失敗と反省から前進する
魔術大学校の敷地から一歩外に出たところで、ゼインはエラの首ねっこから手を離した。エラは無惨にも地面に背を叩きつけ、うめき声をあげている。
「痛ぁっ! ちょっと酷くないですか?」
「事件と関係ねえことを何ベラベラ話してんだ。友達とお茶しながらお喋りに来たわけじゃねえんだからよ」
「だって気になったんですもん、聞きたくなっちゃうじゃないですかっ」
抗議の声を上げながら立ち上がる。バディを組むとなった時点で、絶対に遠慮などせずに立ち向かうと決めていた。隻眼の破王だろうと誰だろうと、屈することなく。
見上げれば、ゼインの気怠そうな目とかち合う。
「恋してようがいまいが、こっちは知ったこっちゃねえよ」
「本当はゼインさん、ハンナさんに惚れちゃったんじゃないですか?」
「……はぁ?」
あまりにも的外れな発言に、ゼインの口から呆れた声音しか出てこない。それもかまうことなく、エラはひとりでニヤニヤと何やら良からぬことを思いめぐらせていた。
「ゼインさんの好みがずばり分かっちゃいましたっ。ハンナさんみたいな、ついつい守ってあげたくなっちゃう人が良いんですね? 私にはすごーく口が悪いのに、ハンナさんの前ではとっても優しい言葉使いになっちゃってましたし」
呆れてものが言えないゼインは、大きなため息を吐いた。
「あのな、訂正箇所がありすぎて困るが……ああいう大人しい奴に荒っぽく話しかけたら警戒されんだろ」
「それなら私にも優しい声で——」
「お前には絶対にやらねぇよ」
「なんでですか? 私はゼインさんの可愛い後輩なんですよ?」
「自分で可愛い言うか、普通。バカか」
「バカって……扱いの差、ありすぎません?」
口を尖らせていれば、ハンナの部屋で嗅いだ匂いと共に、ひとりの男子学生がふたりの横を素通りしていく。その姿をエラのオッドアイが映した時、「あ」と自然に声が漏れた。
その学生は、分厚い本を片手に魔術大学校の制服でもある紫色のローブを羽織り、眼鏡をかけて時折気難しそうに眉をしかめている。真面目そうな印象の学生だ。
(ハンナさんも参列したお葬式にこの学生も行ったのかな)
なんとなく、エラの勘がそう伝えてくる。自分のなんとなくは外れたことがない、確かめてみなくては気が済まない。
「おい、どこ行くんだよ」
ゼインの制止も聞かず、エラは男子学生にずんずん歩み寄り、勝手に隣を並走しだした。
「あのっ」
自分を見上げてくるあどけない顔をした守護隊の女性に、男子学生は驚いて歩みを止めてしまった。
「何かご用ですか?」
「お葬式があったんですか? 魔術大学校関係の方の」
「え?」
「匂いがしたので」
自身のローブを男子学生がくんくん嗅いでいると、走ってきたゼインがエラの首根っこをぐいと掴んで、学生から引き剥がす。
「邪魔してんじゃねぇよ、バカが感染るだろ」
「バカは感染りません、それよりゼインさんのお口の悪さの方が感染ります」
「うるせぇ。ったく、邪魔して悪いな」
「……い、え。大丈夫ですよ」
エラは、苦笑いを浮かべる男子学生の手元にある本を盗み見る。題名は『魔術の成り立ちと現代魔術』、普通の学校を卒業しただけでは難解な言葉が、蟻よりも小さい字で細々と書かれている。冒頭だけでも頭が痛くなりそうだ、と読むのを止めた。
魔術の成り立ちについては普通の町の学校では簡単に教わる。
魔術とは、女神イリュトゥナが自然界に放出した魔力の恩恵を受けることも、それを根源とした魔法を使うこともできない人間が生み出した高等な学問だ。
魔法を使うことのできる精霊や幻獣と対抗するために、人間が持ち得る知識と技術で確立させた努力の結晶だった。
薬草学や医術、占星術、錬金術などが魔術と総称され、それらの学問を修めた者は魔術師または賢者と呼ばれている。
昔は、魔術師の弟子となり長い年月をかけて修行を重ね、免許皆伝を受けて初めて魔術師を名乗ることができた。一部の人だけの封鎖的な学問で、魔法のように怪しげな雰囲気を醸し出していたことから近寄り難いものがあった。
今は魔術を学べる学校ができたことで、広く一般の人々にも学びの機会が与えられている。
それでも、魔術大学校に入学できるのは優秀な学生のみ。開けているとはいえ狭き門。ナージェン魔術大学校の学生は一目置かれる存在だ。
男子学年は会釈をしてその場から去ろうとした。それを、すんでのところで止めたのはゼインだった。
「昨日の火事を知っているか?」
「友達から聞きました。かなり大きな火事だったみたいですね」
「直接見たわけじゃないんだな?」
「はい。昨日の夜はずっと寮にこもって卒論の準備をしていて。いつの間にか寝てしまっていたようで、火事が起きたことを知ったのはついさっきなんです」
男子学生は口元に手をやり、欠伸を隠す。酷く寝不足のようだ。目元にはうっすらとクマさえ見える。
「卒論って大変なんですね。さっきハンナさんも夜通し準備してたって言ってましたし」
