隻眼の破王
トードスカの街の建物は木骨造で統一感があり、小高い丘にそびえる王宮を中心とした放射状の石畳の道と合わせて、ハドニオーネ王国でも指折りの美しい景観と言われている。
活気に満ちた商店が立ち並ぶ道を突き進んでいけば、道ゆく人々から「隊員さん、お疲れ様」という声がかけられた。
毅然としたオーラを放つ王国軍人とは違い、守護隊は市井の人々の生活を見守る身近な存在として親しまれている。
すれ違い様、二本の杖を使って歩く老人がよろめいてヴァネッサとエラはふたり同時に彼の体を支える。見窄らしい身なりなのに、柔和な笑顔は上品な印象を持つ。街にある温泉からの帰りなのか、体からは清潔な石鹸の香りがしていた。
「すまないね。おや? 新しそうな制服、もしや後ろの子は新入りかな?」
「今日から東部守護隊に配属になったエラだ。まだまだ未熟な所があるが、温かく見守っていただけると助かる」
ヴァネッサが手短にエラを紹介すると、老人はエラに会釈をした。
「こちらこそ、何かあったらよろしく頼むよ」
「はいっ。よろしくお願いします!」
老人からの温かな励ましの言葉をもらい、エラは満面の笑みで返した。
田舎出身のエラにとって、王都トードスカは人が多く他人に無関心なのではないかと思っていた節があったが、皆一様に新入りの隊員であるエラを歓迎してくれていた。
立ち去ろうとする老人は再びつまづきそうになったのを、またしてもふたりで体を掴んで転倒を回避した。
「すまないね……年を取ると体のあちこちにガタがきてしまって」
不甲斐なさそうに自身の足を見つめる老人を放っておかなくて、ふたりは老人の体を支えてやりながら家まで送って行った。
賑やかな商店街を抜けて、西へ向かう横道に入ると、閑静な住宅が建ち並ぶ地区に出た。途中、一際大きな屋敷が姿を表す。
「ここまでで大丈夫。隊員さん、どうもありがとう」
老人は、上品な笑顔をこぼして屋敷に入っていく。
「ゾグダール……」
とぐろを巻いた蛇が描かれた表札が目に止まり、珍しい苗字に思わず口に出してしまう。
玄関の扉が閉まる瞬間まで見送ってから、歩きはじめた。その隣の可愛らしい雑貨屋に興味をそそられていると、ヴァネッサが話しかけてくる。
「守護隊は様々な仕事を抱えている。少しでも早く慣れるよう、今日から日替わりで先輩隊員についてもらう」
「分かりましたっ」
「早速だが、今日ついてもらう隊員は既に現場にいるんだ」
ヴァネッサが口早に話し始めたのは、未明に起きた火事のことだった。
今日の午前一時半頃。建物から出火しているのを向かいの住人が発見し、消防団に通報。木造だったことや、出火したのが夜中で通報が遅れたことで火は勢いよく燃え広がり、夜明けには鎮火したものの建物は全焼した。
火災現場にたどり着けば、焼け焦げた臭いが更に強く鼻を刺激する。
建物があった場所は、黒い炭が大きな塊となって重なっている。消防団員が動き回る中、炭の塊の上にしゃがんでいる隊服姿の男の姿があった。
「昨日言っていた新人隊員だ、降りて来てほしい」
ヴァネッサが声をかけると、その男はのっそりと立ち上がり、悠然と歩み寄ってくる。男が歩く度に、炭と化した木材が潰れる音が不気味に鳴り響いた。
男の隊服は着崩され、隊服の上に締めるべきベルトは未着用でボタンは全開き。本来なら携帯すべき長剣は身に付けていない。中に着ている袖なしの黒い服は襟ぐりが深く、厚い胸元がちらりと見えている。
三十代前半の男の口元には無精髭が蓄えられていて、ミディアムの髪も瞳もダークブラウン。
長めの前髪は右に流され、その隙間から覗くのは右目——ではなく、黒い眼帯だった。
エラの前に立ちはだかり、ぎろりと睨みつけてくる圧力は、左目だけなのに何人たりとも近づくのを許さないほどの凄みがある。例えるならば、高見から獲物を狙う猛禽類のような目力だ。
(出たっ! この人が、隻眼の破王!)
