僕の女神を悪く言わないでもらえる?

 一度支所に戻ったフリートとマクシムは、火災現場から帰ってきたヴァネッサと支所の正面玄関で鉢合わせになった。 

 吊り上がった緑色の双眸と視線がぶつかれば、フリートの胸が一度深く沈んで高鳴りを始める。


 ふたりは、ヴァネッサに墓荒らしについて詳らかに報告した。ヴァネッサの頭に直ぐに思い浮かんだのは、火災現場から見つかった身元不明の遺体。

 墓から遺体を盗んだ何者かが空き家に運んで火を点けた、と考えるのは時期尚早か、とふと浮かんだ憶測を頭の片隅に留めておく。


「他の墓を荒らしていないということは、犯人は『124番』の墓だけを狙っていたことになる。少なくともご遺体の身元を知っている可能性が高い。身元の特定をすれば犯人に近づけるはずだ。十七年前だから難しいとは思うが、ご遺体の死亡を確認したという町の医術師と神官の所に当時の資料があるかもしれない。まずはそこを当たってくれ」


 身元不明遺体に関する情報は、本来ならば管轄内の守護隊の報告書を見せてもらえば良いのだが、十七年前はまだ守護隊は発足していない。故に、一からの捜査になる。


「照会状を書く。少し待っていてほしい」


 ヴァネッサは自身の席に腰掛けると引き出しから羊皮紙を取り出した。羽ペンは湖面を泳ぐ白鳥のように優雅に動き、刻まれる文字は大空を滑空する鷲のように力強い。

 一筆書き終えると、羽ペンを机に放って羊皮紙をぐしゃっと掴み、ふたりの前に差し出した。


「これで見せてくれるはずだ」

「「ありがとうございます!」」


 支所を出て町の医術師のもとへ向かう道中、ヴァネッサから渡された照会状を見ながら、フリートは自然と笑みが溢れてしまっていた。


(隊長の文字、綺麗だな……)


 まるで意中の人から恋文を受け取ったようにうっとりと羊皮紙を眺める相棒に、マクシムは苦笑いを浮かべた。


「鼻の下伸びてるぞー」

「あっ……」


 マクシムに指摘され、慌てて緩んだ口を元に戻そうと悪戦苦闘する。その様子にマクシムは失笑してしまう。


「隊長のどこがいいのか俺にはさっぱり分からない。顔怖いし、口調怖いし、足音も怖いし、それに……怖いしか出てこない」

「僕の女神を悪く言わないでもらえる?」


 フリートは不服そうに下唇を突き出してみせる。二十歳の男がするにはいささか幼稚な表情だが、眉目秀麗な男はそれでも様になってしまうのだから狡い、とマクシムは羨ましがった。


 フリートはヴァネッサに秘かに思いを寄せている。美しい町娘にいくら誘惑されようが、フリートの目にはヴァネッサしか映っていない。


「いっそ思いを伝えればいいじゃないか」


 幾度となくマクシムが提案しても、フリートは頑なに拒んでくる。


「そんなことできるわけないよ。僕にとって隊長は……彼女は絶対に手の届かない高嶺の花だから」


 ヴァネッサの兄は、ハドニオーネ王国軍を率いる将軍、ワイアット•ゲーンズウォルガー。歴代将軍の中で最も腕の立つ戦士と称されている。

 ゲーンズウォルガー家は、先祖代々将軍として長年王国を守り抜いてきた生粋の将軍一家だ。


 一方のフリートは、トードスカの南部に店を構えるしがない仕立て屋の一人息子。

 将軍家の令嬢が、平民の、しかも八歳も年下の青臭い青年なんぞに振り向くわけがない。だから、恋心は胸に秘めることにした。ヴァネッサを遠巻きに眺めていられるだけでも幸せなのだと自分に言い聞かせて。


