女達は思い出す

 倉庫に火をつけた犯人の痕跡はまるでなく、ダズリーの回復を待つことになった。


 支所に帰り、事務所の奥の体調の席にいたヴァネッサに四人揃って報告をする。ゼインが一部始終を話している間、ヴァネッサの顔色が優れていないことをフリートは終始気にしていた。

 その隣、マクシムは消火活動に走り回って疲弊の色が顔に滲み出ていた。目が半開きになってうつらうつらとしている。


 エラはというと、ダズリーが口にしていた言葉を脳内で反復していた。どこかで聞き覚えのあるイントネーションで、記憶の中を探し回っていた。

 ふと、ヴァネッサの髪を結わえているアイボリーとモスグリーンの紐に目が行く。あそこの雑貨屋は雰囲気が良かったと回想していた、その直後だった。


「……ご苦労だった。明日のことだが、ゼインとエラは——」

「あああっ!! 思い出したぁっ!!」


 捜査の指示を出そうとしたヴァネッサの言葉を思い切り遮ったエラの絶叫は、支所内に轟きその場にいた隊員達の視線を一気に集めた。


「ダズリーさんが言ってた言葉!! どこで聞いたか思い出したんです!」

「どういうことだ?」


 身を乗り出したエラにヴァネッサが訊ねた。


「救出した直後、ダズリーさんは『ぞ、ぅぐ、あ、う』って言ってたじゃないですか? あれって、きっとこう言いたかったんじゃないかなって。『ぞ、ぐ、だ、る』。隊長の髪紐を買ったお店の隣、とても大きな豪邸だったんですけど、そこが確かゾグダールさんの家だったんです! 隊長と火災現場に行く最中に会ったあの二本杖のおじいさんのところですよ!! 早速調べてきます!」


 有無を言わせないほどに、くるりと背を向けて走り出そうとしたエラの首根っこを、ゼインの左手が引っ掴んだ。


「隊長から許可も得ないままに勝手に動くな」

「でもでもっ、行きたくてうずうずしちゃうんですもん! 隊長、良いですよねっ?」


 首根っこを掴まれたまま振り返る。ヴァネッサは片手で頭を押さえ、少々考えていた。

 先程から脈打つような頭痛が邪魔をして仕事が捗らない。火刑の見届けをしたストレスが、日頃の疲労と重なって頭の痛みとして顕著に表れていた。

 だからこそ、痛みに負けて適当な返事などをしないように地に足をつけた指示を出さねばと、エラの突拍子のない発言は突っぱねた。


「ダズリーさんがうわ言のように呟いた言葉がゾグダールだったとは言い難い。偶然にもエラが知っていた言葉と類似していただけかもしれない。不確かなものだけで突っ走らないように気をつけなさい」


 気勢をそがれてエラは項垂れる。ゼインに首根っこを掴まれたままだと、遊びに出かけようと勢いよく飛び出していったものの、親に捕まえられてしょげている子供のような有様だ。

 ヴァネッサが続けて言葉を発する。


「ゼインとエラは、明日一番でユーリウス教授がいるというボジンへ向けて出立の準備をするように。フリートとマクシムは、ハンナの周辺を洗ってほしい。ゼインからの報告にもあったが、ハンナが墓荒らしに関係している件は状況証拠を積み上げただけの憶測にすぎず、まだ犯人と決めつけるには弱い。まずは犯行当日の彼女の足取りを追ってくれ」


 四人はヴァネッサからの指示に各々応える。エラだけは不服そうに頬を膨らませながらだったが。


 一通り指示を出すと、四人の隊員は解散していった。

 ヴァネッサはひとつ息を吐く。まだ、体のどこかにヒービスの香りが残っている気がして、火刑の様子が脳裏によぎってしまう。

 他の隊長も皆滞りなく行っている仕事だ、自分ひとりが滅入っている場合ではない。そう己を鼓舞しながらも、心のどこかでは隊長に自分は相応しくないのではないかという弱音が出てきてしまいそうになる。


