第12話 神と過ごす何でもないひととき

 

 長閑な昼下がり。

 

 魔術師ギルド―学院―の寮内、

 俺の自室でモニカは今日も本を捲っている。


「ほー…世界の果て…4頭の象…ほー」


 モニカという部外者を手元に置いておく妙案は未だ浮かばない。


 なので俺が授業で部屋を留守にしている間、

 師の研究室から拝借した本を読ませてモニカを軟禁している。


 この”餌付け“も長くは続かないだろう。

 なんせモニカの読書ペースはすさまじい。


 遠からず研究室の貯蔵本を読破してしまうことは明らかだ。


 ゴブリン退治を終えてから、 

 俺とモニカは今後の計画について話し合った。


 計画と言えば聞こえはいい。


 が結局のところモニカ自身が記憶を取り戻し、

 目指すところが決まらなければ神の僕たる俺も行動しようがない。


 堕神の教義は”自由“であり

 ――この点について俺はまだ訝しんでいるが――従って戒律も存在しない。


 太陽神の教徒たちが勤しんでいる朝夕の礼拝だの、

 聖典の読み合わせ等の日課も全くない。


 聖典に至ってはそもそも存在しないらしいが。


「だって決められるとヤル気なくなるんじゃもん」


「子供か」

 

 何をおいても俺が聞き出したかったのは、

 モニカとゴブリンシャーマンとの会話内容だった。

 

 ゴブリン語の存在についても本来なら追求に値する。


 しかしゴブリンとモニカが神の力でもってして

 会話したなどという事実は未来永劫闇に葬らねばならない。

 

 よって今は掘り下げない。

 

 モニカはあのゴブリンシャーマンに”神の威光“を用いて、

 自らこそが堕神であることを認めさせたらしい。

 

 ていうか”神の威光”を撃ちまくってくれれば安全に帰れたろうに。


 その問いには「”神の威光”を使うとまあまあしんどい」とのことだ。


「あのゴブリンも大したことは知らなかったぞ?

 

 ワシがこの姿を取る前から闇の奇跡は使えたようじゃし、

 奇跡が使えるようになった時は直感的に分かったと言っておった。


 ワシ不在でも信仰というのは回るもんなんじゃなあ、ちょっと寂しい」


 何が寂しいものか、とは口に出せない俺だ。


「流石に司祭候補をいちいち訪ねてるわけじゃないのな」


「その解釈は半分正解で半分ハズレといったところじゃな。

 神はぬしら人間のように物質的な肉体をもたぬ、

 物質世界の軛に縛られぬ。

 

 ワシらの本質は天上界にあり、

 同時に物質世界にも一部が溶け込んでおる。


 ぬしが奇跡を行使するだとか、啓示を受けるだとかの行為は、

 物質世界に存在するワシの一部が勝手に片付ける仕事じゃ」


 モニカの返答に俺は暫し思案する。


「すると神に祈り奇跡を行使する行為に、

 神の意志は介在しないってことか?」


「そうともいえる。

 だが目に余る背教者は

 すぐに司祭たる資格を剥奪されるから気をつけるんじゃな」


「ゴブリンはそんなことまで知ってたのか?」


 モニカの栗色の瞳が本から俺に移った。


「違う。 武神の司祭が奇跡を使うのを見ているうちに思い出したのじゃ。

 他の神に触れることで思い出すこともあるみたいじゃのぅ。


 どうじゃ、もっと色々な司祭どもに会ってみるというのは。

 勿論ちゃんとした司祭じゃぞ、

 ただの信者じゃ駄目じゃ」


「御身が堕神でなければねぇ……」


 溜息。

 あれから街の施設について調べて見た。


 しかし国教たるイガース神を除いては、

 同じく”白き神々“に属する五柱の簡易的な祠があるだけだった。


 あとは中立神の祠もちらほらと。

 どれも訪れる人は多くないらしい。


「あとゴブリンはこうも言っておったぞ。

 ワシが傍にいたせいか、闇の奇跡の力が強まったと」


「……それ本気で言ってるのか」


 ふふふ、と笑うモニカに対して凍りつく俺。


 つまり本来なら無効化できるはずの闇の奇跡を被り、

 ウィリアムが窮地に陥ったのは

 モニカ――堕神を連れて行った俺の責任だったということか。


 てっきりあのゴブリンシャーマンは

 他の冒険者パーティーを倒したくらいだから、

 相当の修練を積んでいたのだろうと思い込んでいた。


 が、思い返してみれば、

 俺たちより以前に訪れた冒険者たちを殺したのは盗賊団だった。



 このことは他言無用だとモニカにきつく言い聞かせる。

 ゴブリン語などより余程秘匿すべき事実だ。


 まぁこの先、闇の奇跡を使う魔物と対峙することなど二度とないだろうし、

 気にしなくていいか。


「まぁこの先、闇の奇跡を使う魔物と対峙することも

 二度どころじゃないじゃろうし、気をつけるんじゃぞ」


「は?」


 再び文字を追いながら、

 モニカは編んだ赤毛をくるくると弄っている。


「じゃからぁ、今度はもっと事情を知ってそうな奴と話さないかんじゃろうて。

 お主もそれまでに役に立つ魔術を覚えとくのじゃぞ」


「なんでそういう話になる?

 他の神の司祭を探せばいいだろ?

 魔物退治なんて危ない橋渡らなくても」


 何故死に急ぐ必要があるのだ。


 ”信仰とは死ぬことと見つけたり“などという境地に至れる気はしない。


 そしてこの神は自らの信者含めて命をまるで軽視している。

 死ぬ目に遭っても助けはまるで期待できない。


「だってワシの信者どもはあらかた放逐されて、

 ひっそり潜んでるだけなんじゃろ?


 イガースの奴は加減を知らんからのー。


 ……そんなん探すより冒険者ギルドの依頼をマメに確認して、

 魔物とお茶しに行けばよかろうが」


「よかないわ!」


 わざわざ水面下に潜んでいる信者を探すのが面倒そうなことには同意する。

 なんか危なそうな奴らだし。


 しかしだからといってマンティコアだの

 吸血鬼だのにノコノコ会いに行ってたまるか。


 俺の憤慨を気にかける様子もなく、モニカは次のページを捲った。


「ワシの教義は”自由“。

 ワシがそうしたいならそうさせるのが

 総主教エルネストの使命じゃろうが」


「いつから堕神の総主教になってしまったんだよ俺は……」


 そして俺の”自由“は何処へ行った。


「ワシの教団はなにぶん人手不足じゃからのう。

 足を洗いたいのなら後進を育てることじゃな」


 要らん知恵をつけやがって。


「そう落ち込むな、名誉なことではないか。

そして信者思いのワシは冒険者ギルドへ出向いて情報を仕入れてきたぞ。

このあいだの司祭の知り合いに猟神の司祭がいるらしい」


 勝手に出るなと行ったはずだ、という俺の反論は

 ”だって暇だったから“というしょうもない理屈と”神の威光“でねじ伏せられた。


 やりたい放題か。


 ”猟神”というのは森や狩猟を司る神グルアグリオのことだ。


 主に狩人や農民に信仰される神で、

 ”自然との調和“だか”自然に生きる“だかを教義にしていた気がする。


 なんとなくうちの主神と性質が似ている。

 猟神は”白き神々“にも”黒き神々“にも属さない中立の神である。


 こういった所謂”中立神“は少なくなく、

 ほとんどの信仰は活動を容認されている。


 というような知識は最近本で仕入れた。


 そういえば、とモニカは本を閉じ、

 あからさまに何かを思い出した素振りをする。


「それとまだ喜ぶべき知らせがあるぞ!

 エルよ、汝にも我が奇跡を代行することを許そうではないか!」


「本当かよ……」


「なんじゃ、その目は? よもや神を疑うか」


 だって奇跡の行使に神の意志は介在しない、ってさっき聞いたし。

 あとこのテンションが何だか嘘くさい。


 俺の疑惑の眼差しに、モニカは鷹揚に頷いた。

 そして窓のを開けて眼下の往来を指し示した。


「まぁエルは拗らせとるからの。

 丁度いい、あの辺の人間で試してみよ」


「試せるかっ!」


 言い放って俺は窓を閉める。

 この神の場合、冗談ではなく本気で試し撃ちさせる気だ。


「まぁ正確には行使する”資格を得た“ってことじゃがの。

 今のお主で成功するかは知らん」


「そら見ろ、ぬか喜びせずに済んだわ」


 とはいえこっそり練習してみようとソワソワする俺だった。


 結局のところ、これからの俺たちは他神の司祭と交流を持ちつつ、

 堕神の隠れた信者を探し、堕神を崇める魔物を探すということになった。


 それにあたって俺は情報収集も兼ねて冒険者ギルドに出入りし、

 ”役に立つ“よう経験を積むことになってしまった。


 ……まぁ、魔物の情報を得たところで握り潰せばいい話だ。


 ひとまずのところはモニカの処遇について考えねばなるまい。


 俺が考えを巡らせ始めた時、ノックの音が部屋に響いた。


「エル、アンタまた黙って本持ってったでしょ?」


 ノックの直後、身構える間も無く扉を開く女がいる。

 ……あいつだ。


開かれる扉の迅速さと無遠慮さときたら、

モニカをどうこうする暇などなかったくらいだ。

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