第二の火事

 共同墓地の管理棟、その奥にある掃除道具などを置いていた倉庫を、赤々とした炎が飲み込んでいた。

 エラが気づいた黒色の煙はこの火事によるもので、既に現場には消防団が駆けつけて火の始末に追われていた。


 四人も消化活動の手伝いをしようと動き始めた時。エラの目は、燃え盛る炎の中、一瞬だけ黒い影がよぎるのを捉えた。その影が人の形をしていたように思えてならない。


(人が中にいる? 助けなきゃ!)


 やにわに轟々と燃える倉庫へと走り出す。その小さな体の無謀な行動にいち早く気づいたゼインは、左手を伸ばしてエラの細い腕を捕まえた。


「バカか? 焼け死ぬぞ」

「中に人がいたんです! 助けないと死んじゃいますっ」


 エラを厳しい目つきで睨んでいた左目を、倉庫に向ける。しかし、ゼインの左目には悍ましいまでに赤く燃える炎しか見えない。


「本当に見たんだな?」

「はい」

「倉庫のどの辺だ」

「……真ん中の辺りに、黒い人影が動いてました」


 エラの瞬間視力は確かなものだ。動いていたということは、まだ生きている可能性がある。

 空き家の火事でも、まさか空き家に人がいるとは思わずに消防団員は火の延焼を食い止める為に消火に専念していた。今回も倉庫だから人はいないだろうと火消しだけに取り掛かっている。

 中に人がいることに気づいたのは、エラだけ。


(今度は死なせるわけにはいかねぇな)


 袖だけを通して着崩していた隊服を脱ぎ、エラに投げつける。バケツ一杯に水を汲んでやって来たマクシムからバケツを奪うと、頭からかぶった。


「ゼインさん!? 一体何を……?」


 長い前髪から雫が滴っている。その隙間から覗く左目は、ひどく落ち着き払っていてエラは違和感を覚えた。


「お前は他の奴と一緒に火消しの手伝いをしてろ」


 エラに指示を送った直後、ゼインの体は炎で包まれる倉庫の中へと消えていった。

 その姿からは躊躇いも、恐怖も感じない。むしろ、自ら望んで火の中に飛び込んでいったように見えて、エラは胸騒ぎをしていた。




 ゼインは煙を吸わないように姿勢を低くとりながら、倉庫の奥へと進んでいく。炎から発せられる熱だけでも、肌が焼けてしまいそうだ。


 灰色の煙と赤い炎の隙間、床に横たわる人物を発見して即座に走り寄った。倒れていたのは、共同墓地の管理をしているダズリーだった。

 口元に手をやれば、微かに苦しそうな息をしている。


 ダズリーの腕は柱と太い紐で結ばれていた。腰につけた鞄から小型のナイフを取り出し、利き手ではない左手で不器用ながらも紐を断ち切る。

 額から大粒の汗が流れて左目に染み入る。だが、瞳を閉じてしまえば視界が奪われてしまうと必死で堪えた。


 力の入っていないダズリーの体を両手で抱きかかえようとして、顔が歪んだ。

 右手が思うように動かない。

 右手を可能な限り動かし、左手の力でなんとかダズリーを右肩に乗せた。

 煙が充満した室内で、ゼインの体がふらりと揺れる。息が苦しく、空気を吸おうとすれば熱い空気が喉を刺激してうまく呼吸ができない。


(まずいな)


 人ひとり抱えたまま、炎の中を走り抜ける体力が果たしてあるのか、と自身を疑ってしまう。だが、やらねばならぬと呼吸もままならずにふらつく体を気力だけで支えて、前進した。




 バケツリレーをしながら、エラはゼインのことが気がかりで仕方がなかった。なかなか戻ってこず、エラの中で焦りが生じる。

 助けに向かおうかとリレーの列から離れた直後、炎の中からダズリーを抱えたゼインが現れた。


「ゼインさんっ! 無事だったんですね!」


 慌てて駆け寄り、ダズリーを地面に降ろす手伝いをする。

 ゼインの隊服を手渡す自分の手が震えていた。

 怖かったのだ。もしも自分の目が、炎の中で揺らめく何かを人だと勘違いしていたら、飛び込んでいったゼインが一生戻らなかったら。


「……何泣いてんだ?」


 ゼインに指摘されるまで、自分が涙を溢していたことに気づかなかった。


「だって、ゼインさんが行っちゃうから……もし間違ってたらどうしようって、ゼインさんが帰って来なかったらどうしようって……死んじゃったらどうしようってぇっ……!」


 涙声になっていくエラに戸惑ったゼインは、視線を外してしまった。もしも自分が死んだとしても、悲しむ者などいないと思っていた。

 先ほどよりも楽に呼吸しているダズリーに目をやりながら、無精髭の生えた口はぼそぼそと呟いた。


「間違ってなかったろ。お前が自分の目を信じなかったら誰が信じてやれんだ、バカ」

「……はい」


 安堵したら余計に涙が溢れて、ぐずぐずになってしまった。


「俺はこんなんで死ぬような柔じゃねえ。ちゃんと帰ってきたんだ。泣くな、バカ」

「バカバカって……言わないでくださいっ」


 鼻水を啜りながら抗議すれば、ふんと鼻をならされた。


「ぅう……っ」


 苦しげに呻いたダズリーは、乾いた口を懸命に動かしている。耳を近づけたゼインとエラは、か弱い声音から単語を聞き取る。


「……ぞ……ぅぐ………………あ…………ぅ」

「何だ? 誰がやった!?」


 だが、ゼインの問いかけには応じることなく、ダズリーは駆けつけた医術師達によって医術院へと運ばれていってしまった。



 火事は消防団員と四人の守護隊によって消し止められた。ダズリーは一命を取り留めたものの、意識は戻っていないという。

 日が傾き始め、焦げ臭さが漂う共同墓地で、エラの独り言が未だに立ち込める煙と共に空気中へと消えていく。


「この街で一体何が起きてるんだろう」


 墓荒らし、二度にわたる火事、身元不明の遺体、モグナの香り、不審な動きを見せる主席学生、そして、ダズリーが言い残した言葉と八の字を描く双頭の蛇の図。


 平穏だった王都を、陰謀という影が包み込もうとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る