第18話 すごいクスリとヤバイ司祭
薄暗く、淀んだ酒場に渦巻くものがある。
歓喜、絶望、熱狂。
酒、博打、暴力。
低俗な眺めだ。
娯楽であり混沌の発端は
たった一つの小さな球体にすぎなかった。
「赤の2に全賭けじゃ!」
愚者の宣言と観客の視線を浴びて、
球はルーレットの上を転がる。
小気味のいい音と共に軽やかに球は走る。
見守る人間の祈りを、あるいは悲願など知らぬように。
(そして導き出される、勝者と敗者……)
「うおおおおおおお!」
果たして愚者の宣言通り、
球は2と記された赤のマスに着地した。
オーディエンスから湧き上がる歓声、というより……
(阿鼻叫喚……!)
くくく、と笑いが零れた。
この場を支配しているのは完全にモニカだ。
奴はどういうわけかルーレットをビシバシ的中させている。
的中させ続けている。
モニカの眼前にコインの山が寄越される。
小さな球が運んできた、莫大な報酬だ。
それを移すモニカの目は爛々と輝き、
あたかも磨かれたコインのようだ。
たぶん俺も同じ目をしているだろう。
これだけの資金があれば
超お気楽に研究生活が続けられるというもの。
資金に物を言わせて
あんな実験やこんな実験がやりたい放題だ。
「のぅ、そろそろコインも見飽きたわ」
「だな、休憩入れるか」
余裕の笑顔の俺とモニカは席を立った。
オーディエンスに応えながら酒を受け取ると、
他の卓を見物して回ることにしたのだ。
俺たちの振る舞いは完全に勝者のそれである。
背中に浴びる羨望が心地よい。
少し前までの、下水道掃除に精を出す労働者とはかけ離れていた。
俺たちが博打なんぞに興じているのか。
これは奇妙な偶然だった。
下水道掃除兼飛び道具練習に勤しんでいた俺とモニカは、
偶然に魔術で隠蔽された通路を見つけた。
そしてその先に待ち受けていたのがこの地下賭博場入口だったのである。
意外にも俺たちは入場を許され博打に参加、
あれよあれよという間に勝ちまくりの儲けまくりというわけだ。
まぁ俺は傍に立って見てるだけなんだけど。
「倍プッシュだ!」
向こうの卓から景気のいい声が聞こえてくる。
俺たちほどではなかろうが他にも調子のいい客がいるらしい。
ちょっと背伸びをしてその人物を確認する。
身なりのややみすぼらしい女性だ。
身長は高く、俺よりあるだろう。
俺の身長が低いということを加味してもやや大柄な女性だ。
肩まで伸びた髪を質素に括っており、
端の擦り切れたローブは巡礼者の類に見えなくもない。
ローブの端からは形のいい脛が覗いている。
裏社会の人間には見えないが浮浪者にしては健康的に見える。
(…いや、健康的って言うのは引っかかるな)
ルーレットに興じる彼女は実に楽しそうだ。
その目は尋常じゃなくギラつき、せわしなく球を追っている。
金がかかっているんだ、そりゃあ必死で球を見るだろう。
俺は違和感を感じるのは目の動きだ。
球を追うその目は人間の限界を超えているように見える。
双眸は独立して上下左右に跳ね上がり、一瞬とて止まることはない。
跳ねる球の挙動、飛び越えた番号、軽快な音。
全てを掌握し、次の瞬間を予測し続けているかのようだ。
獲物の一挙手一投足を、
人間が認識できる以上の時間の単位で注視しているのだ。
昆虫を思い出す。
と、その右目が動きを止め俺を見つめているような気がした。
しかし次の瞬間にはまた飛び回るハエのように回り始めていた。
背筋が冷える。率直にいって気味が悪い。
酔いが醒めていくのを感じた。
「俺らもあんなヤバい顔してたのか?」
「あの者、司祭じゃの」
思わず零れた問いは、
モニカの呟きによってかき消された。
俺はモニカの白けた顔を見、
狂った女性の顔を見、
またモニカの白けた顔を見、
狂った女性の---
「ぐっ!!!」
突如として鼻の奥と目頭に感情が激烈に込み上げた。
こいつ突っ込みとして”神の威光”をかけやがった。
ともかく幾らか落ち着いた俺は主神に確認申し上げた。
「やっぱりお友達にならないといけない流れなんですかね……?」
無言そして凝視。
俺を捉える双眸には果てしない闇が横たわっていた。
やれ、ということだ。
主人がやれというのなら僕に選択権はない。
「っっっしゃオラァァァァァ!!!」
賭博狂いお姉さん司祭の勝鬨だ。
さらに熱と狂気を帯びた女性司祭を遠目に、
俺は顔中のありとあらゆるパーツをしかめた。
絶対にお近づきになりたくない。
よく見ると美人ぽいが、
顔立ちが悪くないだけに激しく動く表情がより狂気を誇張している。
