新米守護隊エラ•ジェラルドの捜査報告 —巡—

空草 うつを

1章

申し遅れました、エラ•ジェラルドですっ

 夜も明けきらぬ街灯のない薄暗い田舎道は、人っ子ひとり歩いていない。

 あと数十分もすれば、朝市に出店する為に収穫した野菜を運ぶ農家の荷車が道を行き交い、獲れたての魚を輸送しながら談笑する漁師達の豪快なダミ声で満ちてくるのだが。


 今は、一台の馬車が田舎町から王都へ向けて歩を進めているだけだ。

 馬車は二人乗りで、御者ぎょしゃはいるものの日除けがお飾り程度に装備されている軽微なもの。


 馬車の座席では、ひとりの少女がぐーぐー平和な寝息を立てていた。隣の席に大荷物を置き、大判のブランケットを首まですっぽり被って正体なく眠りこけている。

 初めての配属先に出向く為に真夜中に出発したので、仮眠をとっているのだ。


 少女というのはいささか語弊があるが、実年齢の十八歳よりも若く見えてしまうのは致し方ないことだった。一見すれば十代前半の子供に見えてしまうほどに、小柄な女性だったからだ。

 体型だけではなく、色白で丸い顔はあどけなさが色濃く残っている。幼く見えてしまうのは眉上のパッツン前髪のせいでもある。

 明るいアプリコットオレンジの髪は鎖骨の前で切り揃えられ、ハーフアップにしていた。



 進行方向から、旅装束に身を包んだひとりの男が現れた。大きな頭陀袋を大事そうに抱え、俯き気味に歩いてくる。


 刹那、彼女の双眸が前触れもなく開かれた。

 右目は茶色、左目は金色のオッドアイ。くりっとした大きな目を何度か瞬かせ、あくびをひとつかませば目尻に大粒の涙が光る。

 滲んだ瞳には、向こうから歩いてくる旅人の姿が映った。ぼんやりと、その姿を何の気無しに目で追いかけている。

 馬車と旅人は何事もなくすれ違う、ように思えた。


「……んー」


 少女は何を思ったのか、寝ぼけ眼をこすり、ブランケットを体に巻きつけたまま馬車から飛び降りた。


「おい、ちょっと君!?」


 御者が止める声にも全く耳を貸さない。少女はちょこちょこと跳ねるようにもと来た道を辿り、旅人の前に躍り出た。

 ぎょっとして立ち止まる旅人の怪訝そうな顔とは裏腹に、少女は桃色の唇の口角をきゅっと上げてほんわかとした笑顔を浮かべていた。


「おはようございますっ」

「な、何か用か?」


 少女はなんとも呑気に朝の挨拶をした。旅人は急ぎなのか、今すぐここから立ち去りたくてうずうずしている。


「旅行ですか?」

「あ……ああ、そうだ」

「どこに行くんですか?」

「あんたに言う必要ないだろ? 先を急いでるんだ」


 少女を避けて通ろうとすれば、行く手を塞ぐように立ちはだかる。ブランケットの隙間から小さな手が伸びてくると、旅人の腕の中にある頭陀袋を指さした。


「袋には何が入ってるんです?」


 旅人の視線が彷徨い始め、頭陀袋を少女の目から隠すように更に抱え込む。


「しっ……仕事道具だ」

「なるほど、お仕事道具だからそんなに大事に抱えていたんですか! 因みに何のお仕事を?」

「……理髪店を……」


 冷や汗がどっと出ている顔と挙動不審な様子から、旅人は隠し事をしていると少女の目には映った。


「旅行にもお仕事道具を持っていくんですね?」

「……っ。命の次に大事な物だからな……肌身離さず持ってんだ」

「本当にお仕事道具だけですか?」

「しつこいな、そうだと言ってんだろ!」

「旅行に行くのにお着替えも何も持っていかないんですか?」


 首をかしげて不思議そうに頭陀袋を凝視する。言葉に詰まりながらも、旅人は必死に取り繕う。


「う……現地調達、だ」

「なるほどっ。あと」

「次は何だ?」

「そんなに大事な仕事道具なら、頭陀袋じゃなくてもっと良い袋に入れたら良いのにな、なんて思っただけです」

「どんな袋に入れようが人の勝手だろ!」


 どんなに声を荒げても、少女はあどけない笑顔を浮かべて一歩も引かない。じりじりと旅人の嘘を暴こうとする鋭い質問に、旅人の体は冷や汗がだらだら流れ出ていた。


「あなた、嘘をついてますね?」

「……っ……」


 たらり、と一際大きな汗が旅人の額から頬に流れる。


「袋に入っているのは……ずばり、子猫ですね!」

「……は?」


 自信満々に放った言葉に旅人は呆気に取られた。


「あなたは、ある日道端に倒れていた子猫を保護したんです。食べ物をろくに食べていなかったんでしょう、衰弱していて今にも死んでしまう、と動物専門の医術院に駆け込んだ。獣医に治療してもらい、きちんと歩けるようになるまで世話を続けるうちに愛着が湧いてしまいます。ご家族からは、子猫はうちでは飼えないから別な人に譲りなさい、と説得されるのですが、どうしても子猫と別れたくないあなたは頭陀袋に子猫を入れて逃げて来た! そうですねっ!? でも、一度家に戻ってご家族と話し合いをした方がいいと思います。あなたが子猫を大切に思う気持ち、きっとご家族も分かってくれますって!」


