第10話 ジレンマ

<<エルよ、ゴブリンは言葉を持つのじゃな、奴は命乞いをしておる。

 こちらからも何か話しかけてみるか>>


 ゴブリンシャーマンの鳴き声に意味があり、それをモニカが理解したということなのか。

 それは俺にとっても驚愕に値した。


 ゴブリンが固有の言語を有する可能性がある、という研究については聞いたことがあった。

 しかしゴブリンのもつ敵性から研究は遅々として進まないとも。

 もし本当にゴブリンが言葉を持つとすれば、その分野の人間にとって光明となるだろう。


 ただ決定的に不幸なのが肝心の翻訳者がモニカということだ。

 モニカはゴブリンと意思疎通が可能である。

 この点において俺は一切口外するつもりも、させるつもりもない。

 理由は言うまでもない。

 つまりゴブリン語解明の進捗に、今しばらく変化はないということだ。


 黙って見つめるモニカと唸り声を発するゴブリンシャーマン。

 一見してモニカが威嚇されているようだが、

 言われてみればゴブリンシャーマンが話しかけているように見えなくもない、か。


 俺には分からないが両者間で数度のやりとりがあったのだろう。

 やがて驚くべきことが起こった。


「グゲゲ・・・」


 ゴブリンシャーマンが平伏したのだ。

 武器である杖を置き、額を地面につけ諸手を伸ばしている。


 ゴブリンは低劣とはいえ知性を備える魔物である。

 強者に対して命乞いをしても不思議ではない。

 しかし戦司祭を下し、劣勢とはいえホブゴブリンたちが健在な状況で降伏を選ぶとは考え難い。


 推測だがゴブリンシャーマンはモニカを神と認めたのだ。

 自らが仰ぐべき堕神であると。


 「どういうことだ?」


 ダンの呟きが聞こえた。

 前衛二人の状況にも変化が生じたようだ。

 今まで攻撃してきたホブゴブリンが二匹とも後退し、武器を手放したのだ。

 ゴブリンシャーマンの指示だろう。

 剣戟の音も、誰の詠唱も聞こえない。

 ゴブリンと人間、両者の息遣いだけが今や微かに聞こえるのみだ。

 

 ダンとアランもゴブリンシャーマンの様子に気が付き、目を見開いている。

 しかしパーティーリーダーたるダンは、状況を理解すると俺に鋭い視線を寄越した。


 呪文で片を付けろ、と言っているのだ。


 ゴブリンたちの様子はどう見ても降参を示しているが、何かの罠がある可能性は否定できない。

 充実した装備のホブゴブリン2匹と、

 戦司祭を下すほどのシャーマンが揃っているのなら尚のこと不可解だと警戒したのだろう。


(飛び道具で安全に倒す、堅実な判断だ)


 だが俺は躊躇した。


 一つは奴らが無抵抗という事実。

 俺自身を守るために動いているうちは、相手を

“殺す”という行為について深く思考する余裕はなかった。


 しかし今、生殺与奪の権利が俺の手中にある事実を突きつけられ、

“殺す”という行為について否応がなく考えさせられているのだ。


 多くのゴブリンたちが殺されるところを見て、或いは自分が殺すうちに、

 これは仕方のないことなんだと無意識に納得していたつもりだった。


“仮にゴブリンが野放しになった場合、結局いつかどこかで人間を殺す。

遅いか早いか、俺たちかそれとも別の奴が殺すかの違いでしかない”


 ダンから旅の途中でそう言われていた。

 ゴブリンたちを殺すことで、人間を救っているという考え方は正しいと思う。


 だがそれでも、命を奪う行為に対しての忌避感は拭えなかった。

 無論、動物の肉を食うことに抵抗はない。

 食事は生きるために必要だからだ。

 だがゴブリンを殺す目的は食うためではない。


 邪魔だから殺すのである。

 ゴブリンと人間が出会わなければ互いに殺し合うことはなかった。

 どちらかが悪いわけではない、にも関わらず殺さなければならない。

 その対象が人間に近い姿をしていることが、俺の心をより重くさせた。


 もう一つの理由は、神を目の前にしてひれ伏すゴブリンシャーマンが俺と重なって見えたからだ。

 

……あのゴブリンと俺の違いはなんだ?


