告白と叫び
蝋燭は徐々に短くなっていき、キャンドルスタンドの受け皿には溶けた蝋が冷えて固まっている。
「空き家で起きた火事は、ゾグダール家に出入りができた人物が起こしたんだな?」
ゼインの問いに、ベンは隠すことなく大きく頷く。
「火をつけたのは他でもない、この私だがね」
足腰の弱っている老人が、まさか火をつけて逃げおおせるとは誰も思うまい。
だが、今の状況を見れば策略は明らかだ。蝋燭が燃え尽きるまでに部屋を後にすれば、ベンの弱った足でも逃げることができるだろう。
「一体誰を……殺してしまったんです?」
緊張からかエラの喉はからからだ。
「ユーリウスだよ……『巡還のウロボロス』について話があると言えばすぐに来た。誰にも見つからないようにこっそりと来てくれて助かった。空き家に来た瞬間、眠り薬を嗅がせて眠らせ、火をつけた。全て私ひとりがやったことだ。身元が割れるのを少しでも遅らせる為、葬式に参列すると学校に嘘をついて。同じ日に墓から息子を掘り起こしたのも、火事で死んだのは墓から掘り起こされた遺体だと思わせる為だったが……私が思っていたより守護隊の皆さんは優秀だったようだ。そんな小細工には騙されなかった」
ベンは、己の考えが甘かったと苦笑する。
「共犯者がいるんじゃねぇのか? あんたのその体じゃ墓を掘り起こすのは一苦労だ。例えば、ここに出入りしていた学生」
「お察しの通り。彼らには、息子を墓から掘り起こし然るべき時まで守るように言ってあった。ハンナのことを話せば、皆快く引き受けてくれたよ。『巡還のウロボロス』を紐解くうちに、私も彼らもその魔術の虜になった」
うっとりとした表情のベンからエラが感じたのは、『恋』の感情。『巡還のウロボロス』の、危険を孕みながらも永遠の命をも可能にする魅惑に、ベンをはじめハンナまでも取り憑かれてしまったようだ。
「私も魔術師の端くれだ。息子が書いた論文を読めば、大方理解はできる。あの魔術は確かに倫理的に問題はあるが、使いようによっては無駄を大きく省ける」
「無駄?」
「死刑囚は火刑によって命を奪う。『巡還のウロボロス』を使えば、死刑囚の命を別の人に移し替えることができる。例えば、病を患い余命幾ばくもない人や、生まれつき体の弱い人達、若くして亡くなった尊い人達にな。君達にもいるだろう? 蘇らせたい人のひとりやふたり」
ゼインの脳裏には、ラグノリアの大戦で亡くなった戦友達の笑顔が浮かんでくる。恋人に、姪っ子に、母親に、もう一度会わせてあげたい、と。
「禁断の魔術と蔑まれていたが、『巡還のウロボロス』は人間の理想を叶える究極の魔術。息子はその理論を完成させた偉大なる魔術師。息子を裏切り、のうのうと生きている奴らを、許すわけにはいかない」
「でも、何の関係もないダズリーさんを殺害しようとしたのは一体どうしてです?」
エラの問いに、ベンは恍惚の表情を崩して苦い顔をする。
「以前、ハンナや私が息子の墓の前にいた所を見られていたようでね。人目につかない倉庫に呼び出され、墓荒らしに関与しているなら守護隊には何も言わないから遺体を返してほしいと言ってきた。返すつもりはないと言ったら揉めて、思い切り体を突き飛ばしたら彼が頭を打ちつけてしまって……このままでは彼が目が覚めた時、守護隊に話されてしまうと思って火をつけた」
「そんなことでダズリーさんを殺そうと……」
「復讐が全て終わるまでは捕まるわけにはいかなかった。仕方ないことだ」
「仕方ない、だ? ダズリーが死んでも仕方ねぇってふざけてんのか? ダズリーにだって家族がいる。家族が突然いなくなる悲しみを、お前なら分かんだろ」
声を荒げたゼインの左目は、憎悪で揺れている。
だが、今のベンは正気ではない。全ては愛しい孫娘の為、復讐を誓った鬼と化している。冷酷なまでに冷たい目をふたりの守護隊に向けると、うっすらと笑った。
「これだけ話せば冥土の土産になっただろう? お喋りはここまでだ。私と一緒に死んでもらう」
「ちょ、ちょっと待ってください! 何でっ……何で火なんです?」
「簡単なことだよ。火は全ての証拠をかき消す。それに、火で焼け出された魂は女神の御胸に還ることなく虚空の闇を永遠に彷徨う。死後の安住など、裏切り者のユーリウスにはもったいない。約二十年間偉大な魔術師の息子を名無しの墓に入れ続けた私も、闇夜を彷徨う亡霊になる。復讐の邪魔をしようとしたお前達を道連れにしてな」
ゼインとエラは、互いに目配せをする。
瞬間視力を持ち瞬発力の高いエラならば、キャンドルスタンドから手が離れる一瞬を捉え、撒かれた油に着火する前に防げる可能性は高い。
瞬きもせず、片方の足を一歩下げ、走り出す準備を整えた。
——ゾグダール邸の隣に店を構える雑貨屋では、シルビアに連行されていったフリートとマクシムが店の奥の部屋で立ち尽くしていた。
「それで、ネズミはどこにいたんですか?」
棚の下をわざとらしく覗き込んでいるシルビアに、呆れた物言いでマクシムが問いかける。
「おかしいわねー、ここにいたんだけど。むー。もういなくなっちゃったみたいね」
首を傾げてみせ、フリートに上目遣いで誘惑しようと振り向いた。本人は可愛いと思っているのだろうが、顎を引きすぎてガンをつけているようにしか見えないのが残念だ。
当のフリートは、シルビアの下心などこれっぽっちも気にすることなく、部屋の方々に目をやっていた。
「シルビアさん、どこかで油漏れてませんか?」
「え? 油?」
「たしかに、さっきから俺も気になってた。すごい量の油が流れてるみたいな臭い」
鼻をつまんで、マクシムも臭いの元凶を探そうと部屋を歩き回る。
「この部屋に入る前にも油の臭いがしてたから、もしかしたら外で油が漏れてるのかもね」
「よし、じゃあ外に行って確認してこようぜ」
フリートの言葉に、待ってましたと言わんばかりにマクシムは相棒の背を押して出口へと誘導する。フリートとふたりきりになりたいシルビアの、人を邪険に扱うような目に耐えられなくて撤退する機会を窺っていたのだ。
「え、ちょっと待って! フリート君お茶が——」
なんとしてもフリートを独占したいシルビアが引き止めようと躍起になっている。腕を掴もうと手を伸ばしたが、その前に危険を察知したマクシムがフリートの背中をぐいっと押したくった。
「もし油に引火でもしたら大変なんで、外に行って異常を確認して来ますねー」
「そういうことなので、シルビ——」
フリートが全部言い終わらないうちに、マクシムが後ろ手で扉を閉めてしまった。
シルビアひとりになった部屋に、柄の悪い舌打ちだけが響く。
「もう、なんなのよ!」
怒りに任せて棚を蹴ると、床を爪で引っかきながら灰色の小さな生き物が姿を現した。シルビアの足元に擦り寄り、鼻先をひくつかせて靴の匂いを嗅ぐと「ちゅう」とひとつ鳴いた。
「ぎゃあああああ! 出たっ! 本当に出たぁっ!!」
断末魔のような彼女の叫びは、無情にも守護隊ふたりには届かなかった。
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