神話の街と先輩隊員

 トードスカの清々しい空気が、エラの体を包み込む。爽やかな風を思う存分感じたいと瞳を閉じて、深呼吸をした。


「んー、やっぱり女神が眠る土地の空気は美味しい!」


 トードスカは、神話に彩られた聖なる地だ。はじまりの女神イリュトゥナが、天界から降り立った地と言われている。


 自身の涙によって出現させた源始の泉イリュ•フォーヌから様々な生物を生み出したイリュトゥナは、最後に人間を創った。

 同時に図らずも生まれてきてしまった破壊神サヴァノを鎮める為の戦い——滅戦イベレイダン——を繰り広げ、互いに力を全て使い果たしてサヴァノを道連れにトードスカの地中深くに潜り、永遠の眠りについたという伝承がある。


 中央広間に差し掛かれば、石像で装飾された大きな噴水に目を奪われてしまう。

 石像は、イリュトゥナが金の柄杓を持って泉の水を掬い、辺りに撒いて生物を生み出している『生命創世』の場面を切り取ったものだ。


 イリュトゥナの石像の周りには、彼女が生み出した精霊や幻獣、草花、昆虫の石像が置かれ、今まさに誕生したばかりの躍動感を放っていた。

 滅戦イベレイダンの際に起きたナシュメルク山の噴火によって、源始の泉イリュ•フォーヌは枯れ果ててしまった。泉がこの地にあったことを後世に残すため、噴水が作られたという。


 噴水の前を東に進み、小高い丘にそびえ立つ王宮を左手に流し見れば、馬車は速度を落として止まった。


 馬車から降りて大きな荷物をよっこいしょ、と両手に持ち、見上げた先。三角のとんがり屋根が特徴的な木骨造の建物が立ちはだかっていた。壁に塗られた漆喰の白が、朝日に映えている。


 入り口の扉の上部には、ハドニオーネ王国を含む近隣諸国の公用語であるメデオ語で書かれた『トードスカ東部守護隊支所』の文字が並んでいた。


「よし……取り敢えず入ろっと」


 気合を入れる為にひとつ息を鋭く吐き、扉に手をかけた。


 支所内に踏み入れば、椅子が並ぶ待合室の先にカウンターが、その奥には、机が何列も連なっている事務所らしい部屋が見える。始業の時間は過ぎているからか、隊員の姿はない。ただひとり、姿勢良く席に腰掛けている男性隊員を除いて。


 癖ひとつないプラチナブロンドの髪は顎のラインで真っ直ぐ切り揃えられ、耳から後ろの髪だけを首根っこの辺りで束ねている。長い前髪がサイドに流れて、横からは顔貌は見えない。

 ネイビーブルーの制服の裾から伸びる白皙の手首は細く、羽根ペンを動かす指もまるで白魚のようだった。


「あのっ、すみません!」


 張り上げた声に反応して、プラチナブロンドの髪を揺らしながら顔を向けてくる。男性隊員の顔貌を一言で表すならば、眉目秀麗といったところか。鼻筋は通り、薄い唇は柔和な笑みを浮かべていた。涼やかなオーキッド色の瞳を細めてくる。


「もしかして、君が新人さん?」


 明朗とした声音からは快活な青年の印象を持つ。荷物を足元に置き、背筋を伸ばした。


「本日よりトードスカ東部守護隊に配属になったエラ•ジェラルドです! よろしくお願いしますっ!」


 エラに応えるように正しい姿勢のままに立ち上がれば、プラチナブランドの髪が窓から差し込む朝日に照らされた。


「長旅お疲れ様。僕はフリート•ネフィラ、よろしくね」


 カウンター脇の扉を開けてエラの側に立つ。フリートの視線はエラの足元に置かれた荷物に移っていた。


「事務所の中に入れようか?」

「はい!」

「僕が持つよ」

「いえ、ひとりで持——」


 エラが全て言い終わらぬうちに、大荷物を持ち上げてさっさと事務所の中に運び込んでいく。服を着ていると男性にしては細身に見えるが、必要最低限の筋肉はついているようだ。

