凛然とした女隊長
しばし、フリートと全く口数の減らないシルビアとのやりとりを見守っていると、隣に人が立つ気配がした。
「まーた始まったよ。トードスカ名物、フリート独占独演会」
呆れた様子でごつい声を発した男は、マクシム•ゴシュレイと名乗った。
ツンツンした短い黒髪に日焼けした浅黒い肌、一重の大きな目は焦げ茶色。エラの顔の位置にマクシムの腹部があり、体を逸らして見上げなければ目を合わせられないほどの大男だった。
マクシムはフリートと同い年の二十歳なのだが、体格の良さとごつい声、それに加えていかつい顔のおかげで三十代後半に見えなくもない貫禄が漂っている。
「また、というのはこれは普段の光景なんですか?」
「老若男女問わず、皆フリートに話を聞いて欲しくて来るんだ。あいつは聞き上手だからな。相手の気が済むまで聞いちゃうもんだから、仕事が滞っちゃって」
「確かに丁寧に聞いてますね。その集中力、見習いたいです!」
「聞いたって大した話じゃないのにな」
話をしにやって来る人の大半は、愚痴や不平不満をぶつける相手がほしい者ばかりだ。そのほとんどが堂々巡りで新鮮味がなく、マクシムは飽き飽きしていた。
「民の話を聞くのも立派な守護隊の仕事だ」
不意に背後から聞こえて来たのは、腹の底から発せられたキッパリとした太い女性の声。声に含まれた圧に、エラの背筋が一気に粟立つ。
「たたたた隊長っ! お疲れ様です!!」
振り返ったマクシムは、ぴんと背筋を伸ばして顔を強張らせている。緊張からか恐怖からか、声が裏返っていた。
恐る恐るエラも振り向けば、隊長と呼ばれた若い女性と視線がかち合った。
暗い赤茶色の癖の強い長髪は、高い位置でひとつに縛られている。斜めに分けられた前髪から覗く眉も緑色の目も、意志の強さを表すように吊り上がっていた。口は真一文字に閉じられ、威圧するような顔面だ。
身長はエラよりも頭ひとつ分大きいくらい、体も男性達から見れば小さい方なのだが、発せられる威圧感がひとまわりもふたまわりも彼女の存在を大きく見せている。
吊り上がった目に射すくめられたエラは一瞬びくっとしてしまう。だが、守護隊に入隊を決意した時、人は見た目で判断してはいけないと母から助言を受けたことを思い出す。
第一印象が怖い人だったとしても、接していると違う一面を発見できるから臆するな、と。
「エラ•ジェラルドは、君か」
「はいっ。本日よりこちらに配属になりました。よろしくお願いしますっ!」
満面の笑顔を見せて挨拶をするエラに、隣にいたマクシムは仰天していた。
凛然としている隊長を前にして堂々としているとは、この新人の心は鋼の如く強いのか、はたまた世間知らずな傍若無人な愚者か。
前者ならばうまくやっていけるのだろうが、後者だとしたら隊長の逆鱗に触れて支所内が修羅場と化すだろう、と生来臆病なマクシムは想像しただけでガタガタと体を震わせていた。
「トードスカ東部守護隊で隊長を務めている、ヴァネッサ•ゲーンズウォルガーだ」
男口調はヴァネッサの威厳を強調している。
ヴァネッサの視線は、フリートとシルビアへと向けられて鋭さが増していく。
エラとマクシムの間をかき分けて進み、フリートの隣に
「残念だが、フリートは忙しい。代わりに私が話を聞こう」
すると、シルビアはくるりと背を向けてすごすごと支所を出て行ってしまった。
シルビアが去った後、その背中を見送っていたヴァネッサの視線はフリートに移る。険しい表情で射すくめられたフリートは、気まずそうに俯いてしまった。
「民の話を聞くのは大切なことだ。だが、それにかまけて普段の業務が滞るのは、私は感心しない」
「申し訳ありませんでした」
「報告書は書けたのか?」
「まだ途中で——」
「そこまで時間をかける仕事ではないはずだ。早急に終わらせるように」
「はい」