「ハンナに、会ったんですか」
守護隊ふたりを交互に見やる男子学生の目は、驚きを隠せないのかまん丸くなっている。
「知ってんのか」
「もちろんですよ! ナージェン魔術大学校始まって以来の逸材ですから。なんたって、証明不可能と言われたルガの昇華凝華定理を十三歳で解き明かしたんですから! ルガの昇華凝華定理というのはですね、貴金属が液体の状態を経ることなく気体になる、またはその逆で気体から固体になる方法を説いたもので——」
鼻息荒くハンナの武勇伝を語り出す男子学生相手に、守護隊ふたりの頭ではついていくことができずにぽかんと口を開けていた。
「——つまり、今後の魔術界、いやハドニオーネ王国を牽引していくのは間違いなく彼女の頭脳だということですよ! こんな凄い人が同学年にいるなんて、僕はもう幸せ者です!」
「な、なるほど、よく分かりました」
エラでさえも男子学生の圧にやられて腹一杯になっている。話をすり替えるように、先程ゼインに邪魔されて聞けなかったものを再度問いかけた。
「で、お葬式があったかどうか答えてくれませんか?」
「あー……あれ、ですかね。昨日……香料の実験をしていて、それで匂いが……」
ハンナのことは饒舌だったのに対し、言葉を選ぶように話す。違和感を覚えたゼインは遠慮することなく追及していく。
「香料の、どんな実験だったんだ?」
「えっと……どんなだったかな……あ、そうだ。香料の歴史と女神信仰の関係、という題名、だったと思います。それで、葬儀の時に使う香料を教授が出してきて、そんな感じです」
「その実験にはハンナはいたか?」
「ええ、いたと、思います」
伏し目がちな男子学生は何かを隠していると踏んだゼインが、畳み掛けようと口を開いた時だ。
「あなた、嘘をついていますね?」
エラのオッドアイがきらりと光る。男子学生から生唾を飲む音がした。
「ずばり……あなたとハンナさんは恋仲ですねっ!!」
「……はい?」
「お前……何だそりゃ」
戸惑いを隠せない男子学生とゼインを置いて、エラは実に流暢にピントのずれた推理を披露していく。
「成績優秀なハンナさんに、香料の実験を手伝って欲しいと言ったあなたは、ハンナさんの寮へと向かったんです。実験も終わり、互いの卒論の準備に取り掛かる中、ふと触れた手と手……湧き上がる情熱……寝不足だったのはきっと——」
「あ、あなたはさっきから何を言ってるんですか!! ハンナと、そんな仲なわけないでしょう!? もういいですか。あなた達に付き合っている暇はないので!」
守護隊の返事を待つことなく、憤慨した男子学生は足早に去っていってしまう。エラは不思議そうに首を傾げていた。
「おかしいな、いけたと思ったんだけどなぁ」
「何か聞き出せそうだったのにくだらねぇ話しやがって。邪魔すんじゃねぇよ。相手を怒らせてどうすんだ、バカ。もしあいつが事件解決の為の重要な証言を持っていたら、聞きそびれたのはお前の責任だからな? 分かってんのか? あ!?」
「……」
エラが口をつぐんだのは、睨みつけるゼインの左目が鋭さを増していたからだ。語気を荒げたゼインの全身は怒りのオーラで満ち、有無を言わさぬ圧迫感を感じるほどだ。
「……すみませんでした」
しゅん、と大きく項垂れたエラからは、反省の色が濃く見える。自分の軽率な言動が、事件解決の糸口を掴み損ねてしまったのならば失態だ。それを理解していなかった未熟さに、打ちひしがれる。
本当はもう少し文句をぶつけようとしていたゼインだったが、先程までエラに
無遠慮に歯向かってくる気配がなく、物足りなさと同時に少々言い過ぎたと心の中で自省する。
「……近所の住人に聞き込みに行く。いいか、今度は口を挟むな。お前はメモだけとってろ」
「はい……」
「市井の奴らに暗い顔見せんな。俺達は、助けを欲する人の為に働く守護隊だ。そんなしけた顔してる奴を頼ろうと思うか?」
「……思いません」
「ならさっさと顔直せ、バカ」
「……バカは、余計ですっ」
弱々しくも言い返してくるエラに、ゼインは片方の口の端を上げた。
「言い返す気力があんなら大丈夫だな」
「……」
「失敗を繰り返して成長していくんだ。これで懲りんな。お前の怖いもの知らずの性格を上手く使いこなせ」
俯いている小さな頭部に、ゼインは左手をぽんとのせた。励ましの意味をこめて。
撫でるわけでもなく、ただのせただけの左手の重みと共に感じる体温は、落ち込んだエラの心に深く沁みるほどに優しいことに気づく。
「……はいっ」
目の端に浮かんだ涙を歯を食いしばって堪える。詰まるような声音の返事を聞き、ゼインは頭にのせていた左手を退けて横を歩き去っていく。鼻をすすり、腕で涙を全て拭ったエラは、隻眼の男の背を追った。
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