だが、ここに来る前に既に腹は括ってきたのだ、屈しないと決めたエラはへっぴり腰になってしまうのを堪える。
隻眼の破王は、エラの頭のてっぺんからつま先までを品定めするように流し見ると、瞬きの後にヴァネッサに視線を移した。
「初日から俺につかせるとか言ってっからど太い骨のある奴が来るのかと思えば、昨日まで母親の乳にしゃぶりついてた赤ん坊じゃねぇか」
男の、口が悪い上に荒っぽい声音にヴァネッサは顔を顰めている。
「今日から配属になった新人だ、言葉を慎め」
ふん、と鼻をならす様子からは、ヴァネッサの注意を聞く気などさらさらないらしいことが明らかだった。
「この男はゼイン•モルガン、副隊長をしている。ゼイン、この子はエラ•ジェラルドだ」
「よろしくお願いします!」
ぺこり、と頭を下げだがゼインは挨拶などする気配はなく気怠そうにエラを一瞥しただけだった。
「悪いが、新人は他の隊員につけてくれないか?」
「どういうことだ?」
ヴァネッサが問いかけると、ゼインは表情を歪めた。
「遺体が出た」
ふたりの先輩隊員も、エラも言葉に詰まる。できることなら、事件でも事故でも被害者が無事であることを切に祈っていた。
ひとつの命が失われるのは、千言万語を費やしても表現し得ない、悲しみと悔しさと怒りが込み上げてくる。
「……ここは空き家ではなかったのか?」
空き家での火災ということもあって、遺体が出ることは想定していなかったのだろう。消防団も空き家だから人はいないと踏んで消火活動をしていたらしい。
「遺体は裏手に安置してる。見るか?」
ヴァネッサが頷くと、ゼインの左目はぎょろりとエラを凝視する。
「新人はここで待ってろ」
「何でですか? 私も一緒に行きます」
「勝手も分かんねぇ、配属されたばっかの新人にはこの現場はまだ早い」
でも、と言いかけたエラをヴァネッサの言葉が遮った。
「ご遺体が出た以上、エラにはかなり荷が重い。ご遺体の確認を終えたら別の隊員の仕事の手伝いに入れるよう手配する。しばらくここで待機していてくれ」
ヴァネッサとゼインは背を向けて歩き去っていく。
悔しさと遣る瀬無さがふつふつと湧き上がって、咄嗟に「待ってください!」と叫んだ。
振り向き様に睨みつけてくる左目に慄きつつも心の内をぶつける。
「たしかに私は新人ですが、新人だからこそ、たくさん経験して色んなものを見て成長していきたいんですっ。じゃないといつまで経っても新人のままです。どんな現場でも絶対にめげませんからっ。私も行かせてくださいっ、いえ、行きますっ!」
ゼインやヴァネッサを相手にしても無遠慮な物言いだ。あどけない見た目からは想像できない無鉄砲さを感じたゼインは、久しぶりに手応えのある隊員が来たと片方の口角を上げた。
「後悔しても知らねえぞ」
「ここで待っていた方が後悔すると思います」
「ならついてこい。邪魔だけはすんなよ」
しかし、ヴァネッサだけは戸惑いの様子を見せていた。
「だが、火事で亡くなったご遺体は……」
言葉を詰まらせたヴァネッサに、ゼインが囁き入れる。
「あいつも一回見りゃ納得すんだろ」
「しかし……」
「もし怖気づいたら、その時は他の隊員に新人のお守りを頼めば良い」
尚も何か言いたげなヴァネッサを尻目に「行くぞ」とエラに声をかければちょこちょことゼインの後を追っていく。歩く度に揺れるアプリコットオレンジの髪を、ヴァネッサは心配そうに眺めていた。
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