旋風の新人

 近所の人々から火事が起きた後の証言は得られたものの、肝心の火事が起きる前のことは、就寝中だった人が多かったせいで誰からも証言を得ることはできなかった。

 聞き込みは、ゼインが質問を投げつけ、答えてきたものを一字一句エラが羊皮紙に書き込んでいく形で続けられた。


「ゼインさんは、メモを取らなくていいんですか?」


 証言を聞いている間、ゼインは腰に手を当てて動かすことはなかった。


「お前がちゃんと書き留めてればいい」

「はいっ」


 そうこうしているうちに日暮れの時間になり、目撃者探しは明日に回すことにした。


「とっとと帰って、隊長に報告すっぞ」

「その前に寄りたい所があるんですっ」

「は?」


 エラはすっかりいつもの調子を取り戻し、にっこりと微笑んでいる。一方のゼインはというと、今日一日新人に心身共に振り回されて疲れが滲んできている。一刻も早く支所に戻って報告し、ひとりになりたかった。


「ゼインさんは先に戻っていて大丈夫ですよ。私ひとりで行きますんで」


 ゼインが疲弊していることに勘づいたエラは、気遣う言葉を発する。


「どこに行くのか知らねぇが、お前、土地勘ないんじゃなかったのか?」

「ここに来る途中に見つけたんです」


 ではまた後で、とちょこちょこ跳ねながら進んでいく。

 もうじき夜が来て昼間とは町の雰囲気が一変する。もしも迷ってしまったら、悪漢に襲われでもしたらあの子供みたいな体格ではひとたまりもないだろう。例え守護隊の隊服を着ていたとしても、その身に危険が及ばないという保障などどこにもない。

 ゼインには、放って置くことなどできなかった。


「待て。俺も行く」


 途端に、くりっとしたオッドアイがキラキラと輝いて笑顔が咲き誇った。


「いいんですか? ゼインさんってやっぱり優しいですね!」

「用が済んだらさっさと帰るかんな」

「分かってますよ! こっちです、こっちー」


 その場でぴょこぴょこ飛び跳ねながら、両手で手招きしてくる。子供か、とゼインは心の中で呟いてため息を吐いた。


「……ったく、調子が狂う」

「何か言いました?」

「独り言だ」

「独り言を言うってことは、お年寄りになった証拠ですね」

「うるせぇ、年寄り扱いすんな」

「あ、ここです、ここ!」


 案外近くにエラの目的の場所があって、ゼインは拍子抜けする。迷うのではないかという心配など無駄だった、と後悔した。

 それは、火災現場に向かう前にエラが気になっていた雑貨屋だった。冷暗な隣の豪邸とは真逆の、温かなオレンジ色の室内灯が窓から溢れている。


 ゼインは外で待つ気でいたものの、エラに制服の裾を握られて有無を言わさず店内に引き摺り込まれていく。エラは他のものに見向きもせず、奥の棚に吸い込まれて、立ち止まった。

 棚には髪を結える為の紐が並んでいて、エラは顔を近づけてひとつひとつ吟味していく。


「どれがいいかな……」

「って、仕事中だろ、何で買い物なんかすんだよ」

「とっても重要なことかもしれないので。よし、これとこれにしよう」


 手に取ったのはアイボリー色とモスグリーン色の太めの紐で、店主に硬貨を手渡した。


「お隣、すごい豪邸ですよね」


 お釣りを待っている間、世間話をしかければ店主は気兼ねなく応じた。


「あー、ゾグダールさんとこね。ご老人ひとりで住むには広すぎるくらいだよ」

「おひとりで? メイドさんもいないんですか?」


 お抱えの料理人も執事だっていそうなほどの豪邸に老人一人暮らしとは、何があったのか気になってしまう。

 よその家のことなど聞いたって仕方がない、とゼインは飽き飽きしていた。


「僕はここに店を構えてまだ日が浅いから詳しくは知らないけど、近所の人の話では、かなり前に息子さんが罪を犯したらしくてね。遺体をバラバラにしたって話。息子さん結婚したばかりだったのに、何か結婚生活でむしゃくしゃしたのかな、って」


 他人の不幸は蜜の味、どうやら店主もよその家の噂が好物なようだ。


「怖いですね」

「本当かどうかは知らないよ。何十年も前の話らしいし。最近若い子達が屋敷に出入りしてる姿よく見かけるから、もしかしたらお孫さんかも。単なる噂話だから真に受けない方がいいよ」


 店主はお釣りを手渡しながら、小さくウインクをした。


###


「ただいま戻りましたーっ」


 聞き慣れない明るい女性の声に、他の守護隊員達が呆気に取られてエラに視線を送っている。既に帰所していたマクシムとフリートも、エラとゼインを喫驚した顔で見ていた。


(ゼインさんとバディを組んで、何であんな笑顔で帰ってくるんだ?)