それ以上は何も言わず、フリートは席について羽ペンを忙しなく動かし始める。ヴァネッサは次なる獲物を探すように首だけを動かすと、マクシムに狙いを定めた。鋭い眼光に睨まれたマクシムは「ひっ」と引き攣った悲鳴をあげ、全身からは冷や汗が滲み出ている。
「それで、フリートが女性の対応をしていた時、マクシムは何をしていた?」
「お、おおおおお、お手洗いに——」
「私が来た時にはエラと無駄口を叩いていたと思ったが、私の記憶違いか?」
「いえっ!! そんなことは——」
「報告書を書き終えていないのに民の対応をしていたのを知っていたのならば、助け舟を出すのがバディなんじゃないのか?」
「はい、おっしゃる、通りです……」
マクシムの声音は弱々しく、尻すぼみになっていく。
「仕事に戻れ」
ヴァネッサの口撃から逃れる為か、足早にフリートの隣の席に腰掛けると報告書を書く手伝いをし始めた。
報告書は、担当した事件や事故等の捜査状況や尋問の様子などを書き記すもので、事実を明確かつ詳細に書く必要があった。
勇ましい足取りでエラのもとへ戻って来たヴァネッサの顔から、先程までの威圧感は影を潜めていた。
「遅れてすまない、仕事が立て込んでいてね」
エラに向けられた言葉からは、ふたりを叱りつけた口調よりも若干の柔らかさがあった。
「いえっ、大丈夫です」
「宿舎に案内する。ついて来い」
事務所の奥、細長い廊下の先にあった裏口を開けると、渡り廊下が現れた。両脇に置かれた植木鉢には、ラナンキュラスがパステルカラーの可愛らしい花を咲かせている。
パステルカラーで華やかに彩られた石畳の道を、ヴァネッサは勇ましい足取りで颯爽と歩き去っていく。
その後ろを、荷物を両手に抱えたエラがちょこちょことせわしなく足を動かして、なんとかついていっていた。
独身の隊員が暮らす宿舎は、支所の建物と同じ木骨造だ。オークの木でできた扉をくぐり、広々とした部屋に入っていく。
今いる場所は談話室で、赤い絨毯が床一面にしかれている。暖炉の前に暖色系のふかふかのソファーが、壁沿いには本がびっしり入った本棚が置かれ、隊員どうしのコミュニケーションやしばしの休憩の場として利用されている。
右隣には食堂が、左隣には別棟に続く通路があり、別棟には男女別の風呂場とお手洗いがあると口早に説明を受ける。談話室を横断した先の階段を使って二階に上がっていく。廊下を挟んで左側、最奥の部屋の前に立った。
「ここがエラの部屋だ」
ヴァネッサから鍵を受け取り、木目の美しい黄色のアーチ型の扉を開けた。
「うわぁーっ! 可愛いお部屋!」
茶色を基調とした小さな部屋は、ベッドと椅子付きのミニテーブル、ベッドと反対側の壁にクローゼットがある以外は何も置かれていない。それ以上家具を置くと歩き回れないほどに、この部屋は小さかったからだ。
生活するのに必要最低限のものしか置けないが、小柄なエラには申し分ない大きさだった。
「可愛い、のか?」
部屋に通すと、大抵、狭いだの窮屈だのと文句しか聞いたことのなかったヴァネッサは、エラの言葉に首を傾げていた。
それに、元来男勝りなヴァネッサは可愛いという感覚に疎い。一般女性はこういうものに可愛いと感じるのか、とカルチャーショックを受けていた。
「狭い空間にぎゅっ、とつまってるのって、なんとなく可愛くないですか?」
「……いや、別に」
ヴァネッサの塩回答に、エラは気にすることはない。
部屋にはひとつだけ窓があり、そこからはトードスカの街並みを見下ろすことができる。夜はどんな風景が見られるのだろうと期待を胸に膨らませていると、背後から急かすような咳払いが聞こえてきた。
「荷物を置いたら早速仕事だ」
「はいっ、よろしくお願いします!」
配属されてからの初仕事、興奮して心が弾んでいる。相変わらず大股で歩くヴァネッサのあとを一生懸命ちょこまかついていった。
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