3章
隠し事
ゾグダール邸の大きな扉に設置されている獅子の形をしたノッカーを叩きながら、エラが声を張り上げた。
「あのー、トードスカ東部守護隊の者ですが!」
ギシギシと大きな音を立てて開くと、中から二本の杖をついた、老いさらばえた男が姿を見せた。エラを見るなり目を丸くして驚いている。
「この間の新人さん?」
「はいっ、覚えていていただけて光栄ですっ」
ふっ、と奥からモグナの香りが漂ってくる。聞けば、昨日の月還地日礼拝に参列した時の匂いが残っているのだろう、と告げられた。
ゾグダールの屋敷はしんと静まりかえっていた。掃除が行き届いていないのか、天井付近には蜘蛛の巣が張られ、歩くたびに埃が舞う。
豪邸というより廃墟に近い。
そこにひとりで住んでいたのが、ゾグダール家の当主、ベン•ゾグダールだった。
ふたりが通された応接間は、長らく使っていなかったのかソファーも机も埃が蓄積している。ただ、床だけはベンが歩いているからなのか、端の方にだけ埃が溜まっていた。
ベンがゆっくりと腰を下すと、椅子から盛大に埃が舞い上がる。エラは鼻がむずむずしながらも、なんとか堪えた。
ふたりは座る気にもなれずに、ゼインはソファーの横に、エラは窓際にそれぞれ立った。
「それで……火事の件だが、この通りゾグダール家は今、私ひとりしかいない。心当たりなどひとつも見当たらないよ」
ベンはやけに落ち着き払っている。嘘をついていないといえばそうなのだが、守護隊がくることを予感していたから堂々と振る舞えているのではなかろうか、などと深読みしてしまう。
「それにしても広いお家ですね。おひとりで暮らすにはかなりの大きさですっ。メイドさんや執事さんがいそうなくらいに」
部屋をぐるりと見渡すエラに対して、くすっと笑ったかと思うと、ベンは寂しげな表情を浮かべた。
「昔は雇っていたよ。この屋敷も、活気に満ちていた」
「昔、というのはどれくらい昔ですか?」
「……二十年くらい前になるかな」
「ご家族はどうされたんです?」
「……妻は数年前に他界してね」
「お子様は?」
すると、途端に口をつぐんでしまった。触れてはいけないものに触れてしまったのだろう。ひどく罰の悪そうな顔をしている。
「息子さん、いらっしゃいましたよね? 近所の方に聞きましたよ?」
隣の雑貨屋の店主から聞いたことをエラは思い出していた。
それでも無言を貫くベンに、突破口はないかとゼインは部屋を観察し、そして窓の外に目をやった。裏庭に植えられている木々は綺麗に剪定されていた。雑草もほとんどなく、埃まみれの屋敷内とは大違いだ。
「メイドは雇っていないが、庭師は雇っているのか?」
ベンは「ああ」と漏らすと固くなっていた表情を和らげる。
「時々、若い子達が無償で草むしりに来てくれてね。今時感心な子達だよ」
「孫、じゃないのか?」
「……うちに孫はいない」
少しだけ、ベンの顔が悲しそうに歪む。
「知り合いの子か?」
「そんなところだ」
「庭だけじゃなくて家にはあげなかったのか?」
「女の子もいたからね。さすがに、こんな広い屋敷を掃除させるのはちょっと気が引けて……」
「ゾグダール家は魔術師の一族だと聞いた。見られたくないもののひとつやふたつ、あるだろうしな」
「そんなものはないが……」
きっぱりと否定したベンの目が、一瞬だけ左手のドアの方を見たのをゼインの左目は見逃さなかった。
「エラ、そのドアだ」
エラは窓辺から指示されたドアに歩み寄っていく。
「ちょっと待て」
慌てた様子のベンだったが、足腰が弱っているせいで体を動かすことができずにいた。
「ここはどこに通じてるんです?」
口を閉ざすベンに近づいたゼインは、左目だけで鋭く射抜く。
「本当のことを言った方が良い。隠すのはおすすめしねぇよ」
深くため息をついたベンの口からほろほろと諦めにも似た声音が溢れていった。
「……二階に通じるドアだ。だが、私は十年ほど前に足を痛めてからは一度も入っていない」
「それは変ですね」
ドアの前に立ったエラの視線はドアノブに注がれていた。埃まみれな部屋の中、このドアのドアノブだけ何故か埃がついていないのが、不思議だったから。
「二階、上がらせてもらうぞ」
観念したのか「好きにしなさい」と無愛想に言ったベンを置いて、ふたりは二階へ通じる扉を開いた。
扉を開けると、すぐに階段が待ち構えていた。端だけ埃が寄り集まっていて、誰かが階段を使った形跡が窺える。
ギシギシと軋む階段を上り、ドアを観察して一番埃がついていない部屋に入った。机と椅子と、骨組みだけのベッドだけが置かれた粗末なものだった。
「何か隠してるはずだ。この部屋に……」
ゼインの左目が部屋の隅々を徹底的に観察している間、エラは植物柄の壁の前に立っていた。なんとなく、壁紙と壁紙の境目が気にかかる。
「隠し部屋とかあったりして?」
つん、と突いてみたり、トントン、とノックしてみたり。様々なことを試してみるも、うんともすんとも動かない。
壁紙には、古今東西の様々な植物が描かれていた。見たこともない派手な色の花を咲かせるものや、蔦が縦横無尽に張り巡らされているもの、それがまるで草原のように折り重なっている。
エラの目に止まったのは、鬱蒼と生い茂る蔦の合間。蔦に紛れて動物が隠れている、ようにみえる。
「……これって……蛇?」
目を凝らさなければ見つけることができないが、確かにそこに蛇がいて、トグロを巻いていた。蛇の頭にわずかな膨らみがあり、爪でひっかけてみると細長い針金のようなものが表れた。
ゆっくりと八の字を描くように動かしてみる。なんとなく、そうしてみたかっただけだ。
「ふふっ、なんちゃって」
突然、壁の奥から歯車が動く気配がして一歩身を引くと、壁紙の境目が音を立てて開いた。暗闇の中、その奥に空間が広がっているのが見てとれる。
「あった! ゼインさん、ありましたよ! 隠し部屋!」
「でかした」
ぽん、と小さな肩を叩いて、ゼインは隠されていた空間に入っていった。
入り口近くのランタンに火を灯せば、人ひとりが入るだけの空間に、羊皮紙や本がいくつもの山になっていた。
ひとつの羊皮紙の山に手を伸ばす。計算式や見慣れない図形などが走り書きされている。捲って見ているうちに、はらりと一枚の羊皮紙が落ちた。
屈んで拾ったエラが「ゼインさん、これ!」と左目の前にその羊皮紙を突き出した。
そこに描かれていたのは、八の字を描いた双頭の蛇の図。下部には、この図の名称が書かれていた。
『巡還のウロボロス』
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