 ゼインと相棒になった隊員は、破王という噂が流れている故に終始緊張の糸が解れず、戻ってくると憔悴しきっているか恐れ慄いてしまっているかのどちらかだった。

 だが今は、ゼインの方が疲弊しきっているという異常事態。あの小さな新米はきっとではないと全員が一瞬で認識した。

 エラは奇怪なものを見るような先輩隊員達の視線には目もくれず、事務所奥の机で仕事をしていたヴァネッサめがけて突進していく。


「隊長ーっ、あー良かった!」


 猪の如く走り寄ってきた新人にヴァネッサでさえつり目を見開いて仰天している。その目の前に、先程買った髪用の紐を二本突き出した。


「これ、使ってくださいっ」

「ん? これは何だ?」


 状況が掴めていないのはヴァネッサだけでない。他の隊員達は、固唾を呑んでその動向を見守っていた。


「そんなことより報告だろ」


 隣に立ったゼインが、紐を持っているエラの腕払い除ける。


「火事の目撃証言だが——」


 ゼインが言葉を止めたのは、エラの小さな掌が横から伸びてきて静粛を求めてきたからだ。

 オッドアイの瞳は、真っ直ぐにヴァネッサの髪を結わえている紐に向けられている。ふと、閉ざされていた小さな口はぼそぼそと数を数えはじめた。


「三、二、一……」


 一拍おいて、ぶちっと細い紐が切れる音が、静寂に沈んだ探訪所内に響き渡る。直後、高い位置で結わえていたヴァネッサの暗い赤茶色の癖の強い髪が背中に下りてきた。

 ヴァネッサの髪を結わえていた紐が千切れたのを確認すると、エラは照れたように目を細めた。


「一秒ずれちゃいました。これ、差し上げます。使ってください!」


 何故紐が千切れることを予見していたのか、とその場にいた全員が不思議そうにエラを見ている。

 訳もわからないまま、ヴァネッサは手を伸ばすとエラから髪用の紐二本をもらい受けた。


「す、まない」


 取り敢えずアイボリーの紐で結わえようとすると、すかさずエラが「違いますっ」と制してくる。

 隊長相手に物怖じしない新米に、守護隊員達は驚きを通り越して感心してしまっていた。


「二色の紐を贅沢に使って髪を縛るのが、今の流行りですよ?」

「ハヤリ?」

「貸してくださいっ」


 ヴァネッサの手から紐を奪い取ると、背後に回り込んでアイボリーとモスグリーンの紐で手際良くひとつに結んでいく。最後に蝶々結びをして止めると、エラは満足そうに口角を上げた。


「うん、お似合いです。とっても可愛いですよ、隊長っ」

「かわ……っ」


 生まれてこの方、可愛いなどと言われたことのないヴァネッサは、耐性がなくて頬を赤らめている。

 その様子を遠巻きに見ていたフリートも、心の中で幾度となく可愛いを連発していた。なかなかお目にかかれない髪を下ろした姿も綺麗だったと、オーキッド色の瞳はうっとりとヴァネッサを見つめていた。


「さっ、ゼインさん? ぼーっとしてないで報告しましょ!」

「誰がぼーっとだ、話の骨折ったのお前だろ」

「私はじゃありませんっ。もう私の名前忘れちゃったんですか? 忘れん坊さんなんですね、ゼインさんって」

「俺は、一度でも見たもの聞いたもの触ったもの嗅いだものは絶対忘れねぇ」

「それならちゃんと名前で呼んでくださいっ」

「んなことより、なんで髪の紐切れるって分かったんだよ?」

「なんとなく、ですっ」

「何なんだよ、そのふんわりとした理由は!?」

「なんとなくは、なんとなくで——」


 エラとゼインの言葉の応酬をかき消したのは、ヴァネッサの拳が机を思い切り叩く音だった。


「報告はするのか? しないのか?」


 威圧感のある声音に背筋をびくっとさせたのはふたりだけではなく、遠くにいたマクシムが「ひやっ!」と女々しい悲鳴をあげていた。


「「報告します」」


 揃えたわけではないのに、一言一句違わぬ言葉を発して聞き込みの結果を報告し始めた。



 新人という新しい風は爽やかで新鮮で、先輩隊員達に過去の自分を想起させ士気を高めてくれる。

 トードスカ東部守護隊に吹き込んできた風は、旋風つむじかぜの如く周囲のものを巻き込んで掻っさらっていくほどの力を含んでいるようだった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る