夜襲
——十三年前。
グリフィナス皇国との国境の町ラグノリアには、南北を貫くように築かれた砦があった。
長らくグリフィナス皇国との戦はなかったものの、有事に備えて砦には王国軍が代わる代わる見張りについていた。
その中に、弱冠二十歳のゼインもいた。この日の夜は見張りにはついておらず、宿舎の部屋で寝そべり、両目を閉じていた。右目には既に眼帯がつけられている。幼い頃、生意気な目だからという身勝手な理由で年上の男に殴られ、失明してからの付き合いだ。
部屋の中には他に三人の男達がいて、ひそひそと話し声が聞こえて来る。
「俺、彼女に結婚を申し込もうと思うんだ。お前は?」
「兄貴の所の子が目に入れても痛くないくらい可愛くてさ。だから、姪っ子をうんと甘やかす」
「俺はお袋の手料理を鱈腹食う! それに限るな」
三か月にわたる砦の警備。明日、ようやく任務から解放される三人は、その先に待っている休日の過ごし方に思いを馳せていた。
「ゼインは何したいか決めてるか?」
目を開けることなく、眉間に皺を寄せる。考えてみたが、特に思いつくものもなくて首を横に振った。
「何もしねぇ」
生まれた時から天涯孤独。まだ赤ん坊だったゼインは浜辺に捨てられていて、孤児院で保護された。故に家族などこの男にはいない。今目の前にいる仲の良い三人の戦友達だけが、心の拠り所。
「そういうのもありだよな。軍人は忙しくないに限る」
「だな。平和が一番だ」
「何かあったら、俺達の手でハドニオーネの平和を守ろう」
ひとりが拳を前に突き出した。
「女神のお導きが在らんことを」
同じ台詞を吐きながら、他の二人も拳を積み上げていく。
「ゼインもやれよ」
気怠そうに目を開け、右手で強く拳を作り、拳の山のてっぺんにのせた。
「女神のお導きが在らんことを」
今宵も、星達が囁く涼やかな音が夜風にのって聴こえるほどに静かな夜半のはずだった。
突如、異常を知らせる砦の鐘の音がかち鳴らされるまでは。
「奇襲だっ! 北東からグリフィナスの軍勢が攻めてくるぞ!!」
四人は一斉に飛び起き、早々と身支度を整えて剣を片手に駆けた。
グリフィナス皇国の侵攻の目的はハドニオーネ王国の資源。東に大海、北にはナシュメルク山が聳えていることで豊かな大地の恩恵を受けているハドニオーネ王国は、砂漠を抱える内陸の地グリフィナス皇国にとっては喉から手が出るほどに欲しい土地。
夜風の音にまぎれて、剣どうしが激しくぶつかり合う音と怒号が聞こえてくる。宿舎から砦へ通じる階段を駆け上って見下ろした光景に、ゼインと三人の男達は息を飲んだ。
「何だよ、この数は……!?」
砦の下に蠢く松明で照らされたのは、黒い軍服を着たグリフィナスの軍勢。ざっと三千人を超えている。今、砦の警備に当たっているのは百人程。圧倒的に兵力が足りない。
砦に最も近い王国軍の駐屯地に奇襲を知らせる早馬を出したが、その部隊を足しても敵わない。だが、その駐屯地には王国軍の中で最も腕の立つ剣士であるワイアット少佐が率いる精鋭部隊がいた。それに一縷の望みを繋ぐ。
「ワイアット少佐が来るまでは、俺達で凌ぐしかない。絶対に砦を突破させるな!」
砦の警備部隊を指揮する軍人の指示が飛ぶ。
しかし、グリフィナス軍は砦に幾つもの梯子をかけていて、既に砦内に侵入を許していた。
ゼインも剣帯から長剣を引き抜いて応戦する。
攻防戦を繰り広げる軍人達の隙間を疾風の如く走り抜けていく。
ゼインの左目は、地面に仰向けに転がってしまった王国軍人にグリフィナス軍人が刃を突き立てる瞬間をとらえていた。走り込んた勢いのままに間に割って入り、相手の剣を弾き返し、素早く体勢を整えると長剣を的確に首元へと突き刺した。
相手の首から鮮血が吹き出し、ゼインの顔を赤く染める。どさりと音を立てて倒れた相手を視界の端で見届け、次なる敵をとらえて剣をまじえた。
始めのうちは互角だった。しかし、多勢に無勢。三千の軍勢でかかってくるグリフィナス軍に徐々に押されていき、ひとり、またひとりと倒されていく。
ゼインは一度に六人を相手に戦っていた。倒せども倒せども一向に減る気配のない相手に、ゼインの体力も底をつきそうになっていた。
それでも食ってかかるゼインに、グリフィナス軍も手を焼いていた。
「一人相手に何を手こずってる! さっさとそいつを殺せ!!」
上官らしき男がゼインを取り囲んでいる男達を叱咤した。その声に押されたのか、男達の剣が鋭さを増してゼインに襲いかかってくる。
(くそっ……ワイアットはまだかっ……!)
舌打ちをしながらひとりの首を掻っ切り、二人目に切っ先を向けた時、背後からゼインを狙う殺気を感じて身を捩った。その隙をついて左側から振り下ろされた剣を、崩れた体勢のままに受け止めて払い落とした。
休む間もなくゼインの首を狙った一閃を弾いた時、眼帯のせいで死界になっていた右側から突如拳が振り下ろされた。
予期せぬ攻撃を寸前でかわしたものの、怯んた隙を相手は見逃さなかった。ひとりの剣がゼインの右腕を切り裂いた。それが一斉攻撃の合図だったのだろう。
グリフィナス軍人達の剣が、ゼインの胸や腹や背中を貫いた。
「う……っ……」
口の端から赤々とした血が滴り落ちていく。剣を引き抜かれた体は、力なくうつ伏せに倒れた。
ゼインを避けて走り去っていくグリフィナス軍を追いかけようにも、体が動かない。どくどくと、傷口から流れ出る血と共に体温が奪われていく。
ゼインの視界に映ったのは、カーキ色のハドニオーネ王国軍の軍服を着た死体の山。
——俺、彼女に結婚を申し込もうと思うんだ。
固く決意をしていた男が、目をかっ開きながら絶命している。
——兄貴の所の子が目に入れても痛くないくらい可愛くてさ。だから、姪っ子をうんと甘やかす。
そう言ってにやけていた男は、蝋人形のように転がっている。
——俺はお袋の手料理を鱈腹食う!
食べることが楽しみだった男は、腹から血を流しながら事切れていた。
(……くそ……くそ……くそっ……)
血が滴る口からは、もう言葉は出ない。心の中で思いつく限りの悪態をつく。
次第に視界が霞んで、歪んで、暗転した。
——ゼインが目覚めたのは、一か月後のことだ。
医術師から告げられたのは、右腕の筋を断ち切られた為に剣はおろか羽ペンですら握ることは困難であるということ。
だが、自分の体などどうでもよかった。
見舞いにやって来たワイアットの口から、残酷な現実を知らされたから。
「砦の警備についていた者は、ゼインを除いて全員死んだ」
あの夜、ゼインは軍人としての道と、そして、大切な戦友達を一度に失った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます