確保
ハンナ•クレメンスは、ナージェン魔術大学校の歴史の中でも指折りの優秀な学生だった。父、ジュゼロッタでさえも最優秀主席学生の称号を取ることは叶わなかった。
彼女の卒論に期待を膨らませた傍聴者達は、ハンナの言葉を今か今かと待っている。
すうっと息を吸い込んで、ハンナは以前から熟考していた文言を声にのせて届ける。
「我々人間は、劣等感から魔術を生み出し、ここまで発展させてきました。今では人間の生活に必要不可欠な存在です。先人達の知恵と工夫が、今の世界を作り上げているといっても過言ではないのです」
一度言葉を区切る。傍聴者達は耳を傾けて聞き入っている。
「ですが、我々にはまだなし得ていないものがあります。何故精霊達は我々を劣等動物と蔑んだのか、皆様ご承知のことと思います。それは、
ハンナの論文とは論点がずれていて、傍聴している魔術師達は少しざわめいていた。それに構うことはない。
「もし、
舞台袖からフードを被った者達が二台の荷車を押して現れ、ハンナの後ろに固定される。
「本日、皆様は目撃者となるのです。
被っていたシーツが剥がされると、大講堂中に悲鳴があがった。
一方の荷車に立てかけられたベッドに、手足を拘束されたドヴォルがいた。猿轡をはめられ、うめき声をあげるその首には
その隣、蓋の空いた棺の中
恐怖に耐えかねて逃げようとする傍聴者達は、我先にと出口に詰め掛ける。だが、事前に鍵をかけていたのだろう、扉は開かずに怒号が飛び交う。
「皆様、席にお戻りください! 静寂に! 崇高な儀式の場ですよ」
フードをとった男が声を張り上げた。その男は、以前エラが声をかけた男子学生だった。
逃げ場を失った魔術師達は、恐れ慄きながらも席に戻っていく。
ハンナは、手にしていた金の鎖を傍聴者に見えるように高々と掲げた。
「この鎖がふたつの
鎖を首輪に取り付ける為、ハンナはジュゼロッタの遺体に近づいた。かすかに香るモグナを感じながら、首輪に手をかけた。
刹那、固いものどうしがぶつかり合う鈍い音と振動が大講堂に響き渡った。その場にいた全員が、何の音かと探し始める。
その音は鍵がかけられた扉から聞こえてきて、何度かぶつかり合ったかと思うと扉を大きな丸太が突き破ってくる。
ハンナ達の目に飛び込んできたのは、丸太を担いだネイビーブルーの詰襟の隊服を着た者達。その隊服を見れば、この国の者であれば彼らの正体はすぐに理解できる。
丸太を置くと、瞬時に剣帯から長剣を抜き取り構えに入る。中央で毅然と立つ女性隊長が、野太い声で威圧した。
「トードスカ東部守護隊だ。全員その場から動くな」
それを合図に、半分の隊員達は通路を足早に進んで舞台上へと飛び移った。その中にはぶかぶかの隊服の袖を捲って長剣を構えるエラもいる。後方に立ったヴァネッサとゼインは、様子を窺っていた。
「両手を上げてひざまづけ」
ヴァネッサの指示に、四人の学生は素直に従った。だが、ハンナだけは震える手で鎖を握りしめながらジュゼロッタの前に立ち塞がっている。
「お願い……父に会わせて……!」
意志のこもった芯のある声に、エラの心が痛んだ。罪を犯したとしても、ハンナにとってジュゼロッタはたったひとりの父であり尊敬する魔術師。会って話をしたいと思うのも、無理はないのかもしれない。ただ、守護隊として見逃すわけにはいかない。
長剣を構える隊員達の合間を縫って、ゼインが歩み寄る。左目の鋭利な眼差しにも、ハンナはたじろぐことなく睨み返している。
「女神のもとに還してやれ。ジュゼロッタは、死んでるんだ」
「蘇らせるんです。『巡還のウロボロス』を使えば、父は——」
「俺も論文を読んだ。実験結果も全部隅々までな」
すると、ハンナの顔がやや綻んだ。
「なら、あなたも魅了されたでしょう? 人間の理想を叶える素晴らしい魔術ですから。もう二度と、死への恐怖に打ちひしがれることもないのです。それに、愛する人と別れる寂しさもなくなるのですよ?」
「だな。死んだ奴にもう一度会いたいと思っている奴には、救いのような魔術だ。だがな、この魔術は完成していない」
「そんなことありません」
ハンナの綻んでいた顔が険しくなり、眉を寄せる。気が立つハンナとは裏腹に、ゼインの口調は落ち着き払っていた。
「実験は幾度となく失敗したと書いてあった。この装置だけじゃ、魔術は発動しねぇ」
「でも、私達ならきっと——」
「何で人間が魔力を使えないか、知ってっか? ——魔力を使うには、俺達人間はまだまだ赤ん坊で救いようのないバカだからだよ」
人生において、ハンナは人からバカだと罵られたことは一度もなかった。だからだろうか、バカという言葉が重々しく心に響いて絶句する。
「墓荒らし並びにドヴォル誘拐罪で、お前の身柄を拘束する」
力の抜けた手から金の鎖を奪いとったゼインは、細い手首に縄をくくりつけた。
残りの四人の身柄も拘束し、隊員達に連行されていくのをエラとゼインは静かに見守った。
手足の拘束具と猿轡を外されたドヴォルは、額の冷や汗を拭ってひとつ安堵のため息をつく。
「助かった……ありがとう隊員さ——」
ほっとしたのも束の間、ドヴォルの視界にはつり上がった緑色の双眸が光り、生唾を飲み込んだ。
「ガザス•ドヴォル。支所まで御足労願いたい」
「な、何故だ? 私は被害者だ。このまま失礼する……っ?」
ドヴォルの
見やれば、殺気立って憤怒の炎が背後から噴出しているヴァネッサと目が合い、戦慄して体が硬直する。
「二十二年前の裁判で虚偽の証言をしたな?」
「裁判はユーリウスが全て証言した。私は隣にいただけで——」
「黙って隣にいたのか? ユーリウスの証言が嘘だと知っていたなら、訂正するのが友人ではないのか?」
「だが——」
「裁判の記録は全て残っている。証言者の言葉だけでなく、仕草や表情まできちんと書き残されている。嘘偽りない証言をすることを裁判前に書く宣誓書のサインも残っている。ユーリウスの証言に頷いたとするならば、それは嘘の証言をしたユーリウスに同意したとみなされ、確実に虚偽罪に問われる。言い逃れはできない、いや、させない」
ヴァネッサの威圧に押し込められ、ドヴォルは言い返すこともできずに小さく「……すみませんでした」と謝罪の言葉を呟いた。
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