ガルウィン•ユーリウス
イリュ•モーセン神殿は、トードスカ中央部に社殿をかまえ、はじまりの女神イリュトゥナを祀る最古の神殿として人々の信仰を支えていた。
イリュトゥナが土に還ったと伝わる
毎月、還地日と同じ日に参拝する熱心な信者もいて、フリートとマクシムが訪れた時はちょうど月還地日礼拝の最中だった。
参道の入り口の両端には、スズランを模した香炉が地面近くに佇んでいる。
香炉からは、甘いとも苦いともとれる複雑で強い香りを放つ、モグナというイリュトゥナに捧げるために作られたお香の独特な匂いが漂っていた。
マクシムは思わず息を止める。あまり得意な匂いではなかったからだ。
「うう、匂いが強すぎて頭がくらくらする」
鼻を指で摘んだマクシムは、足早に香炉の前を通り過ぎた。
「仕方ないよ。イリュトゥナに捧げる香りなんだから」
そうは言ってもフリートも苦手な方だった。香りを吸い込まないようになるべく浅い呼吸を心がけていた。
その中をくぐり抜けたふたりの前に、本殿が立ちはだかった。
本殿の入り口は大理石の太い柱が四本並び、この世に生きる全ての生命の源である水、火、土、風の抽象的なモチーフが彫刻されていた。
本殿の柱近くに立っていた神官に声をかければ、本殿の裏手にある小さな裏口から入った先の小部屋へと倒された。
荘厳な大理石の本殿の中とは思えぬほど、質素で小さな部屋だ。壁も天井も床もすべて古木で作られ、小さなテーブルと椅子が真ん中にあるだけ。四角い窓も小さすぎて、外を眺めることもできない。
フリートとマクシムが椅子に腰掛けて待っていると、腰をかがめないと入ることのできない小さな扉から神官が入ってきた。
ふたりが声をかけた者とは別の人物で、妙齢の女性だった。事の次第は先程の神官から聞いていたのだろう、神官の女性は単刀直入に話し出した。
「残念ですが、当時、そのご遺体の死亡確認に向かった神官はここにはいないのでお話しできることはないかと思います」
「そうですか……。ちなみに、当時の神官の方は今はどちらに?」
フリートの問いに、女性神官は一度視線を上に向けた。記憶を探っているのだろう、顔を顰めて考え込んだ後、自信なさげな表情をする。
「……確か、七年くらい前からナージェン魔術大学校で教鞭をとっているはずです。女神の信仰学とかいう授業の。なんでも、母校だとかで断れなかったそうで。今はどうか分かりませんが、魔術大学校へ行ってみてはいかがでしょうか?」
神殿を後にしたふたりの足は、ナージェン魔術大学校へと向いていた。
「まさか神官を辞めて母校で教師になっているとは」
外に出る際、再びモグナの香りの中を行かなければならず、たまらず鼻を摘んだマクシムはそのまま声を発した。おかげで、普段のいかつい声がおかしな声音になってしまっている。
「何か覚えていればいいけど」
フリートは共同墓地の管理人であるダズリーから借りた管理表に目を移す。管理表の文字は年季が入ってインクが薄くなっている。それでも、死亡を確認した神官の名はしっかりと刻まれていた。
——ガルウィン•ユーリウス。
ゼインとエラもまた、故郷に帰っているユーリウスを追って魔術大学校の図書館を後にしているところだった。
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両脇に講義室や教授の部屋が並ぶ長い廊下を歩いていると、エラの鼻はあの匂いを嗅ぎつけた。聞き込みをした首席学生のハンナの部屋から香ってきた、葬式の時に焚かれるお香。
どこからだろうと周囲を見ても、学生の姿はない。足早に先を行くゼインを置いて、一歩ずつ後退していく。
匂いを強く感じたのは、ガルウィン•ユーリウスの部屋だ。
(この香りがしてきたってことは、教授は故郷での葬儀を終えてここに立ち寄ったのかな?)
ノックをしても返事はなく、開けてみようにも鍵はかかっていて中に入ることはできない。帰ってしまったのかと落胆していると、先に行っていたはずのゼインが隣に立っていることに気づいてぎょっとした。
「何してんだ」
「ゼインさん、この匂い気付きません?」
「ああ、あの首席学生の部屋から匂ってきたやつか」
「はい! でも残念です。教授はいないみたいです。すれ違いでしたかね」
諦めて立ち去るも、もしや居留守でも使っているのでは、と頭によぎり、曲がり角でエラはふと振り返った。その様子を左目の端で捉えたゼインも、導かれるようにエラの視線の先を追う。
ちょうど講義が終わったのか、講義室から続々と学生が廊下になだれ込んできて一気に騒々しくなっていく。
群れの中でユーリウスの部屋をちらりと覗き見る者がいた。その女子学生に見覚えがある。ハンナだった。
咄嗟に、ゼインが壁沿いに背をつけた。曲がり角でちょうどハンナからは守護隊ふたりが見えない位置だ。
「何を……ぐはっ!」
ぼうっと突っ立っていたエラの胸ぐらを掴むと、自身の隣に放り投げる。壁に体が衝突したエラはひとくされ文句を言おうとしたものの、その口をゼインが塞いだ。
もう片方の手は人差し指だけを伸ばした状態で、自分の口元に当ててエラに静寂を求める。
ふたりは壁に背を付けた状態で、ほんの少しだけ顔を覗かせて様子を窺った。
ユーリウスの部屋を見るハンナは、口元が緩み、頬を赤く染めていた。その姿はまるで恋する乙女のはにかんだ笑顔そのものだとエラは感じてしまう。
ハンナの姿が見えなくなった頃、守護隊ふたりは顔を見合わせて再びユーリウスの部屋の前にやって来た。
「ハンナさんこの部屋を見てましたよね。何か特別なものでもあるんでしょうか」
図書館で独り言ちた双頭の蛇に関することといい、エラの着眼点だけは良い。だが、問題はその次なのだ。
「まさかお前、教授と学生の禁断の恋とか言わないだろうな」
「な、何故それをっ。もしやゼインさん、私の考えていることがよめるんですか?」
ゼインは案の定だと鼻をならす。
「ったく、お前は見る力はあるのにそこから推理する力はとことんねぇから残念な奴だな」
「残念ってひどくないですか?」
「あのな、お前が考えているのは何の根拠もないただの妄想だ。教授の部屋を見てたからって教授と学生が恋人同士である証拠にはならねぇよ。しかも事あるごとに誰かと誰かをくっつけようとしやがって。お前はそんなに恋に飢えてんのか」
ゼインの言うことは正論で言い返すこともできず、口を尖らせて拗ねてみる。
「何で頭がくっついてっか知ってるか? 物事を記憶して筋道立てて考えるためだ。髪の毛で遊んで化粧してお洒落する為だけについてんじゃねぇよ。ちゃんと頭動かして考えろ、バカ」
「バカって言わないでくださいっ」
「お前こそバカって言わせんな、バカ」
「うっ……」
「支所に帰るぞ。隊長に出かける許可を得ないとな」
捜査の関係で管轄外へ出向く際、隊長の許可証がなければならない。ユーリウスの故郷はトードスカの隣町で、そこの守護隊へ許可証を渡してから捜査をすることができる。
ナージェン魔術大学校からの帰り道、偶然フリートとマクシムの同い年バディと出会した。
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