一難去ってまた一難
油の臭いは、隣の家から臭ってくるようだ。
ゾグダール邸の入り口までやって来て、ノッカーに手を伸ばすフリートにマクシムが待ったをかける。
「なあ、ここってゼインさんとエラが聞き込みに行ってる家だよな。だとしたら、ゼインさんが気づかないわけないだろ? 拭き取ってる最中かも」
もし中に入ったところで、手伝いなど不要だと鋭い目で射抜かれでもしたら、とマクシムはふるふると震える。
「臭いからしてかなりの量だよ。行くだけ行ってみよう。もしそれで、手伝わなくていいって言われたら謝って帰ればいい話だし」
「そりゃそうだけど」
(ゼインさんの左目の眼力を直に喰らいたくないんだって!)
そう言おうとしたマクシムなどお構いなしに、フリートはノッカーに手を伸ばして三回叩いた。
「度々すみません。東部守護隊の者ですが」
訪問者など来るわけもないとたかを括っていたのだろう。守護隊の応援が来るとは露にも思わなかったベンは、仰天して視線を玄関に向けた。
(今だ!)
エラは思い切り踏み切って、ベンが握りしめているキャンドルスタンド目掛けて突進していく。その後を、フォローするようにゼインも駆けていた。
だが、油が撒かれた床は滑る。エラも足を取られて前のめりに転倒し、腹這いのままベンの方へと滑っていく。
ふたりの動きに気づいたベンは、慌ててキャンドルスタンドを手から離した。床に着地する寸前、腹這いで滑っていたエラが両手でキャンドルスタンドを掴んだ。
「ふぅー、危なかっ——あ」
安心したのも束の間、掴んだ衝撃でキャンドルスタンドに立てられていた蝋燭が倒れて床へと吸い込まれていく。揺らめく炎が床に撒かれた油に映った時。
ゼインの長い足が蝋燭を蹴り上げ、左手で掴むと息で炎を吹き消した。
「ありがとうございます、ゼインさんっ」
「ドアホ、最後まで気を抜くな」
「バカの次はドアホですか」
「もう少しでまる焦げになるところだったんだぞ。ドアホと言われても仕方ねぇだろ」
「でもゼインさんが助けてくれたじゃないですか」
あどけない笑顔に「まあな」と照れ臭そうに鼻を掻く。その近くで、ベンは力なくへたりこんでしまっていた。
部屋に押し行って来たフリートとマクシムに頼んで、ヴァネッサと他の守護隊員への応援を要請した。
知らせを受けてやって来た檻付きの馬車に、ベンは抵抗することなく乗せられる。
くんくん、と油にまみれた自分の服の匂いを嗅いでエラは顔を顰めた。
「うへぇ。この臭い、しばらく取れませんよね……どうしよう」
「臭えな。隣にいるだけでも鼻がもげる」
鼻で笑うゼインをじとっとした目で睨み、支所に戻ったら着替える時間はあるだろうかと思いを巡らせていると、目の前に隊服が差し出された。
隊服を握る手の先、袖のない黒い服姿のゼインがいた。
「とりあえず俺のを着とけ」
「良いんですか?」
「これからハンナを確保しなきゃいけねぇからな。油まみれで行かせられねぇだろ」
礼を言って、誰にも見られないようにゾグダール邸の隅でさっさと着替える。ゼインの温もりがまだ残っている隊服は、エラにはかなり大きくて袖を何度か捲り上げた。
戻ると、ヴァネッサに次なる指示を仰ぎに向かう。エラが着替えに行っている間に、ゼインから手短に報告を受けていたのだろう。早速ヴァネッサから指示が飛ぶ。
「エラとゼインは他の守護隊と共に、ハンナ並びに事件に関わった全ての学生の確保に向かうように。私とフリート、マクシムはジュゼロッタの棺を探す」
「それなら、ゾグダール邸じゃないですか? さっきモグナの香りがしたので」
ゾグダール邸に入った瞬間、鼻を掠めた匂いは月還地日礼拝のものではなく棺にしまっていた香り袋からのものだろう。ヴァネッサは早速、フリートとマクシムを連れて豪邸内を捜索しようとした。
が、檻に入れられていたベンが、不敵な笑みを浮かべたのをエラの目が捉えた。
「ベンさん、どうしました? 何か可笑しなことでもありましたか?」
「……今、何時だ?」
懐中時計に目をやったヴァネッサが午前十一時だと告げると、ベンは勝ち誇ったように高らかに笑う。
「手遅れだよ、隊員さん。もう儀式は始まった」
——お父さんに会いたかったな。
ベンを始めハンナや学生達は『巡還のウロボロス』の論文を何度も読み返した。それは他でもない、ハンナの望みを叶える為。
「棺はここにはない。残念だが、君達はもう止めることはできないよ。多くの人の目の前で、私達は神を上回る。なんたって、死者を蘇らせる崇高な魔術を手に入れたのだからね」
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