初めての仕事
燃えた建物を避け、三人は裏手に回り込んだ。
奇跡的に燃えずにすんだ一本の木の根元、大きな布が地面を覆っている。中身の形に布が膨らんでいて、恐らく遺体が安置されているだろうことが想像できた。
三人は布を囲むように立つと、ゼインは腰にくくりつけた小さな鞄から取り出した黒い手袋をはめた。右手は難なくはめられたものの、左手に手袋をはめる時はぎこちなくて、やや手こずった様子だった。
両手に手袋をはめ終えると、布をゆっくりと捲り上げていった。
「ううっ……!」
エラが目を逸らしたのも無理はない。
遺体は、性別も人相も分からないほどに黒く焼け焦げていたからだ。かろうじて人の形はしているが、焼けた建物に埋もれていたら人か木か判別ができないだろう。
エラは吐き気すら催してきて、口を手で覆う。その様子を見て、ゼインは案の如しと鼻をならす。
「大丈夫か? だから待ってろって言ったろ」
「へ、平気ですっ……」
そうは言いつつも、エラの顔は青ざめて喉にまで迫っているものをなんとか押し留めようと必死になっている。
「エラ、無理はしなくていい」
ヴァネッサも気遣わしげな視線を送ったが、エラはぶんぶんと首を横に振った。
「本当に、大丈夫ですのでっ。私のことはかまわず続けてくださいっ」
ゼインとヴァネッサは一度目を閉じて黙祷を捧げ、腰をかがめてまじまじと観察し始めた。それに倣って、エラも口を手で押さえながら黙祷を捧げて気合を入れて腰を落とした。
「これでは身元を特定するのは時間がかかりそうだな。身元が分かるものは出たか?」
ヴァネッサがゼインに訊ねると、炭と化した家を顎で指した。
「家は全部焼け落ちて、あの
「このご遺体はどこで見つかったんだ?」
「建物の中央付近。ちょうど屋根の下敷きになってたから、恐らく二階で倒れていたはずだ。遺体があった所は他の所よりも延焼が激しくて、恐らく火元は二階だろうな」
考えるように腕を組んだヴァネッサは、瞬時に考察したものを述べた。
「ここに忍び込んだ誰かが、二階で暖をとろうとして誤って建物に火がまわったのだろうか?」
「その可能性もあるが、一階に暖炉の痕跡があった。暖をとるなら一階で事足りるのに、何故わざわざ二階に行って火を起こしたのか。そこが疑問だ」
「たしかに……」
ゼインとヴァネッサの会話を聞きながら、エラはふと視線を上に向けた。
燃えずにすんだ木の枝に、何やら歪な丸い物が挟まっている。なんとなく気になって仕方がない。
根拠のない視覚から得ただけの単なる勘だが、エラの勘はよく当たる。この勘を頼りに今まで『なんとなく』に身を任せ、深く考えることなく行動あるのみ、という性格に行き着いた。
ふたりが今後の捜査展開を話している隙にその木に近づいていった。
そんな新人の行動を、ゼインとヴァネッサは気付くことなく意見を交換し合っていた。
「通報者はご遺体に関して何か言っていなかったか?」
ヴァネッサの問いに、ゼインは首を横に振る。
「いや、何も」
「火事が起きた時、空き家に出入りをしていた人物を見た者がいるか聞き込みを頼む。念の為、事件と事故の両方の線で捜査しよう」
「だな」
「エラは一度支所に戻り……ん? エラ?」
先程まで隣にいた新人隊員の姿がなく、周囲を見渡していれば、頭上から「取れた!」という呑気な声がした。
燃えずにすんだ木の上に、エラは登っていた。太い幹に足と腕を絡めて体を固定して、上から三段目くらいの枝に片手を伸ばして何かを掴んでいる。器用にするすると降りてくると、怪訝な顔をしている先輩隊員のもとへ嬉しそうに駆け寄った。
「久しぶりに木登りしたけど、うまくいってよかったですっ」
「お前は猿か」
ゼインの皮肉っぽい言葉に得意気な笑顔で応えてみせる。意気揚々と握りしめていた手のひらを開いた。
「これが木の枝に引っかかっていました!」
エラの小さな手のひらには、くしゃくしゃに丸められた羊皮紙があった。慎重に開けると、紙の端っこが黒く焦げている以外は何の変哲もないただの羊皮紙だった。
文字も絵も何も書かれておらず、エラは少しがっかりしながら腰につけたポシェットにしまい込んだ。
「何かの手がかりかと思ったのに」
「木登り損だな、新人」
「私の名前は新人じゃありません、エラです。エラ•ジェラルドです、覚えてくださいっ」
「覚える必要なんてねぇよ」
首を傾げるあどけない顔に、ゼインは氷のような冷たい視線を浴びせた。
「興味のねぇものを記憶するほど、俺は暇じゃねぇ」
やる気に満ち溢れているのは新人ではよくあることだ。仕事内容と給料が割に合わない、思っていたのと違う、ゼインの言動が荒っぽくて嫌だ、などと御託を並べて辞めていく者が多い。
この新人も何かと理由をつけてそのうち辞めるだろうと踏んでいたゼインには、いちいち辞めていく者の名前を覚えるなどという時間がもったいなかった。
左目の鋭く攻撃的な眼光に射すくめられ、お前に興味はないなどと言われれば、大抵の人間は慄いて尻込みする。
だが、破王と仲良くなると頑なに心に決めたエラは、ここで引いたら駄目だと自分を鼓舞して一歩ゼインに近寄った。
「でっ、では、ゼインさんはいつがお暇なんですか?」
「はあ?」
返答が来るとは予想していなかったのだろう、ゼインの口から間の抜けた声が漏れた。
「お暇な時を教えてください。お時間のある時に私の名前を覚えてもらいますっ」
「お前に割く時間はねぇよ」
「十秒だけ私にお時間を! 寝る間際でもいいので」
「寝る間際って……人の寝室に入ろうとすんな」
「朝食食べてる時でもいいですっ。なんならお手洗い行ってる時でも。片手間で良いですからっ」
「いや、お前の名前を覚えるつもりなんてこれっぽっちもねぇって言ってんだよ」
「名前がダメなら、せめて苗字だけでもどうかお願いしますっ」
「なんなんだよ、話になんねぇな。この新人どうなってんだ」
頑なに名前を覚えてほしいと迫る新米に追い込まれ、ヴァネッサに助けを求めるように視線を送れば、ふたりの問答に手応えを感じたヴァネッサの目はらんらんと輝いていた。
「良い感じだ。エラ、今日からゼインとバディを組め」
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