「もしも隊長が誰かと結婚したらどうするつもりだ? お前、それでもいいのか?」


 飽きもせずにヴァネッサの文字を見てニヤけているフリートに訊ねると、間の抜けた顔を向けてきた。


「……考えたことなかった」

「おいおい、隊長だって二十八だろ? いつ結婚してもおかしくないって」

「そうだよね。あんなに綺麗な人を世の中が放っておくはずない」

「う、うーん……まあ、な?」


 マクシムは曖昧に返事をして、その場をやり過ごす。世間一般的にヴァネッサの顔貌は綺麗なのかもしれないが、マクシムにとってあの緑色のつり上がった双眸は恐怖心を煽ってきて、そもそも綺麗かどうかを考えたことなど一度もなかった。


「もしその時がきたら隊長を全力で祝福する。好きな人には、幸せになってもらいたいからね」


 少し寂しそうな笑顔を見せるフリートにマクシムはかける言葉が見つからずに「そっか」と言うにとどまった。



 トードスカ西部のメビト地区にある『ドヴォル医術院』。院長を務めるガザス•ドヴォルという四十代の医術師のもとへふたりが訪れたのは、午後の診療時間中だった。

 診療が的確で病気もすぐに治るという評判の医術師のもとへ通う患者は多く、待合室はごった返している。


 受付にいた若い女性が院長室にふたりを通してからしばらく待っていると、白衣を着た中肉中背の中年医術師、ドヴォルが入ってきた。


「お待たせして申し訳ない」

「いえ、こちらこそお忙しい中ありがとうございます」


 フリートが言うと、マクシムと共にお辞儀をする。

 その直後、ふたりを案内した若い女性が後から入ってきた。彼女の顔が隠れてしまうほど、古い羊皮紙が塔のように積み上がっている。それを両手で持ち、よろめきながらも机の上に置いた。かなりの量が雪崩れて、床に滑り落ちていく。


「なにせ十七年前ですからね。この中にあると思うのですが……」


 ドヴォルと若い女性、フリートとマクシムは手分けして古い死亡確認記録書の中から、該当するものを探し始めた。


「あ、これですか?」


 探し始めて数十分後。マクシムが手にしていたのはひときわ古く黄ばんだ羊皮紙だった。

 氏名の欄は空白、十七年前にメビト地区の路上で亡くなっていた旨が書かれている。ドヴォルに手渡すと、首からさげていた丸い眼鏡をかけた。


「おお、恐らくそうですね」

「どのような状態で見つかったのか、覚えていらっしゃいますか?」


 フリートが訊ねると、ドヴォルは眉間に皺を寄せて考え込んでいる。


「医術師として働くようになってから、多くの方の死に目に遭ってきましたから記憶が曖昧でしてね。身元の分からない方の死亡確認の依頼も、何十件もありましたからな。ちょっと鮮明には思い出せません」

「そうですよね」

「この死亡確認書に書いてあること以上のことは、申し訳ないが思い出せることはありませんね」


 ドヴォルから受け取った死亡確認書には、特段気になるところは見つからなかった。


 所見では、死因は餓死。遺体は推定二十代から三十代の男性で、体は骨が浮き出るほどに細く見窄みすぼらしい身なりだったことから、浮浪者ではないかと書かれていた。

 身元が分かりそうな持ち物もないため、身元不明遺体として埋葬したらしい。


「ご協力ありがとうございました」


 空振りに終わり、意気消沈したふたりが頭を下げると、ドヴォルも申し訳なさそうに眉を下げる。


「お力になれませんで」


 フリートとマクシムが外に出ると、既に日暮れの時間になっていた。


「帰って隊長に報告しよう」


 フリートは死亡確認書の内容を書き写した羊皮紙に目を通す。

 今日の捜査の収穫はゼロに等しい。だが、そう珍しいことでもない。守護隊として必要な素質は、地道な捜査にも堪える粘り強さと、捜査に進展がなくとも食らいつき直向きに真実を追い求める精神力。これがなければ、仕事を続けることなどできない。


「明日に期待、だな」


 マクシムが肩をぐるぐる回して凝りをほぐしている。


「ドヴォルさんと一緒に死亡確認をした神官の所に行けば、もしかしたら何か分かるかもしれないね」

「だといいけどな。十七年前に身元が分からなかったのに、今更どうやって探し出せばいいのやら」

「やるだけやるしかないよ」

「だな。お前の女神様からのご指示だからなー」


 マクシムが揶揄うと、フリートはかなり不服そうな顔で睨みつけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る