この前の往来でラリった男と同じ空気すら感じる。
そもそも賭博に興じる人間は嫌いだ。
金を払って金を失うことの何が楽しいのか。
非生産的ですらない。浪費しかしていないのだから。
なぜそんなことをするのか。
アホだからである。
または狂っているからだ。
そんな人間から得られるものがあるとすれば、
「あぁ俺はマトモでよかったあ」というさもしい優越感だけだ。
顔を覚えられる不利益のほうが大きい。
「やあやあ!お二人さん楽しんでるう?」
「ヒッ(うわこっち来やがった)」
些かガン見が過ぎたのだろう。
司祭(推定)は俺と目が合うや否や風のように纏わりついてきた。
近くで見るとやはりまずまずの美人だが、
酒の匂いとどろんとした目つきが印象を台無しにしている。
呂律の怪しさといい明らかにシラフではない。
「ぼちぼちかなぁー。
お姉さんは勝ちまくりで羨ましいなぁーあやかりたいなぁー」
「あやかりたいのぉー」
嘘である。あやかりたい気持ちなど全くない。もう勝ってるし。
賭博狂いが信仰する神などどうせロクでもないだろう。
背後のモニカから
「上手いことやれ」というプレッシャーを受けての精一杯の演技だ。
「おっ、君たちココで遊ぶなら賭博神を崇めちゃいなよ。
大丈夫みんなやってるから、ね……?」
怪しい口上と共に彼女が懐から何かを差し出した。
肩を寄せ、まるで後ろ暗いブツの取引のようだ。
「ハ、ハッパだ……」
「そう葉っぱ。
賭博神のありがたーい御加護が得られる縁起物だよ?
末端価格100枚が相場だけど、
初めてみたいだから50枚でいいよ」
「(高っ)」
それは木の葉を象った木彫り細工だった。
首から下げる紐を通すためだろう、ご丁寧に穴が一つあけられている。
とはいえ銅貨50枚は明らかにぼったくりだろう。
「ぜひ入信したいのじゃ。その代わり賭博神について教えてくれ」
俺の財布から鮮やかに50枚を支払ったモニカが極上の笑顔を作った。
気の抜けた笑みとともに賭博神の木彫りのブローチを渡す司祭。
「うひひ毎度ぉ。
お嬢ちゃん、人生の上り坂はここからスタートだよぉ。
アタシはマーシャ。こう見えて賭博神の司祭なんだ」
「俺はエルネスト。
モニカの保護者だ、よろしく」
「よろしくー。
じゃあお兄さんにもブローチを……ってもう無いや。
暇なときに自分で作っといて。
大丈夫、大事なのは気持ちだから!」
もう一個売りつけられるかと思いきや自作を勧められてしまった。
それならそもそも買う必要もなかったのでは。
俺たちはマーシャと名乗る司祭と握手を交わした。
それから賭博神の教えについて聞いた。
ざっくりいえば、「波乱の中に身を置くこと」。
俺はそう解釈した。
安定より挑戦を好ましいとし、苦境に進むことこそ意義があるとされる。
芸術家や冒険者に信者が多いらしい。
ゴブリン退治のときに知り合った戦神の教えを思い出す。
あれも”困難に打ち克つ”だったはずだ。
しかしながら賭博神の協議は微妙に屈折していた。
挑戦を是としながら実力をもって事態を打開するのではなく、
すべてを投げ打って天運に身を任せることを信条とする。
解決できる要素をあえて捨てること、
それを楽しむことが美徳なのだという。
そのため賭博神の信者は、
物事を決める際にしばしば運任せにするらしい。
はっきり言って酔狂だ。
「単純に幸運を授けるんじゃダメなのか?」
運なんて良ければ良いに越したことはあるまい。
「そんな美味い話あるわけないじゃぁん」
「おぬし理解が遅いのぅ」
けらけらと笑うマーシャと便乗するモニカ。
いらっとする俺。
「運が良いのも悪いのも人生なの。
賭け事みたいにどう転ぶか分かんない、それを受け入れていきましょー。
どれだけ悩んでも結局なるようにしかならないのよ。そういうこと」
「着地点としてはまぁ、穏やかではあるな。
釈然とはしないが」
一方で困難に向かう勇敢さを称え、
一方では人生の諦観を説いている。
「とりあえず勝負してみて、結果を楽しめということじゃな」
「そんな感じぃ」
モニカは分かった風だが、そんなフワついた教義でいいのか。
(いや俺の主神も相当フワついた教義だった)
「で、司祭はどんな奇跡が使えるんじゃ?」
「えっ? それはねー……秘密」
一番気になる質問に答えてくれない。
マーシャの勝ちっぷりを見ていると、
まさかイカサマが使えるとかではあるまいな。
だとすれば……世俗的すぎる。
「じゃあ俺たちと賭けをしましょう。
勝ったら教えてもらいますよ」
とはいえ聞き出すの簡単だ。
「……!
