自分の目を信じる、考える。

 ベンの高らかな笑い声が、不穏な響きを持ってこだまする。『巡還のウロボロス』に必要なのは金の首輪ゴルディーカーと蘇らせたい死者の遺体、そして生贄の生者だ。


「ジュゼロッタの体に流そうとしている命ってのは、ドヴォルだな?」

「ご名答だ。あいつはユーリウスよりタチが悪い。父親から医術院を引き継ぐことになって、禁断の研究がもし表沙汰になれば医術師としての道が終わると怖くなった。息子ひとりになすりつけようとユーリウスに持ちかけた卑怯者だ。存分に死への恐怖を味わいながら、大勢の者の前で死に行けばいい!」

「どこで儀式をしている。答えろ」


 ヴァネッサが問い詰めても、ベンは話す気はないのか口を閉ざしてせせら笑うだけ。

 儀式をしている場所が分からなければ、止めることはできない。


(どうしよう。このままじゃ、ハンナさん達は更に罪を重ねちゃう。でも、儀式が行われていそうな場所なんて見当もつかない)


 ——お前が自分の目を信じなかったら誰が信じてやれんだ、バカ。


 エラを叱咤するように、ゼインからかけられた言葉が再生される。


 ——先入観に囚われるな。


(今まで私の目が見てきたものを、もう一度見返そう。先入観に囚われて見落としてるものがあるはず……)


 瞼を閉じて意識を記憶の中に集中させる。

 先入観を捨てて真っ新な瞳で、再度記憶を見始める。


 ふと気になったのは、ユーリウスの教授室へ駆けるハンナの姿を記憶したもの。

 あの時、恋する乙女にも似た顔で部屋へと急ぐ彼女に、ユーリウスと恋仲なのではと変な妄想に取り憑かれていた。エラの脳内では、粗暴な口ぶりのゼインが「もっとよく考えろ、バカ」と罵ってくる。


(あれは愛しい人にしか見せない顔だった……愛しい人って恋人に違いないって先入観が邪魔してたけど、他にもあるよね。例えば、家族とか尊敬できる人とか……そういえば。ベンさんは、ハンナさんも『巡還のウロボロス』に魅せられたひとりって言ってたっけ。もしそうなら、自分の父であり、その魔術を完成させたジュゼロッタさんを尊敬しているに違いない。それに、あの時教授室から香ってきたモグナは、葬式の時に焚かれるものじゃなくて香り袋からのものだったとしたら……棺は儀式を行う場所に近い所に保管しておくはず。だとしたら儀式の場所は——)



 時を同じくして、ゼインも儀式が行われる場所を模索していた。見たもの聞いたもの嗅いだもの触ったもの味わったもの、全てを覚えている男も記憶を弄っていた。


(確かベンは、大勢の人の前で執行すると言ったな……公衆の目の前ということか? いや、奴らの目的のひとつは復讐だ。復讐……誰に対するものだ?)


 ——明明後日に卒業論文の発表があるので。


 記憶を旅するなかで、ハンナの言葉が妙に引っかかって離れない。


(初めて聞き込みをした日から既に三日経っている。今日が卒論の発表日……そうか。魔術大学校の卒論発表は、国内から大勢の魔術師が参加する。復讐する相手は事件に関わった者だけじゃない。偉大なる魔術師の博士号を奪って永久に魔術師界から追放し、崇高な魔術を永遠に葬り去った全ての魔術師への復讐……ならば儀式の場所は——)


 エラとゼインは顔を見合わせる。示し合わせたわけでもなく、ふたり同時に声を発した。


「「ナージェン魔術大学校!」」


 走り始めたふたりの背を、ヴァネッサの焦った声が追いかける。


「待て! どういうわけか説明しろ!」

「それどころじゃないです! 急がないと間に合いませんっ!」


 振り向きながらエラが声を張り上げた。


「走りながら説明すっから、ついてこい!」


 ヴァネッサはフリートとマクシムを含む数人の隊員にベンのことを任せ、大多数の隊員と共に急くように町を疾走するふたりを追従した。



 ——ナージェン魔術大学校の校舎の、中央部に位置する大講堂。そこで、今年卒業予定の学生達による卒業論文の発表会が開催されていた。

 下級生や教授達が大講堂に集まり、発表に耳を傾けている。壇上に上がり、自らの大学生活の集大成ともいえる卒論を発表し終えるとたちまち拍手の渦が講堂内を包み込む。


 学生も教授もいない教授室が並ぶ廊下を、荷車がゆっくりと進んでいく。それを深々とフードを被った人物四人が押していき、ユーリウスの教授室の前で立ち止まった。

 ひとりの人物が鍵を使って扉を開けた。


 四人は部屋に押し入り、中から大きな棺を持ってくると荷車に乗せた。その上から大きなシーツで目隠しをする。

 モグナの香りを漂わせ、大講堂の舞台袖へと棺を運び入れる。そこに、ひとりの人物が待ち構えていた。


「持ってきたよ——ハンナ」


 フードの奥から男の声が発せられる。


「ご苦労様。ついに、偉大なる魔術師が遺した究極の魔術を披露する時がきたわ」


 ハンナは棺をそっと撫でた。愛おしそうに、目を細めながら。


「午前の部最後の発表者は、ハンナ•クレメンスです」


 司会の言葉に大きく息を吐き出すと、ハンナは大勢の魔術師の視線が降り注ぐ舞台上へと踏み入れた。




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