羊皮紙に書かれていた物

 ゼインが瞑想し始めてしまったので、エラは床に散らばった羊皮紙に目を向けた。近くに落ちていた一枚を手に取る。


 文字は人柄を表すとよく聞く。言動が粗暴なゼインの字は乱雑で、一見すると何と書いてあるか分からない。じっくり見ても分からない文字もある。それでいて、筆圧は弱いのだからアンバランスだ。


「ゼインさんの文字って独特ですよね。すごーく雑なのに筆圧なくて弱々しい感じがします」

「それ、けなしてんのか」


 閉じていた目を開け、ゼインが怪訝な顔で睨みつける。


「不思議がってます」

「雑だから筆圧強いってもんじゃねぇだろ」

「普通そう思うじゃないですか。これだけ雑な字、羊皮紙を重ねて書いたら文字が下の紙に写りそうなくらいの筆圧で書きそうなのに」

「ひとつ教えといてやる。先入観に囚われるな。思い込んでると捜査に支障を……きたす、ぞ」


 言葉が尻すぼみになって消えていったのは、ゼインの脳裏に昨日のある光景が蘇ってきたからだ。


(筆圧……写る……まさか)


 火災現場で、エラが燃え残った木から見つけてきた何の変哲もない羊皮紙。

 端が黒く焦げている以外は何も書かれていなかった。

 いや、。新人が見つけたものだからそんな大したものではないと、ゼイン自身も先入観に囚われてしまっていたのだ。


「エラ、昨日の羊皮紙を出せ」


 切羽詰まった声で迫るゼイン相手でも、エラは首を傾げてしまっている。


「いきなりなんです? 私、パンを食べてる途中なんで食べ終わってからでもいいですか?」


 呑気な声音に苛々が募り、待ちきれなくなってついにはベッドに飛び乗ってエラに詰め寄った。喫驚してオッドアイを真ん丸くしている彼女を他所に、ゼインは焦りに身を任せてエラの小さな肩を鷲掴みにした。


「いいから早く出せ! さっさと出さねえと鞄の中をまさぐっぞ」

「ひえぇっ! は、はいっ」


 腰につけた鞄の奥から、クシャクシャに丸まった羊皮紙を引っ張り出す。間髪入れずにゼインがぶん取り、慌てた様子で羊皮紙を伸ばして窓の近くにかざした。

 クシャクシャの皺が邪魔になっていたが、その羊皮紙には皺以外にもペン跡がうっすらと確認できる。


「あった」

「何がですか?」


 エラはパンを頬張り、ゼインがかざしている羊皮紙を見ようとぴょこぴょこ飛び跳ねている。


「見ろ」

「見ろって言われても、何か書いてあるんですか?」

「書いてあるというより、重なった状態で上に書かれたものが、下にしいてあったこの羊皮紙に写ったものだ」


 羊皮紙を覗いてみれば、ゼインが見つけた線は双頭の蛇が二股に別れた尻尾を咥え、八の字を描いている図だった。


「こんな蛇見たことないです。幻獣の類でしょうか?」

「それか紋章か。犯人に繋がる何かの、な」

「犯人……あの火事は、放火?」


 くりっとしたオッドアイが、緊張からか恐怖からか、不安そうにゼインを見上げる。

 ゼインの脳裏には火事の現場の映像が映っていた。燃え残った木に登るエラの様子は、彼の記憶に事細かに刻み込まれている。


「火の不始末ならわざわざこんなものを現場の、しかも木の枝に残しておくなんて考えにくい。そんな暇があるならとっくに逃げてるだろ。もしも放火されて身動きがとれない状態にいたなら、何らかの形で犯人に関する情報を伝えようとするはすだ」

「ふむふむ、なるほどですっ」

「お前が羊皮紙を見つけたのは上から三番目の枝。空き家が通常の家だったと仮定して、その枝はちょうど二階の窓がある位置だろうな。火事が起きた時、空き家の二階に取り残された被害者は、近くに落ちていた羊皮紙を見つけた。犯人が残していったものか、被害者が持っていたものかは不明だが、犯人に繋がる手がかりになるだろうと踏んで窓から放り投げたんだろう」


 エラが見つけなければ、見過ごされていただろう被害者の最後の訴え。エラは犯人に通じるであろう僅かな手がかりを、だけで掴んでみせた。

 彼女の瞬間視力からきているやもしれない勘を信じてみるのもあながち間違いではないのかもしれない、と思った。


「双頭の蛇が何を意味してるのか、調べに行くぞ」

「はいっ! でもパン食べてからでもいいですかっ」

「パンでも草でもいいから早く食っちまえ」


 パンとスープを口いっぱいに詰め込んだ姿は、ドングリで頬袋が膨らんでいる冬眠前のリスのようだ。

 鼻息荒く、エラはさっさと朝食ののっていた皿を厨房へと片した。もしかしたら、被害者の身元が分かるかもしれない、犯人の手がかりが掴めるかもしれない。この好機を逃すわけにはいかないと、気持ちは昂って仕方がなかった。


