第9話 神は助けない

 目の前の仲間が傷つけられそうな時、人間は庇おうとするだろう。

 当然俺もそうした。

 

 ゴブリンシャーマンは明らかに戦司祭―ウィリアム―を見据えて詠唱していた。

 奴にとって戦司祭は殺意を持って突進してくる敵なのだから当然だ。


 俺の“矢“が発動し、ゴブリンシャーマンに命中すれば、

 奴の詠唱を中断させることで、戦司祭を守ることができただろう。


 タイミングはギリギリだが無理な発想ではなかった。

 十分に実現可能な猶予があったのだ。


 だがそれは叶わなかった。

 突如として去来した感情により、

 俺の詠唱が中断され”矢“の発動は失敗したのだ。


 再度詠唱に入ったところで

 ゴブリンシャーマンの妨害には到底間に合わないだろう。


 致命的タイミングで俺を襲った感情。

 それは感動のようであり恐怖のようでもあった。


 生まれて初めて海を見たとき、大自然の美に触れたとき。

 もしくは害獣に襲われたとき、崖から足を踏み外しそうになったとき。


 それらの衝撃を最大級に高めたような形容し難い感情だ。

 

 しかし今の俺はその動揺を表現する言葉をもっていた。


“神を目前にした人間が抱く只々圧倒的な畏怖”である。


 ”神の威光”と言い換えてもいい。

 

 主神たるモニカはゴブリンシャーマンを注視したまま、

 神のやり方で俺に話しかけた。


 彼女の声は口を通さず、俺の頭に直接響いた。 


<<ワシの授けた奇跡とやらを見物しようではないか>>


 まるで見世物を楽しむかのような口振りだ。

 ……いや、”まるで“ではない。


 モニカは正に楽しみにしているのだ。


 堕神たる自分を信仰する、

 ゴブリンシャーマンが放つ悪しき奇跡の威力のほどを。


(ふざけるな!!)


 モニカの妨害に俺は唖然とし、そして激昂した。


 俺の感情を知ってか、その薄い唇の端をモニカはわずかに吊り上げた。


 もう間に合わない。

 ゴブリンシャーマンが詠唱を終え、

 ゴブリンに手こずるウィリアムの方へ杖をかざした。


 その挙動と同時、ウィリアムは数歩後ろに飛び退く。

 闇の奇跡により隙を晒し、

 直後にゴブリンの追撃を受けることを避けたのだ。


 ウィリアムの着地と同じくして一瞬彼の周囲が歪んだように見えた。

 

 魔術でも同様の現象を目にする。

 対象物に直接干渉するタイプの呪文で発生する現象だ。

 つまり既にウィリアムは奇跡による攻撃を受けたのだ。


 打ち合わせでは、

 ゴブリンシャーマンは武神ボルトラの司祭たるウィリアムが相手取る段取りになっていた。

 理由は”白き神々“に属する司祭は”黒き神々“の奇跡から守られるからだ。

 

 神々の大戦で敗れた“黒き神々”は

 物質世界への影響力を弱め、

 “白き神々”の加護に対し力を削がれるためである。


 ダンを始めたとした3人はゴブリンシャーマンを相手取った経験が何度かあり、

 故に奴らが行使する闇の奇跡についても分析済みだった。


 曰く、ウィリアムほどの練度であれば

 ゴブリンシャーマン程度の奇跡は

 ほとんど無力化できるだろうとのことだった。

 

 しかし今、俺の目に映るのは

 明らかに異常をきたしたウィリアムの姿だ。

 

 物理的攻撃を受けていないにも関わらず、

 身のこなしが明らかに鈍くなっている。

 まるで病人が無理をして立っているかのように。


「ウィル!?」


「ウィリアムさん!?」


 想定外の事態にダンとアランも直ぐに気がついた。

 

 だが武装したホブゴブリンは粘り強く、

 二人がウィリアムの救護に向かうことを許さない。


 <<どうやらアレが“感覚剥奪”のようじゃな>>


 ウィリアムを観察しているモニカが話しかけてきた。


 ダンから事前に聞かされていた、基本的な闇の奇跡の一つだ。


“感覚剥奪”は対象の五感を一時的に狂わせ行動を困難にする奇跡らしい。


 高位の闇の司祭が行使すると、

 対象者は最悪すべての感覚を失い

 横たわることしかできなくなるという危険な奇跡だ。


 しかしゴブリンシャーマン程度の練度であれば、

 せいぜい聴覚か平衡感覚のごく一部の不具合に留まるだろうと推測されていた。


 そして“白き神々”の一柱たる武神ボルトラの加護がある以上、

 その司祭であるウィリアムには全く通じないだろう、と。


 だが実際にはウィリアムのおぼつかない足取りから、

 決して軽微な影響でないことは明らかだ。


「こいつは何かおかしい! 速やかに魔術を!」


 寡黙なウィリアムが声を荒げて警告した。

 

 ウィリアムはゴブリンの槍を必死に捌きながら後退しているが、

 徐々に傷を負い始めている。


 急所を庇い、致命傷を避けるので精一杯のようだ。



 <<ふむ、満足した。 シャーマンはワシに任せろ>>



 モニカは俺に目くばせすると杖を掲げた。


 発せられた合言葉に応じ、

 その先端から輝く矢が標的目がけて飛翔する。

 

 そして矢はゴブリンシャーマンに命中する。

 その痛みからだろう、耳をつんざく不快な悲鳴をあげた。

 

 しかし致命傷ではないようだ。


 ゴブリンシャーマンは腕で頭を庇い、

 姿勢を低くとることで急所を意図的に外していた。

 

 存外に知恵が回る、と俺は歯噛みする。

 とはいえ大きくよろめいた様子からするに、かなり効いていることに違いない。


 無論、俺はその様子を悠長に眺めていたわけではない。


 俺は俺で”矢”の詠唱を終え、速やかに発射した。

 狙いはウィリアムを攻めたてているゴブリンだ。


 ”感覚剥奪”により体勢を崩したウィリアムを猛烈な勢いで突いている。

 

 その挙動は苛烈だが大振りで、

 飛来する”矢”に対応するには隙がありすぎた。

 槍を振りかぶってがら空きの胸に”矢”を突き立てられ、

 ゴブリンは仰向けに倒れた。

 

 苦痛に歪んだ声はない。

 おそらく死んだろう。


 ひとまずの危険が去ったウィリアムだが未だ調子は戻らず、

 片膝をついて荒い呼吸を繰り返すだけとなった。


 感覚を狂わされた肉体を制御するのに、

 相当に精神を摩耗したものと思われる。


 ホブゴブリンとそれぞれ斬り結んでいるダンとアランは、

 相手を圧し始めたようだ。

 

 いか体格に優れるホブゴブリンとはいえ、

 武器の扱いなど熟練の冒険者に比べるべくもない。

 決着がつくのは時間の問題だろう。


「グギ、グガ・・・・・・」


 と、”矢”を受けて崩れた体勢を持ち直しながら、

 ゴブリンシャーマンが何事かを発した。

 

 単なる本能的な鳴き声だろう。



 しかしモニカは別の受け取り方をしたようだ。

 驚きに満ちた声が俺の頭に響いてきた。


<<エルよ、ゴブリンは言葉を持つのじゃな、奴は命乞いをしておる。

 こちらからも何か話しかけてみるか>>


 ゴブリンシャーマンから堕神の情報を得る。

 ここに至るまでの修羅場で忘れていた。


 当初の目的を俺はようやく思い出したのであった。

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