 旅人は安堵した。この少女、着眼点は鋭いが推理はまるで的外れ。その推理に同調して上手くやり過ごせばこの窮地を脱することなど容易だ、と口元を緩めた。


 だが、少々長居をしすぎたようだ。

 突如、旅人の背後から夜明け前の静寂を切り裂くような怒号が響き渡った。男達が数人、険しい顔をして走って来る。


「いたぞ!」

「その男泥棒だっ、捕まえてくれ!」


 旅装束を纏ったこの男、民家に押し入り盗みを働いて逃げている最中だったのだ。

 思ったより早く追っ手が来たことに、旅人は焦りと苛立ちに任せて舌打ちをした。少女は顔から笑みを消し、憤慨しているのか頬を膨らませている。


「道端で保護したんじゃなくて、子猫泥棒だったんですね? 危うく騙されるところでしたっ」

「騙される方が悪いんだよ。邪魔だ、どけ!」


 強行突破と言わんばかりに、少女を突き飛ばそうと体当たりをかまそうとした。

 が、旅人の動きに即座に反応した少女は軽やかに横に飛び退いた。まるで、旅人の動きなど全て見切っているかのように。当たるべき相手を失った旅人の体は、体勢を大きく崩して大きく前につんのめる。


 少女はすかさず、ブランケットの隙間から右手を伸ばした。体勢を崩した旅人の手から頭陀袋を奪い取ると、ぽーんと放り投げた。見事な放物線を描いた頭陀袋は、待機していた御者の手元に寸分の狂いもなく吸い込まれていく。


「このガキっ!」


 拳を振り上げてくる旅人を前に、少女は自身の体をくるんでいたブランケットを剥ぎ取った。その下から真新しい隊服が姿を見せる。


 ネイビーブルーの詰襟の隊服は、襟や裾、袖が銀色に縁取られ、同じ銀色の二列のボタンがネイビーの布地によく映えていた。

 臀部が隠れる程の丈の隊服の上からベルトを締め、剣帯には長剣が納められている。薄い灰色のズボンは、黒いブーツの中に入れこんでいる。


 少女が何者なのか、隊服を見ればこの国の者なら直ぐに理解できる。瞬時に旅人の顔から血の気が引き、自分の不運を嘆いた。

 勢いをなくした旅人の拳をブランケットでくるみ、反撃の隙を与えることなくそのまま体にぐるぐると巻きつけて動きを封じ込めた。


 ブランケットに手足の自由を奪われバランスを失った旅人は、そのまま無惨に地面にうつ伏せに倒れ込んでいく。少女は得意気な顔で旅人の背中に腰掛けて、追ってきた者達の到着を調子外れな鼻歌を歌いながら待った。


「いやー、助かったよ」

「ありがとう、本当にありがとう!」


 旅人を追いかけていた寝巻きを着た人々が、少女に何度も頭を下げた。その後ろにいた少女と同じ隊服を着た男達は、ぐるぐる巻きにされた旅人を拘束して檻付きの馬車に押し込んでいる。


「お勤めご苦労様です! 実にお見事でした!」


 少女に向き直った隊服姿の男は、一礼して健闘を称えた。褒められたことが余程嬉しかったのか、少女は喜色満面の様子だ。


「お役に立てて光栄ですっ。まさか泥棒だったとは思いませんでしたが」

「知らずに足止めしてたんですか?」


 隊服姿の男が訊ねると、少女は照れ臭そうに頭を掻いている。


「荷物がなんとなく気になって。ただの勘ですっ」

「勘、ですか」

「私の勘ってよく当たるんですっ。それで荷物のことを聞いてみたら、嘘をついてる顔をしてたんで気になったことをどんどん聞いてたんですっ。因みに何を盗まれたんです? 子猫ですか? 子猫ですよね??」


 自信たっぷりにあどけない顔がぐいっと近づいてきて、隊服姿の男は苦笑いを浮かべる。


「いえ、壺ですけど……年代物でかなり値打ちのある」

「壺だったかー。絶対子猫だと思ったんだけどなぁ」


 推理が外れて悔しそうに空を仰ぐ。既に夜は明け始めていた。夜と朝がせめぎ合い、日の出の神々しい光が空に浮かぶ雲を金色に染める。少女の口から感嘆のため息が漏れた。


「綺麗な空だなぁ……」

「あのー、お話のところ申し訳ないんですが、そろそろ行かないと本当に間に合わないですよ?」


 御者が急かすように声をかけると、少女は「はいっ」と返事をしながら馬車へ飛び乗った。


「あ、ちょっと待ってください。せめてお名前だけでも」


 御者から壺の入った頭陀袋を受け取った持ち主が、馬車の上にいた少女に声をかけた。

 少女はくりっとしたオッドアイの瞳を細め、ふんわりと笑みを浮かべて見せる。


「申し遅れましたっ。守護隊員のエラ•ジェラルドですっ。どうぞお見知り置きを!」

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