 ヴァネッサに報告しようとしたものの、生憎今朝は早くから外出していた。ふたりは書き置きを残して、トードスカで一番の蔵書数を誇るナージェン魔術大学校の図書館へと足を向けた。




 エラは幻獣の図鑑を、ゼインは紋章に関する本を片っ端から読み漁った。だが、似て非なるものばかりで肩透かしを食らった気になる。

 静寂が求められる図書館の建物中に、エラの悲嘆のため息が響き渡る。

 何人かの学生が、鋭い視線を向けてきたが構うことなどしない。闇夜を照らす灯台の灯りを見つけたのに、なかなか近づけずにやきもきする乗組員のような気分だ。


「駄目です……ここにもありません」

「こっちもだ。ったく、何か意味のあるものだと思ったんだがな」


 荒っぽく、最後に読んでいた紋章の歴史なる分厚い本の表紙を叩きつけ、ゼインもひとつ大きく息を吐き捨てた。


「こんなに本があるのに見つからないのは、読むべきものが違うからでしょうか?」


 目の前に山のように積み上がる本を、エラは胡乱な目で見つめる。その隣で、ゼインは苛々が募ったのか貧乏ゆすりをし、とどめと言わんばかりに舌打ちをしていた。


「ゼインさんが見つけたこれとか、すっごく惜しかったんですけどね」


 エラは恨めしそうに見ていたのは、一匹の竜が自身の尾を加えて円を描いている図。

 環竜ウロボロスと名付けられているその図は永続性を意味しており、古くから錬金術のシンボルとして魔術師達の間では有名なものだ。


「分かりましたっ! この羊皮紙を落としたのは錬金術師です! 双頭ということは……双頭だから……ふたつの、頭を持った、錬金術師?」

「んな人間いるわけねぇだろ。見切り発車で話すな。物事はちゃんと考えてから言え」

「はぁい……。うーん、本当に何を伝えたかったんだろう」


 羊皮紙に刻まれた双頭の蛇の図。じっと眺めていても、蛇はものを言うはずもなく静かに己の尻尾を咥えているだけだった。


「……この蛇を見てると、自分の口を塞いでいるように見えません? 隠し事をしてるみたいに」


 図を見た感想をそっくり口にすると、ゼインの貧乏揺すりが止まった。しばらく瞬きもせずに物思いに耽ったと思えば、閃いたと言わんばかりに左目を大きく見開く。


「だとしたら、ここじゃねぇな」


 ゼインの思考回路についていけないエラは、首を曲がるだけ曲げて困り果てていた。


「あのー、私にも分かるように言ってくれません?」

「お前は見る力はあんのに、そこから推理する力はとことんねぇんだな」

「深く考えるのって苦手で。いつも直感に任せて動いてるんです。ほら、私の勘ってすごく当たるじゃないですか」


 照れたように頭をかくエラに、ゼインは渾身の思いをこめて言葉をぶつけた。


「褒めてねぇよ」


 頬を膨らませて拗ねているエラを気にすることなく、席を立つと図書館の受付に立つ女性のもとへ大股で歩いていく。後ろから発せられた「この本どうするんですかー?」というエラの問いには一切答えることはない。


「仕事中悪いが」


 その左目は猛禽類の如し、鋭い目を向ける隻眼の男に、受付の女性の顔は恐怖で強張った。


「閉架書庫はあるか? それか、禁書書庫」


 エラの呟きから発想を飛ばして、ゼインが行き着いたのは、双頭の蛇の図は開架書庫ではなく封じられた図書の中にあるのではないか、という推測だった。

 口を塞がれた蛇、その図が意味するものが表に出てはならないものだったとしたら、開架書庫に置ける代物ではないのかもしれない。


「……あの、申し訳ありません。私では開けられないのです」


 震える声でなんとか謝罪の言葉を述べてくる。


「何故だ」

「……担当の教授の許可がないと——」

「じゃあ担当の教授を呼んでほしい」

「残念ですがそれはできかねます。担当の教授は、二日ほど前から急な休暇を取っておりますので」

「その担当教授って誰だ?」


 休暇中なら探すまで、と躍起になって訊ねる。


「……ガルウィン•ユーリウス教授です。ご実家でご不幸があり、しばらく故郷であるボジンという町にいらっしゃるとのことでした」


 隻眼の男からの追求を逃れようと、つらつらと訳を話した女性は受付の奥の部屋へとさっさと去っていった。


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