ナージェン魔術大学校

 ナージェン魔術大学校は、ハドニオーネ城の次に広大な敷地を持っている。町の学校を卒業した頭脳明晰な十七歳以上の者が在籍し、六年間この学び舎で勉学に勤しむ。

 毎年多くの役人や学者、医術師などを輩出し、ハドニオーネ王国を陰から支える『賢者の故郷』と呼ばれていた。


 大学校の講義棟を中心に、輪を描くように学生寮が建てられている。

 遠方の学生も近隣の学生も、通学時間や家賃、毎食の食事等を気にすることなく研究や学業に専念できるように、ナージェン魔術大学校は創立当初から全寮制だった。


 東側は女子学生の寮、西側は男子学生の寮となっている。火事の起きた空き家から見えたのは、女子寮だった。


 休日の昼間、寮にいる学生はまばらだった。王国を支える賢者の卵は、休日であっても講義棟内にある研究室や図書館に入り浸っている。

 寮にいる学生達でさえ、自室で自習や友人達と専攻する学問に関して白熱した議論を交わしていた。意識の高い学生ばかりが揃っている。


 深夜まで勉学に励んでいた学生達から火事を見たという話は聞けたものの、火事が起きる前のことに関しては、証言を得られなかった。


 最後の一室、最上階の角部屋までたどり着いた。ここは最高学年で最も優秀な主席学生のみが使える特別な部屋。火事の現場側に大きな窓が取り付けられており、ここならば何か実のある証言が得られるのではとエラは期待を膨らませる。


 ゼインがノックすると、扉の奥から小さく返事が聞こえてきた。守護隊であることを告げると、徐に扉が開かれる。


 一瞬、甘みと苦みが程よく混在した複雑な香りがエラの鼻腔をくすぐった。嗅いだことのある特徴的な匂い。葬式の時に焚かれるお香のものだと即座に思い至れば、その奥にしっとりと水分を含んだ土のような香りもしてくる。


 開かれた扉の奥から、女性が顔だけを覗かせた。艶のある栗色の髪は、肩上で一回くるりとカールされ、陶器のような肌と黒い瞳は大人しい印象を与える。それでいて、厚い唇と泣きぼくろからは色気すら感じてしまう。


 半分ほどに開かれた扉に隠れるように立ち、ゼインとエラとを交互に見つめる黒目がちな瞳は怯える小動物に似ている。

 エラの左目を見るなり、女性は驚いたようにその目を見開いた。


「金色……」


 そよ風でもかき消されそうなほど、繊細な声音だ。誰かが守らねば生きていけぬほどに細々しい体に見合っている。


「そうなんです。生まれつき左目だけ金色で。気になっちゃいます?」

「ええ。魔術師にとって金は特別なものですから」


 古の時代から、魔術師は錬金術を駆使して非金属から金属を生み出す試みを行ってきた。特に金は、女神イリュトゥナの金の柄杓にも代表するように不思議な力を含んでいると伝えられている。

 彼女はハンナ•クレメンスと名乗り、ゼインとエラも自身の名前を告げた。


「お休みのところ申し訳ない。近くで起きた火事のことで話が」


 ゼインの声から荒々しさがなりを潜め、声量を控えた優しい低音を発する。エラに対する粗暴な口調とは別人のようで、エラは思わず二度見してしまう。


「火事……ですか。残念ですが、私は全く気づかなくて」

「かなり大騒ぎになっていたんだが?」

「集中すると他の音が聞こえなくなってしまうんです。実は、明明後日に卒業論文の発表があるのでその最終の準備と練習をしておりまして……。国中から魔術師の皆様がいらっしゃるので今から念入りに準備をしないといけないものですから……」


 ゼインとエラから浴びせられる視線に恥ずかしくなったのか、俯いて声もか細くなっていく。手を差し伸べてしまいたくなるほどに儚いのに色気のある女性。エラの勘が、ハンナの奥から独特の雰囲気を感じ取った。


「つかぬことをお伺いしますが」


 気になったら聞かずにはいられないたちのエラは、ゼインの一歩前に歩み出る。いきなり距離を縮めてきた小柄な隊員に、ぎょっとしてハンナは半歩後ずさった。


「なん、でしょう?」

「恋してます?」

「え、ええっ!?」


 仰天して空いていた左手で口を押さえるハンナの頬は、軽く赤みを帯び始めた。

 恋する女性には、独特の色気が漂っている。気分の高揚と一抹の不安とが交互に押し寄せる不安定な色気。それをエラの目は察知していた。


「突然何聞いてんだ、お前は!」


 慌てたゼインの叱責にも、エラは馬耳東風。


「同級生ですか? それとも年上? 年下もいいですよねぇ」


 ハンナを置いてけぼりにしてひとりで勝手に妄想話に花を咲かせてしまっている。返答に困ったハンナは「ええっとぉ」と言いながら羞恥が増して、遂には顔全体が夕日のような赤で染まっていた。


「年下は普段は可愛いのに時々しっかりしてるところもあっ——むっむぅぅぅぅぅ!」


 見るに見かねたゼインが言いたい放題の口を後ろから塞いだために、エラから呻くような声が漏れてくる。小さな手で引き剥がそうにも、ゼインの筋肉質な左腕はびくともしない。


「悪かった。騒がせたな」


 詫びをいれると、エラの口を塞いでいた左腕を外した。間髪入れずに文句をたれようとしていたエラだったが、ゼインの左手に首ねっこを掴まれてなす術なくずるずると引きずられていく。


「ゼインさん、離してくださいーーー! ハンナさん、また今度恋バナしましょーーー!!」


 まるで駄々をこねる子供のようになりふり構わず手足をバタつかせて暴れているエラと、かまうことなく大股で歩き去っていくゼインの背を、ハンナは呆気に取られて見送っていた。

 エラの言葉に返答を忘れていたと我に返り「ええ、また今度?」と呟いたものの、ふたりの耳にか細い声は届くことはなかった。

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