『124番』
——数十分前。エラとヴァネッサが火災現場へ向かっていた頃。
トードスカ東部守護隊支所では、見回りを終えて帰所した隊員や他の仕事が一段落した隊員達で、賑やかになっていた。
フリートとマクシムも、報告書を書き終えて一息つく。
「なあ、マックス」
フリートは、同い年で養成所も同期である為、マクシムのことは愛称の『マックス』と呼んでいた。頭の中にあった疑問が解けず、バディに助けを求めたのだ。
「どうした?」
「僕って、まともじゃない?」
一瞬、意味が理解できずに思考が停止したが、マクシムは否定する。
「お前がまともじゃなかったら、世の中の人は皆まともじゃないと思うけど?」
「うーん、そっか……ありがとう」
では、何故後輩達の間でまともではないという噂になっているのだろうと腑に落ちないフリートを横に見ながら、何か思い浮かんだのか突然マクシムが意味ありげに薄笑いを浮かべた。
「ひとつだけあった、お前のまともじゃない所」
「それって?」
「女の趣味」
「なっ……!」
反論しようと口を開けた時、正面玄関の扉が勢いよく開いた。六十代の痩身の男性が、息を切らしておぼつかない足取りで、支所内に走り込んできた。
よろめく男性を支えようと、フリートとマクシムはカウンターを飛び越えて駆け寄る。
近くにあった椅子に腰掛けさせると、痩身の男性は息を整える間もなくふたりの隊員に迫った。
「墓から……棺が……遺体がなくなっている!」
途端に顔から血の気が引き、がたがたと身体を震わせたのはマクシムだった。
「もしや……
絶叫して頭を抱え、一目散に事務所の奥へと引っ込んでしまった。
「あの体の大きな隊員さんは大丈夫かい?」
「いつものことなので気にしないでください。それより、詳しく話を聞かせてくれませんか?」
フリートに促されて男性は事の次第を語り出した。
ダズリー•ヒューストンは、共同墓地の管理人だった。毎日午前六時と午後五時の二回、たっぷり三時間かけて念入りな掃除を行うのが日課だ。
彼の掃除は生真面目な性格からか、塵ひとつ残さぬ徹底ぶり。死者が綺麗な環境で安眠できるようにと妥協を許さない。
今朝も、六時ぴったりに掃除を開始し、いつもと同じく東側から西側に向かって箒とちり取りでゴミを取っていた。
西側の出入り口に近づき、午前中の掃除も無事に終わるかと思われた。が、ダズリーの目に飛び込んできたのは不自然に盛られた土。毎日通うダズリーだからこそ覚えた違和感、躊躇いながらも穴を掘れば、そこから棺がなくなっていたという。
共同墓地は、太陽を遮るものはない開けた平地となっていて、明るく爽やかな青空の下で青々と茂った芝生の上に墓石が綺麗に並んでいた。
だが、棺がなくなったという西側の隅の場所は、どうも薄気味悪い。
数十個の墓石を覆うように老木が影を作り、空気はじっとりとしている。老木の幹には歪な節がいくつもあって、見る場所によっては悲しげな人間の顔と錯覚して不気味だ。
墓石は、まるで川底から適当に引き上げてきた丸いもの。普通ならば故人の名前と命日などが丁寧に彫られているのだが、ここの墓石にはひとつひとつに番号のみが彫られているだけだった。
穴の中を調べていたフリートは、周囲に目を向ける。この辺りの土は湿っていて柔かい。しかも、昨夜十時頃まで雨が降っていたから余計だ。
棺を運ぶ際に使った荷車の車輪の後や足跡がいくつもついていたものの、ぐしゃぐしゃに踏み潰されてしまっていて、犯人が何人なのか全く分からない。
西側の出入り口の方に向かっているものの、そこから先の道は石畳で、荷車の車輪の後は潰えてしまっていた。
フリートは、隣で体を縮ませて恐怖に震えているマクシムと、ダズリーと交互に視線を向ける。
「昨日の午後八時頃、午後の掃除をし終えた時にはいつも通りだったんですよね?」
「ああ、そうだよ」
フリートが訊ねれば、ダズリーは淀みなく答える。
「ということは、昨晩の八時から、ダズリーさんがここにやって来た今日の午前九時までの間に、遺体を盗んでいったということになります」
「でも、どうしてご遺体なんか盗んだんだ? そんな罰当たりなこと誰が……」
顔面蒼白のマクシムは小首を傾げた。
「隊員さんの言う通り、本当に罰当たりな奴だ。せっかく女神の御胸に還られたのに……」
ダズリーの声音からは、憤りを感じる。
死後、埋葬するのは土に眠るイリュトゥナの元へ肉体と魂を還すためだと言われている。
肉体は土に、魂は全ての生き物の母であるイリュトゥナに抱かれて安らかな眠りにつく。
ハドニオーネ王国では死者は火葬ではなく土葬され、墓地ではなるべく私語や騒音は慎むように幼少期に親から教わる。墓を掘り起こすなど、もってのほかだ。
「ここにはどなたが埋葬されていたんですか?」
フリートが訊ねると、ダズリーは困った顔をして首を横に何度も振る。
「分からないんだ。この場所は、すべて『名無しさんの墓』でね。身寄りもなく名前も分からないままに亡くなっていたり、様々な事情で家族の墓に入ることを許されなかった方達の場所なんだ。だから、通し番号で整理されている」
ダズリーは、管理棟から羊皮紙の束を持ってくると、指を舌で湿らせてペラペラと捲り始めた。
「確か……ああ、これだ。盗まれたのは、『124番』さんだな」
ふたりはダズリーから受け取った一枚の紙に目を通した。それは墓を管理するためのもので、誰がどこに埋葬されているかが書かれていた。
『124番』の遺体が発見されたのは十七年前の春のこと、死亡を確認したのは町の医術師と神官で、身元不明のまま即日埋葬された旨が記載されていた。情報は、たったそれだけ。
「この管理表はお借りします。また何かありましたら遠慮なく守護隊に申しつけてください」
「どうか、よろしくお願いします」
ダズリーが管理棟に戻っていくのを見送ると、マクシムは既に歩き始めていた。一刻も早くこの場を離れようと、逃走していく。フリートもその後を追いかけた。
大男のマクシムの一歩は大きい。しかも早足なので、フリートは全力疾走で並走していた。
「マックス待って! どこに行こうとしてるか教えてよ」
「目撃者がいるか聞き込みしようぜ!!」
脇目もふらず西側の出口にまっしぐらなマクシムは早口になっている。
「そうだね。本当はもう少しあのお墓の周辺を捜索したかったけど……」
名残惜しそうに振り向くフリートとは裏腹に、マクシムは首を横にけたたましく振った。
「無理無理! あんな薄気味悪い場所にいたら夜ひとりでお手洗いなんて行けない!」
「犯人が何か残してるかもしれないんだよ? もし捜索しないままに支所に戻って、隊長に問い詰められたらどう答えるつもり?」
マクシムが急停止した。脳内では、ヴァネッサが鬼のような剣幕でマクシムに詰め寄っている場面を想像していた。それだけで、マクシムの体からは冷や汗が出て、歯がガタガタと震え始める。
「よ、よよよよし……じゃあ、ぱぱっと捜索してから、目撃者を探そう」
素直に戻って行くマクシムの大きな背中を、フリートは苦笑しながら追いかける。
だが、墓地には犯人の手がかりはなかった。昨晩の雨と、身寄りのない人達の墓には誰も寄り付かない為に、有力な目撃証言も得られなかった。
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