか。
暗澹たる気持ちで廊下に戻り、突き当りの窓から外を見る。相変わらず厚い雲に覆われ、外は薄暗いままだ。腕時計に目をやるとその短針は3を指している。15時か。
どこで怪物に遭遇するかわからない以上、夜道を歩くことは避けなければならない。少なくとも16時のうちに探索を切り上げなければ。
1階から物音はせず、蒼や田中が自分を呼ぶ声はしない。探索を続けよう。
わかることを増やしていかなくては。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます