第11話 拾った命と奪った命と

 自分はきっと世界で一番運が悪い。


 誰しもそう思ったことがあるだろう。

 そしてそんな出来事からしばらく経ち、

 熱さが喉元を過ぎた頃、別の不幸に直面して再度全く同じことを思うのだ。


 今この瞬間、俺の心境は正しくそれだった。

 ただ今回ばかりは、これを超える不幸は起こらないのではなだいろうか。

 

 椅子の角に小指をぶつけたとか、

 街中の平坦な道で転んで強かに打ちつけた鼻から血を流した挙句前歯が欠けたとか、

 大事な発表の直前に腹を下したとか。

 

 そんな些細な不運が幸せだった頃の記憶として頭を過るくらいには、

 現在更新された不運は記録的なものだった。

 否、それは不運ではなく危機的状況と表現した方が適切だろう。


「こいつはピンチじゃのう」

 

 モニカの声は言葉と裏腹に楽しそうだ。

 神と人間では精神構造が違うのだろう。


 ゴブリンの集落を襲撃し、首魁のゴブリンシャーマンとその側近であるホブゴブリン2匹

 (とゴブリン1匹)を俺たちは見事倒した。



 不測の事態により戦司祭が傷を負ったが応急処置をすれば動けそうだ。


 最後は陽動役の仲間と合流して残党狩りをするだけ…

 その段になっての敵の増援だった。


 それも相手はゴブリンではなく、武装した人間たちである。

 彼らは“赤蛇”と名乗る盗賊団であり、

 ゴブリンより手強いだろうことは明白だ。

 

 現れた盗賊は10人。

 もしかすると俺たちから見えない場所に配置されている敵もいるかもしれない。


 対して俺たちは5人。

 しかも1人は本調子ではない。

 それに2人は素人だ。

 6人目は単独行動中で連絡がつかない。


「みなさんもしものときは――」


「何言ってんだよ!!!」


 ウィリアムの言葉をアランが遮る。

 ”負傷した自分を置いていけ”をウィリアムは言いたかったのだろう。

 そうは言わせないアランに、その熱い気持ちに感動した。 


 しかしアランとダンがいくら奮闘したところで、

 この人数差を覆せるとは思えなかった。


 知性に劣るゴブリンとは勝手が違うのだ。


 一応、イレギュラーとして堕神の化身がいるが、

 本人曰く“特別なことは何一つできないししないから期待するな”とのことである。

 我が主神ながら全くもって頼りにならない。



 戦闘に特化した野蛮な魔術師であれば、

 打開策になりうる呪文を迅速に唱えられるのかもしれない。

 

 が、俺は善良かつ温厚な研究者である。

 人を傷つける呪文など、“魔力の矢”以外に知らない。

 正確には“使えない”か。


 或いは頭の切れる策略家なら、

 革新的発想を持って窮地を脱することができるのかもしれない。

 俺が策略家であるか? 愚問である。


「なぜ冒険者だけを殺した? 

 鉱山を手に入れるのならゴブリンを殺させてからでもよかっただろう」


 その点パーティーのリーダー――ダンは頭が切れる。

 ダンは盗賊のリーダーを睨みつけながら問うた。

 きっと問答で時間を稼ぎ打開策を探しているのだ。


 そうに違いない、そうであってくれと俺は祈る。

 祈るのは神に対してではなくダンに対してである。


「お前らは俺様のために働いた、しかも俺様は今気分がいいから答えてやる。

 ヒントはコボルドだ。知ってるか?」


 奴が上機嫌なのは確かなようだ。

 全く利益のない問答に乗ってきた。

 ダンは少しの間考える。


 相手が苛つかないであろう、最大限まで引き伸ばして。


「養殖して食う気だったのか?」


「つまらない冗談だ。

 まぁ、お前らのように無学な人間じゃ知らなくてもしょーがねぇ」


 ダンの挑発を盗賊は笑って流した。

 それにしても盗賊の分際で知識人気取りとは。

 しかしながら悔しいことに俺にも正解が分からない。

 言い訳するのであれば俺は魔物の生態について専門外だ。


「ここはなぁ、銀山なんだよ。 わかるか、銀だ。

 銀を掘ればそれだけで大儲けだ。が、それだけじゃねぇ。

 

 コボルドは銀を腐らせる。 何でかはお前らに言ってもわかんねぇだろうな。  

 腐った銀は銀の価値はないが、まぁ別の儲けになるってこった」


「コボルドが銀を腐らせるだと? 迷信だろう。

 そんな迷信を信じて銀山を腐らせたのか、笑えるな」


 得意げな盗賊へダンが嘲笑を返した。

 コボルドか銀を腐らせるという話は初耳だ。


 ゴブリン語といいコボルドの迷信といい、

 魔物の研究者には興味深い話題が多い日だ。

 俺が生きて帰れたらコボルドの件は教えてやってもいい。


「だからお前ら冒険者は馬鹿なんだよ。

 金儲けってのはなぁ、誰もやってねぇ事するから儲かんだよ。

 頼まれて魔物狩るだけのお使い君には分からねぇだろうなぁ」


「流石、数に物言わす卑怯者は言うことが違うな。

 お友達を連れて来なきゃびびって前に出れないくせによ」


 これ見よがしの挑発だ。

 このリーダーと一騎打ちでもして人質にできれば

 突破口が開けるかもしれない。


 ウィリアムの応急処置は途中だが、

 そろそろ動けるようになったのではなかろうか。


「そんな安い挑発に乗るかよ。 さぁお喋りはお終いだ、死ね」


 賊のリーダーが片手を掲げる。

 呼応して後ろの部下数名が弓を番えた。

 

(くそ、せめて一発くらい入れてやる! 

 ……いや、しゃがんだ方がいいのか、どっちだ!?)


 錯乱する俺に構うことなく、奴の手が降ろされる。

 


 ――が、



「おい、なんだコイツら!? 」


「ゴブリン!? まだ生き残りがいたのかよ!」


 矢よりも速く、敵の中に喧騒が走った。

 洞窟の外で狂乱する賊たちの声だ。


 続けて剣戟や足音が響いてくる。

 騒ぎを背にして1人の賊が俺たちの前に慌てて駆け込んできた。

 スカーフで口元を覆った小柄な盗賊だ。

 負傷しているのだろう、肩を手で押さえている。


「大変だ、ゴ、ゴブリンどもが襲ってきやがった! 

 武装したホブゴブリンまでうじゃうじゃいやがる!」


「なんだと!?」


 部下の報告を受けて赤蛇のリーダーが狼狽える。

 同じく取り巻きの盗賊にも動揺が走った。

 

(賊たちは、俺たちが集落と洞窟の殲滅が終わったのを見計らってから来たはずだ。

 何故このタイミングでゴブリンの増援が現れるんだ?)


 ふとダンを見ると、その唇は微笑んでいた。


「ウィル!」


「応っ!!」


 ダンからウィリアムへの合図と同時。

 武神の加護を帯びた咆哮が轟く。

 戦司祭の“威圧”により、賊たちの動揺はより大きくなった。


「ぐあぁ! こいつ!?」


 直後にゴブリンの一匹が侵入して賊の一人に噛み付いた。

 “威圧”によって心を乱され、

 ゴブリンに押し倒された仲間を見て賊たちは浮き足立っている。


 千載一遇の機会を逃す理由もなく、

 俺たちは賊のリーダーへ向けて一斉に走り出す。

 つまりは洞窟の出口目掛けてだ。

 

 走り出した俺の頬を何かが掠めていった。

 たぶん賊が放った矢だ。


 応酬とばかりにモニカが赤蛇のリーダーへ“矢”を飛ばす。

 走りながらよくもやるものだ、と俺は半ば呆れた。


 賊のリーダーは咄嗟に横に飛び“矢”の回避を試みる。

 が“矢”はその肩に突立ち、奴は苦悶の表情を浮かべよろめいた。


 更に“矢”の回避に気を取られたところへ、ダンが肩からタックルを食らわせる。

 尻餅をつく赤蛇のリーダー。

 ダンは素早くその顔面を蹴りつけて逃走を再開する。

 

 男は仰向けに伸び、続くモニカと俺も奴の顔やら首やらを強めに踏みしめた。

 さらにウィリアムが続き、殿をアランが務める。

 切り掛かってきた賊の何人かを浅く斬りつけながら、ダンが道を開いて行く。

 

 モニカ、俺、ウィリアム、アランが続く。

 両脇ではゴブリンに奇襲された賊たちが阿鼻叫喚の声を上げている。


「ゴブリンよ頼むから俺たちに向かってこないでくれ」と、

 今度こそは神に祈りながら俺は必死で走り続けた。


 やがて新鮮な空気と、眩しい日差しのもとに俺たちは飛び出した。

 信じられないことに窮地を脱したのだ!

 こんなに嬉しいことがあるか!


 しかし洞窟付近では未だ賊とゴブリンとが争っており、

 安全地帯とは言い難かった。

 まだ足を緩めるわけにはいかない。



 俺たちは森へ落ち延びた。

 体力の続く限り集落から離れて行った。

 いつ追いつかれるのかと、俺は生きた心地がしなかった。

 生きた心地がしなかったのは今日はずっとか。


 そしてその晩、火も焚かず、灯りも点けず身を寄せ合って眠った。

 本格的に凍える季節でないことが唯一の救いだった。


 .

 …

 ……


「遅かったな」


 誰かの声で俺は目を覚ました。

 既に日は高く、日差しがほんのり温かい。

 声の主はダンで、それは木陰から現れた男にかけたものであった。


 現れた人物は顔にスカーフを巻いた盗賊だった。

 確か、ゴブリンの襲撃を族のリーダーに伝えにきた男だ。

 その装いに心臓が止まった俺だが、

 おもむろにスカーフを外した素顔が思いがけない喜びを与えてくれた。


「ジェイさん!」


「お主か!」


 その名を呼ぶ声がアラン俺とで重なった。モニカはたぶん名前を記憶してない。

 一日ぶりに見た仲間の姿に俺はちょっと涙腺が緩んだ。

 これでパーティー全員が生きて脱出できたのだ。

 赤蛇盗賊団と同じ身なりをしたジェイは、笑みを浮かべてダンと抱擁した。

 

「完璧なタイミングだったな」


「偶然だけどな。

 明らかにヤバい奴らがお前らの後に入っていったから、

 慌ててゴブリンどもを洞窟へ誘導したんだが……なんせあいつらトロくてな」


「素晴らしい働きじゃった、ワシは感心したぞ」


 モニカも惜しみない賞賛を送る。

 これはジェイの無事に対してではなく、

 ゴブリンを赤蛇どもにぶつけた手管に対してだろう。

 

 そういえば洞窟に飛び込んで来た際“ホブゴブリンもうじゃうじゃいる”と

 ジェイは言っていたけど、あれも嘘か。

 ホブゴブリンは少数だったはずだ。

 つくづく有能な“盗賊”である。


「奴らの様子はどうだ?」


「ほとんどゴブリンにやられたぜ。 残った数人は俺が片付けた」


 あの場に残ったジェイは追っ手を片付けてくれたらしい。

 山中での不意打ちはお手の物とのことだ。

 

 そしてジェイの情報によると、

 奴らの盗賊団“赤蛇”は以前はだいぶ離れていた街道を沿いで“仕事”をしていた連中らしい。


 この近辺に手を伸ばしたとは聞いていなかったんだとか。


「このことはギルドに報告しなきゃならんな。 

 一応、ここからも用心して帰ろう」



 .

 ……

 ………


 それから俺たちは慎重に街へと向かった。

 その道中で不幸が更新されなかったのは本当に幸運だった。


 こうして俺の冒険者としての初仕事は終わった。

 街に帰り着いた俺たちは大いに酒を飲み交わしてお互いの健闘を称えあった。


 ゴブリン退治という楽な依頼だったはずが、

 とんだアクシデントに見舞われてしまったものだ。

 もっとも、そのおかげでダンたちと危機を乗り越えた友人になれたわけだが。


「しかしそのとき一陣の風が吹いた! いや風のような男がきた――誰か?俺だ!」


「おおおっ!」


「そして並みいるオークをバッタバッタ…いや、バッサバッサと斬り倒し――」


「本当かよ…」 


 肉料理をつまみながらアランが武勇伝を語っている。

 モニカはバカ正直に喝采を送っている。

 その隣ではダンが寡黙にエールを流し込んでいる。

 それ以上のペースでウィリアムはエールの追加注文をしていた。


 ジェイの姿はない。

 騒ぐようなタイプではないし、仕方ないか。


 そして俺はというと、未だに頭の中を整理できずにいた。

 初仕事はあまりに刺激的すぎた。 


「のぅエルよ、汝は勘違いしておるようじゃから言っておく。

 ワシは信者が死ぬことについて心を痛めていないわけではないぞ」


 酒盛りの最中、モニカが囁いてきた。

 その細い顎を肩に乗せられ、俺は硬直する。


 モニカの息遣いが鮮明に聞こえる。

 演技か酒のせいか、妙な色気を匂わせている。

 そしてこうも密着されると、その――


(……酒臭い)


「ワシらは信者の信心から力を得ておる。

 じゃから自らの信者が減ると困るのじゃ。

 ワシのように追いやられた神なら尚のこと、の。


 じゃがエルよ、汝にはこれから大いに働いて貰わねばならない。

 ワシのたった一人の総主教としての。

 遠からず敵対者に刃を向けられることもあろう」


 甘くない言葉に俺は眉をしかめた。

 命のやり取りなど御免だ。

 構うことなくモニカは続ける。


「ときに命を賭け、命を奪ってでも叶えたい望みがある。

 そのための強さをヌシには身につけて欲しかったのじゃ。

 ……命を奪える、強さをの」


 ふ、と俺の耳に息を吹きかけてモニカは席を立った。

 吟遊詩人の唄を聞きにいったようだ。


 その後ろ姿から堕神の表情は読み取れない。


 竪琴に乗って竜殺しの冒険譚が聞こえてくる。

 しかし俺の耳に反響していたのはモニカの言葉だけだった。


”命を賭け、命を奪ってでも叶えたい望み“……か。


 思い返したゴブリンの断末魔とともに、俺はエールを流し込んだ。

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