 一方は平穏に暮らす人間で、そこへ神が現れた。

 一方は排除されるべき障害として、神と人間たちに襲撃された。

 結局のところ、俺とあのゴブリンシャーマンを隔てるものは“偶然”でしかないのだ。

 それにゴブリンは俺が堕神に仕える以前から、信仰を捧げていたはずだ。

 その仕打ちがこれなのか。


 圧倒的存在を前にしてただ慈悲を乞うことしかできず、人間の手によって抹殺される。

 生活圏が重なった、それだけの理由で。


 俺の葛藤など意に介さぬ様子でモニカが杖を掲げた。


「”貫け”」


 その口から合言葉が紡がれ、破壊の呪文が解き放たれる。

 そしてホブゴブリンの一匹が胸を貫かれて倒れ伏した。

……死んだのだ。


 そこに至るまで、モニカの挙動は一切に淀みがない。

 命を奪うことに何ら抵抗を感じていないのだ。

 思えばウィリアムを危険に晒した時もそうだった。

 自らの信仰者であるゴブリンシャーマンを駆除すると決まった時も。


 俺はゴブリンを好いているわけではない。

 醜悪で低劣で人間に害を為す存在なのだから当然だ。

 しかし同じ生ある者として、無感情かつ作業的に殺されるのはあまりに理不尽だと思った。

 上位者たる神の気まぐれで命を奪われるのはあまりに不条理だ。 


 だからこそ、俺が殺さねばならない。

 生活圏を守るために殺すのだと自覚して。

 同じ堕神の従者として。


 モニカが二匹目のホブゴブリンへ矢を打ち込んだのと同時に、俺の詠唱も完成した。

 凶器の形をとった光が無抵抗なゴブリンシャーマンの頭部に突立ち、消えた。

 小さな断末魔が上がり、血だまりと肉塊だけが残された。


 ……これでいい。


 モニカはさも興味深そうに俺を見ていた。

 その胸中は、神のみぞ知るといったところだ。


「上出来だ、エルネスト。 続けてで悪いがウィリアムに解毒を頼む」


 緊張を解いたダンが俺に声をかけた。

 俺がゴブリンを殺すことを躊躇することを、分かっていたような口振りだった。

 ダンとアラン、俺とモニカは未だ不調のウィリアムのもとへ駆けつけた。


 闇の奇跡を受けたウィリアムは少しフラついているが立ち上がれるようにはなったらしい。

 体にはゴブリンの槍によって無数の傷がつけられている。

 が、どれも傷口は浅く出血も少ない。

 応急処置をすれば問題ないだろう。


 ただし毒に関しては別だ。

 ゴブリンは狩りのために、刃に毒を塗ることがある。

 傷口から獲物の体内へ侵入させるもので、徐々にその体力を奪うのだ。

 直ちに命を奪われなくとも、街へ帰るまでに動けなくなると危険だ。


 また仮にゴブリンが毒を用いていなかったとしても、不衛生な外傷は容易に病気を引き起こす。

 無論これは冒険者稼業に限ったことではない。

 結局のところ傷を負った時点で毒の対処は必要なわけだ。

 そしてそんなときに重宝されるのが“解毒”の魔術だ。


 簡潔に言ってしまえば、体外から侵入した“毒”を無力化する魔術である。

 奇跡にもこれと類似した“浄化”というものがあるが、

 これらの違いについて――特に“毒”の定義について論じると長くなるので割愛する。


 本来ならば司祭であるウィリアムが毒に対応する役目を担っていたのだが、

 今の状況では魔術師組が代替するしかあるまい。

 初めて会った時、ダンが“解毒”の習得有無について聞いた来たのはこれを見越していたのだろうか。


「“潔めよ”」


 モニカの合言葉と共に杖に込められた呪文が放たれる。

 ちなみに解毒用の杖は中古で買った汚い方である。


 

「かたじけない。 よもやゴブリンシャーマンに遅れを取るとは。

 もう大丈夫です、軽く目眩がしますが」

 

 戦司祭の顔には悔しさが滲んでいた。

 それを神妙な顔で一瞥したモニカ。

 直感だがモニカは何か心当たりがある気がする。

 恐らくゴブリンシャーマンから情報を得たのだ。


 ウィリアムの応急処置をアランとモニカに任せると、

 ダンは洞窟の最奥――ゴブリンシャーマンの祭壇の辺りを調べ始めた。

 

 俺はダンに命じられてゴブリンシャーマンとホブゴブリンの耳を切り取っていた。

 冒険者ギルドへの依頼達成の証左にするらしい。


 それとは別にゴブリンシャーマンの舌も切り取った。

”ゴブリンシャーマンの素材が欲しかった”という名目のためだ。

 これはこれで何らかの材料になったのは間違いないはずだ。

 とても気持ち悪かったが、同じ神を仰ぐ者として死を無駄にしまいという使命感で頑張った。


 骨と植物、石から作られた醜悪なオブジェからダンは光る小さな何かを手に取った。


「それは?」


 ダンの手の中で鈍く汚れて光るのは、ひしゃげたブローチに見えた。


「ちょっとした知り合いだったんだがな、やはりここで死んでいたか」


 “ちょっとした知り合い”という割に、ダンの言葉からは隠しきれない悲しみを感じた。

 俺たちと同様、以前に依頼を受けてここを訪れ、返り討ちにあった冒険者の遺品なのだろう。


 ダンはブローチをしまうと今度はランタンで洞窟内の壁を照らし出した。

 興味を引くものがあるのか、しきりに壁に目を近づけて観察している。

 そして床の一点を指し示した。


「見ろ、明らかに採掘された形跡がある」


 そこには柄の折れたつるはしと、割れたランタンが落ちていた。

 ゴブリンがここに住み着く前は採鉱が行われていたということか? 

 坑道というものに初めて入った俺には見当がつかない。


「稼働している坑道が占拠されたのであれば、もっと迅速かつ確実に対処されていたはずだ。

 つまり廃坑になってからゴブリンが住み着いたか、或いは……」


 或いは?

 その先の言葉は第三者によって遮られた。


「冒険者の諸君、ご苦労。 素晴らしい仕事ぶりだった」


 洞窟の入り口から入って来たのは見知らぬ10人ほどの男たちだった。

 どいつも革鎧を着込み、得物を佩いている。

 その下品な笑顔と身のこなし、どうみても鉱夫や村民ではない。


 冒険者、というより――


「盗賊か」


 ダンの呟きこそが答えだろう。

 

「そう、ここは俺たち“赤蛇”の大事な庭なんだわ。

 だからゴブリン共々お前らを駆除しに来たわけ」


 盗賊のうち、リーダー格と思しき男が手斧を取り出した。

 部下たちが横に広がって通路を塞いだ――退路を断ったのだ。


 

 リーダー格を睨みつけるダン。

 その目には明らかに憎しみが見える。


「お前らが殺したのか、前に来た冒険者を」


 盗賊たちはさも面白そうに笑う。

 それはゴブリンの鳴き声より余程耳障りに感じられた。



「そうとも、そうとも。 今からお前たちで再現してやろう」

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