 邪魔にならない事務所の隅に、荷物を寄せて置く。


「ありがとうございますっ」

「隊長はもうすぐ帰ってくると思うから待っててくれる?」

「分かりましたっ」


 微笑んだフリートは、エラの真向かいの自分の席に腰掛けると書き物の続きをし出した。フリートの持つ羽ペンは、羊皮紙の上で優雅に踊り始める。


 隊長、という言葉を聞いて、エラの脳内には同期から聞いた噂を思い返していた。気になったら行動に移さないと気が済まない性分でもある彼女は、フリートの真横に立って身を屈めた。


「フリートさん、ひとつ質問いいですか?」

「な……っ……何?」


 思った以上にあどけない顔が近くにあり、フリートは怯んでしまう。椅子に腰掛けた状態でやや体を反らし、できるだけ距離をとった。


「この支所の副隊長は破王で、隊員を微塵切りにしてことごとく葬り去るという話を同期から聞いたんですが、それは本当ですか?」


 フリートは眉を八の字にして、困ったような顔をする。


「副隊長……確かに見た目怖いけど、そんな猟奇的な人じゃないと思うよ……?」

「フリートさんって、もしかして三年くらい前にここに配属されました?」

「うん、そうだよ」

「じゃあじゃない先輩ってフリートさんのことだったんですねっ」

「まっ……じゃないっ!?」


 まさか後輩にまともではないと言われていようとは露にも思わなかったフリートは、衝撃が大きすぎて絶句してしまった。どこかまともじゃないと言われる原因があったか、と過去の行いを振り返ってみても、心当たりが見つからない。


 一方のエラは聞くだけ聞いて満足したのか、置きっぱなしの荷物のもとへ戻ると、調子外れな鼻歌を歌い始めた。

 まともではないと言われて動揺しつつも、再び羽ペンを動かし始める。

 カリカリ、という小気味良い音が鳴り始めた矢先、エラが入ってきた正面玄関の扉が音を立てて開いた。


 ズカズカと足音を鳴らしながら妙齢の女性が入ってくる。襟ぐりが大きくウエストが細いワンピース姿、茶色のウェーブのかかった長い髪は綺麗に編み込まれて背中に垂れていた。

 何かに憤慨しているのか、鼻の穴を膨らませていてせっかくの美しい顔が台無しだ

 カウンターに肘をついたその女性は、エラをきっ、と睨みつけてくる。


「そこのあなた、ちょっといいかしらっ!!」

「あ、私、ですか?」


 呑気に自分を指さしているエラに、女性の苛立ちが募っていく。


「あなた以外誰がいるっていうのよ!」

「シルビアさん、どうされましたか?」


 エラと女性——シルビア——の間に、プラチナブロンドの髪を靡かせてフリートが立ち塞がった。

 朗々とした声音に気付き、視線をフリートに向けるや怒りに満ちた顔がたちまち綻んでいく。


「あら……フリート君、いたの?」


 つっけんどんな物言いはどこへやら、まるで恋する乙女のような恥じらいを秘めた声音だ。あまりの変貌ぶりに、エラは拍子抜けしてしまう。


「そこの椅子に座っていたので。僕が見えませんでした?」

「そんな! フリート君を見逃すなんて、私ったらなんてことなの!」


 慌てているシルビアにフリートが微笑みを向ければ、完全に射抜かれ心ここに在らずといった具合で顔がふにゃふにゃにとろけてしまっていた。


「ところで、そんなに怒ってどうされたんですか?」

「ああ、えっと……あら? 何だったかしら。フリート君の顔を見てたら何に怒ってたのか忘れてしまったわ……ということは、大したことじゃなかったのかしら?」

「思い出したらまたいらしてくださいね。僕でよければ、お話聞きますので」

「フリート君が聞いてくれるの?」


 シルビアの目が、夜空に輝く星の如く光を放ち始める。


「もちろんです」

「わかったわ。思い出すからちょっと待ってて。あ、そうだ。この間のことなんだけどね——」


 シルビアが次から次に喋り出したのは、愚痴や取り止めもない話ばかりだった。フリートと話がしたいだけという魂胆が見え見えである。

 それを、フリートは嫌な顔ひとつせずに相槌を打ちながら親身になって聞いている。


(うわぁー……)


 フリートを独占して喋り続けるシルビアの圧に、エラは呆気に取られて遠巻きに眺めることしかできなかった。

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