ずるいなぁ、そういわれたら乗るしかないじゃん」
「エル、冴えとるのう」
にやりと笑うモニカと俺。
さっさと聞き出さないと焦れたモニカが
神の威光でもブッ放しかねない。
大変幸運であることを
「神に愛される」と表現するが、こちとら神本人なのである。
愛されるどころではない。
先ほどのモニカを見る限り、
物質世界に干渉しているのではないかという連勝っぷりだ。
賭けで負けることは考えにくい。とタカをくくる俺だ。
「じゃあ勝負の方法だけど―――」
「待って」
容易に聞き出せると思った俺の目論見は外れた。
周囲を見渡したマーシャは俺の言葉を遮る。
「それはここを出られたらにしよっか」
俺たちが崇高な会話に花を咲かせている間に、
些か場の空気が変わっていた。
どの卓も嫌に静まり返っていた。
頭の悪そうな客たちは部屋の隅に追いやられ小さくなっている。
その代わりガラの悪そうな男どもが椅子にかけていた。
奴らはディーラーと共に静かに俺たちを見つめている。
ナイフを持つ者も見える。
そして一つしかない出入り口は屈強な大男に塞がれていた。
いずれの視線も俺たち3人に注がれている。
「マーシャよ、入信希望者がこんなにおるぞ」
「なんでお前はそんなに余裕なんだよ、ヤバイだろ絶対これ」
「いやぁ、さすがに勝ちすぎちゃったかなぁ。ツイてないわぁ」
抵抗手段はモニカの”威光”と“魔力の矢”。
俺の“魔力の矢”…と”感覚剥奪”。
マーシャは未知数なのであてにできない。
司祭であれば何かしら自衛の奇跡を使えそうだが、
未だ酒が抜けていないようだし。
(どうやら望み薄だな)
悪漢は10人以上いる。
殺到された場合、“魔力の矢”は撃てて一発。とても凌げない。
マーシャと博打をうつ前に、逆転の目もない修羅場に突入してしまった。
手のひらを返して恐縮だが、
今ほど破壊魔法を修めておけばよかったと思わないことはない。
「その二人はお仲間かな? 賭博神の司祭様」
と、酒場の奥から現れた人物がいる。
恰幅のいい老齢の紳士だ。
小奇麗な恰好がこの場にそぐわない。
が、まとった雰囲気は善良な人間のそれとは程遠い。
間違いなく「この場」の人間だ。
「君には仕事を与えたはずだが、何故うちのシマを荒らしてるんだね」
歳相応に重い声だ。
そして怒気を孕んでいる。
「あれぇ、ここウィンターさんの酒場になったんですねぇ。
教えといてくださいよぉ。
ここでボロ勝ちしてぇ、
アレの宣伝するつもりだったんですからぁ」
呑気に返すマーシャ。
ウィンターと呼ばれた紳士と面識があるようだ。
しかし話の全容が見えない。
「商品に手をつける売人はいらん。いや、お前はそれ以下だ」
「バレてたんですねぇ。じゃあしょうがないなぁ。
モニカちゃん、エルくん巻き込んでごめんねぇ。どうか逃げてね」
私がなんとかするから、小さく呟いたマーシャは眼前に両手を掲げる。
と同時に握られていたのは明滅する杖だ。
マーシャの掌を中心として光が集まり、
杖状に形成されたのは一瞬のことだ。
……魔術の一種?
(いや奇跡か)
召喚魔法の一つに、
剣や槍といった武器をマナで形成するものがあった筈だ。
通常、武器に不慣れな魔術師が用いることはない。
しかし古代の魔術師は違ったようだ。
使用用途が乏しいながら現代に伝わる魔術は結構あるものだ。
マーシャのそれは類似する奇跡なのだろう。
ひと一人分の長さがある光の杖は、棒状武器として完全に機能しそうだ。
問題は使い手だが……。
「薬漬けの酒浸りが威勢をはったところでどうにもならんよ」
鼻で笑う紳士。
悲しいが同感である。
しかし囮にはなるだろう。
その間に何かできれば。
周囲を観察する。
俺たちが入ってきた出入り口。
大男が塞いでいる上に3人は突破しなければならないが、あそこしかない。
(本当にそれしかないのか?)
「安心しろ、すぐには殺さん。そっちの魔術師どももな」
(!?)
ウィンターは俺たちのことを知っていたのか。
その驚きに気付くのが遅れた。
目の前にナイフを掲げた男が迫り、そして―――
吹っ飛んだ。
続く破壊音。
「なっ……!?」
酒場に静かな動揺が走る。
一瞬前まで男の顔があった場所には、
ゆっくり明滅する杖の先端があった。
そしてその直線上では、
テーブルをなぎ倒して動かなくなった男がいた。
「ねぇ、あたしの勝ちにいくら賭けてくれんのぉ?」
悠々と杖を引き戻したマーシャはラリった目で笑った。
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