 他の隊員達は続々と帰宅の準備に取り掛かっていたが、隊長であるヴァネッサにはまだやらなければならない仕事が山積みだった。

 残りの業務に邁進すべく、ぺし、と両頬を軽く叩いて気合いを入れ直す。


 頭痛と格闘しつつ、しばらく机に向かって書類の確認をしていると、コトンという固い物が机に当たる音と共に芳しいハーブの匂いが鼻を掠めた。

 顔を上げると、先程帰ったはずのフリートがにっこりと微笑んでいた。


「ベラーニ地方のハーブティーです。後味がすっきりしていて飲みやすいですし、気分転換にもなります。それに、頭痛によく効くみたいですよ」


 頭に痛みがあるとどこで知られてしまったのかと、ヴァネッサは動揺してしまう。心の動きを悟られぬように、口元を手で隠してしまった。


「何故……」

「ずっとこめかみを押したり頭を気にする仕草をされていたのでそうなのかなと。間違っていたらすみません……余計なこと、でした、か?」


 ヴァネッサの顔色を窺うように、恐る恐る見つめる。眉は困ったように八の字を描き、オーキッド色の瞳は自信なさげだった。


「いや、せっかく注いでくれたんだ。いただこう」


 カップの取手に手をかけて一口含めば、ヴァネッサの鼻腔を清々しい香りが抜けていく。鈍った頭が冴えてきて、本当に痛みも和らぎそうだった。


「うん、美味しい」

「良かったです。いつもお忙しそうなので少しでも和んでいただけたらと思ったので」


 安心したのか、緊張の糸の解れたフリートは柔和な笑顔を浮かべてくる。途端にヴァネッサの心が僅かに揺れて、同時にじんわりと温かいものが沁みていく。初めての感覚だが嫌ではない、寧ろ心地良くもあるというなんとも不思議な状態。

 きっとフリートに話をしに来る人々も同じ感覚になるのだろうか、ふと頭に浮かんできてひとり納得してしまう。


「民がお前に話をしたがる理由が、なんとなく分かる気がする」

「……えっ……?」


 普段は釣り上がった緑色の双眸が細められ、真一文字に引き締められている唇は柔らかな弧を描いていた。


「お前の笑顔を見ていると、和む」


 言葉を借りて伝えると、フリートの頬が赤く染まり視線が彷徨い始めた。


「ありがとう、ございます……」


 頭を下げれば、癖ひとつないプラチナブランドの髪がフリートの頬をしなやかに撫でていく。


「今日は疲れただろう。ゆっくり休みなさい」

「はい。隊長もご無理だけはなさらないでください。僕でよければいつでもお話聞きますから」


 はにかんだ笑みを浮かべると、さっさと背を向けてしまった。髪を靡かせながら支所を後にする青年の背を、ヴァネッサの緑色の双眸は眩しそうに眺めていた。


(まさか、あんなに弱々しい少年だった奴に心配される日が来るとはな)


 フリートと初めて会った日のことは、で鮮明に覚えていた。


 守護隊一年目、先輩隊員について回っていた時のこと。仕立て屋に怪しい男達が入っていったのを目撃し、先輩の指示を仰ぐことなく店へ突入した。

 男達は難なく確保。店の隅でカタカタと恐怖で震えていたのが、十代前半のフリートだった。

 その後、勝手な行動をした為に先輩や隊長にこっぴどく注意されることになった。苦くて青臭い思い出となってヴァネッサの中に残っている。


 その少年が守護隊として自らが隊長を務めるトードスカ東部守護隊に配属になろうとは、さすがのヴァネッサも驚きを隠せないでいた。

 男達相手に何も出来なかったか弱い少年はもうそこにはなくて。街の人達から相談事ならフリートに聞いてほしいとせがまれるくらいに、頼りになる青年に成長していて二度驚かされた。


(私も負けていられないな)


 ハーブティーを再度口に含む。もう一踏ん張りできそうだ、とヴァネッサは黙々と残りの仕事に打ち込んだ。

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