バディだから知りたい

 湯上がりのぽかぽかした状態でベッドに倒れ込む。灯りをつけていない部屋は暗く、エラが動く度に擦れる布の音だけがやけに大きく聞こえる。


 昨晩はトードスカの夜景を見ずに寝てしまったことを思い出して、バルコニーに降り立った。

 家々の灯りが窓から溢れた市街地は明るい。ナシュメルク山の頂上には星が瞬いていて、麓に広がる樹海は仄暗く不気味だ。


 隣の部屋から窓が開く気配がして見れば、丁度ゼインがバルコニーに出てきたところだった。袖なしの黒い服にゆったりとした黒いズボン姿の男は、エラの視線に気づいて出かけた足を止めた。出直そうかと躊躇しているようにも見える。


「夜景を見に来たんですか?」

「……まあな」

「じゃあ一緒に見ませんか? とは言っても、ゼインさんのお邪魔はしないので」


 ゼインは、室内にとどまっていた片方の足をバルコニーに下ろすと、黙り込んでしまった。真正面に顔を向けているせいで、エラ側からは顔の右側しか見れない。右目につけられた眼帯のせいで、表情を知る術はなかった。


 しばし、ふたりとも口をとざしてトードスカの夜景を眺めていた。ぽつり、ぽつりと家の灯りが消え始めれば、より一層夜の闇は暗くなっていく。

 気になってゼインの方を見ると、右の掌を左の親指でぐいぐいマッサージしていた。


「……あのー」


 静けさが妙にぎこちなくて、つい声をかけてしまう。先程邪魔をしないと約束したことを、少しばかり後悔していた。


「なんだ」


 返事をくれたことに安堵する。気になったことがあったら聞かずにはいられない、その衝動に素直に委ねる。


「つかぬことをお聞きしますが。ゼインさんの右手、力入らないんじゃないんですか?」


 オッドアイはゼインの右腕に刻まれた深い創傷を映していた。マッサージしていた手が、ぴたりと止まる。


「何故そう思う」

「ずっと気になってたんですよね。最初の火災現場で、手袋をはめようとしていた時です。右手はすんなりとはめられたのに、左手は手こずっているように見えました。それに、部屋に散らかっていた羊皮紙、あれって右手で文字を書く練習をしていたんじゃないんですか?」


 雑なのに力が入っていない文字。それは恐らく、力の入らない右手をなんとか動かして書いたから。剣を持っていないのもきっと右手のせいかもしれない、とエラは推測していた。

 ハドニオーネ王国では、左利きは闇に引き摺り込まれるという言い伝えがある。子供の頃から右利きに矯正され、左で物を書いたり剣を振るう事は快く思われない。だから、ゼインも必死になって右手で書く練習をしていた。


 それでも思い通りに書くことができず、メモを取ることさえ不可能。ゼインが思いついたのは、メモを取らずとも頭の中に全ての情報を詰め込むというもの。何年もかけて、あらゆるものを記憶する術を身につけた。


「……なんだよ、ちゃんと推理できんじゃねえか」


 舌打ちまじりだからか、褒められているのかどうかさえ分からない。が、エラは素直に受け止めることにした。


「私だってやる時はやる女ですよ? でも基本、考えるのは二の次にしちゃいますけど」

「やる時はやる、じゃなくて常に全力を出せ、バカ」

「ひとつだけ腑に落ちないことがあります。火の中に飛び込む時、ゼインさんからは恐怖とか躊躇いとか、一切感じなかったんです。まるで……例えその場で死んでもかまわないと、生きるのを諦めているかのように見えました。どうしてなのか私にこっそり教えてくれますか?」


 エラの目を誤魔化すことなど到底できない。

 腹を括ったゼインは、体ごとエラと向かい合った。


「知りてぇのか?」

「はいっ」

「何でお前は、たった二日前に会ったばかりの奴のことをそんなに知りたがる?」

「一度言葉を交わせば、皆この世界を生きる友である。って、かか様から教わりました。友ともっと仲良くなるには、腹を割ってお互いのことをよく知らなくちゃならない、とも言われました。ゼインさんと私って、バディじゃないですか。バディのことを知りたいと思うのは当然のことだと思うんですが?」


 くりっとした双眸は、純粋で真っ直ぐな光が灯っている。何もかも知りたいと訴えるように。


 人と深く関わらないと決めていたゼインの心は、変わり始めていた。

 拒絶しても気にすることなく心の奥へと上がり込んでいく、容赦ないエラの行動に気圧されたのもあるが。何よりも、エラの持つ『見る力』の前で嘘は通用しない、と観念したのが最大の理由だった。


「ラグノリアの大戦を知ってるか?」

「確か、守護隊が組織されるきっかけになった戦でしたよね? 養成所で最初に教わることなので、さすがの私でもよく覚えてますっ」


 十三年前、隣の大国グリフィナス皇国と、国境の町ラグノリアで激しい戦闘が繰り広げられた。

 国境に築かれた砦を突破し、侵攻してきたグリフィナス軍が優勢に見えたが、時の将軍——ヴァネッサの父——と当時少佐だったワイアット率いる精鋭部隊の活躍により、盛り返したハドニオーネ王国軍がその勢いのままにグリフィナス軍を撃ち破り勝利を収めた。


「俺もその時戦地にいた。軍人としてな」

「ゼインさんって王国軍にいたんですか? どこの所属だったんです?」

「……砦に駐在していた部隊だ」


 普段の荒々しい声音はそこにはなかった。ただひたすらに憂いや悔恨のこもった静かな低音が、夜の静かな空間に漂っていた。

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