第13話 暗黒茶番
エイダは俺より一つ年下の学院の生徒である。
同じ導師に支持する弟弟子でもある。
……妹弟子という言葉はあったかな?
俺とは対照的に溌剌とした女性であらゆる外面が良く、
誰からも好意をもって迎えられる人物だ。
麦色の長髪と無駄に白い肌は近頃ますます人目を惹き、
多くの学生が目を輝かせて話しかけている。
無論、彼らはエイダの隣に立つ俺には一瞥しか寄越さない。
たまに俺を睨み付けてくる男もいるが甚だ迷惑だ。
そんな彼女は俺にとって魔術師の道を志し、
学院に入学する転機をくれた恩人の一人でもある。
俺には血を分けた兄が二人いるが、
彼らよりもよほど身近にエイダを感じている。
エイダにとっての俺もそういう扱いだと思いたい。
実は滅茶苦茶嫌悪されていたら相当凹む。
俺と違って高等な教育を受けているはずだが、
遠慮という概念は欠落しているのかもしれない。
「何、その態度?
迷惑被ってんのはこっちなんですけど」
親しき中に礼儀を持たない彼女は、
俺の溜息に更なる苛立ちを募らせたようだ。
「部屋に入っていいなんて言ってないぞ。
ていうか返事すらしてないのに開けるな」
「はぁ? いかがわしいことでもしてたわけ?
どうせ――」
どうせ寝てたんでしょ、
と言いかけたであろうエイダの視線を俺は受け止める。
だがその視線はすぐに俺から外れ、
もう一人の人物を捉えた。
さほど興味なさそうに来訪者を見やるモニカである。
モニカの瞳はエイダの頭のてっぺんから爪先までを映し、
今度は爪先から頭の天辺に戻った。
そして興味を失ったように読書を再開する。
ちなみに本の題名は
”特定被付与呪文における媒体の択一性”。
まさにエイダが取り返しに来た本らしい。
すまん、と詫びを入れてモニカから本を奪う。
眉を顰めたモニカだが、
俺が代わりの本をやると上機嫌そうに黙々と読み始める。
ちなみ題名は”信仰の対価”。
「いや、そうじゃなくて! 誰、それ!?」
俺はエイダの望むものを返した筈だ。
ヒステリックな叫びに今度は俺が眉を顰めた。
このお嬢様は昔から短気というか騒々しい。
「まぁまぁ、そうかっかするなよ、な?」
唖然とするエイダを肩を掴み、
その爪先を扉の方へ反転させた。
そしてやおら廊下へ押し出し、
本を手渡すと共に「お疲れさん」と労ってから扉を閉めた。
無論、鍵も――
「流されるわけないでしょ! 説明しなさいよ!」
またも勢いよく扉を開け放たれ施錠は叶わなかった。
乱暴に扉を開けるのは良くないと何度も言っているのに。
「チッ。
これは知り合いの娘さんで、
家庭教師やってくれって頼まれたんだよ…チッ」
「アンタに預けられる娘さんなんて存在しないわよ
……一体どこの子?」
「あー、あれだよ。
薬屋の爺さんの孫だかひ孫だか」
「あのボケかかったお爺さんの!?
本当でしょうね」
疑いの眼差しで俺に詰め寄るエイダ。
裏通りにいつからあるかも分からない調合師、
通称”薬屋”の爺さんがいるのは本当。
ボケているのも本当。
孫だか曾孫だかも多分いるだろう。
そういうことにした。
「ほら、俺って仲いいじゃん? 爺さんと」
「あのお爺さんに人を見分ける力が残ってるのも初耳だわ……」
モニカに挨拶を促す俺。
開いたページに栞を挟むと、モニカは渋々顔を上げた。
「モニカじゃ、よろしく」
以上。
まったく馴れ合うつもりのない自己紹介であった。
この素っ気なさ、俺の主神に相応しい。
対してにこやかに応答したエイダは大人だ。
「私はエイダ。 その三つ編みすごく可愛いね」
「くるしゅうない」
モニカは相変わらず素っ気ない。
さてこれで喧しい同僚が退室するぞ、という俺の期待は裏切られた。
エイダは無遠慮にベッドに腰掛けて話し始める。
「最近学院内に出没する謎の女の子ってモニカちゃんのことでしょ?
しれっと授業に混じったりしてて、
追いかけると何故か消えてるって噂の」
「……おい」
モニカへの追及の視線は、
眼前に開かれた本により遮られた。
こいつ俺が留守の間、自由奔放に歩き回っていたらしい。
自由にもほどがある。
「今はまだいいけど、そのうち問題になるわよ。
何もエルの部屋で教えなくてもいいんじゃない?」
確かに部外者がうろつくのは望ましくない。
俺の関係者という肩書では全く解決しない問題だ。
……ならば関係者にしてしまおう。
「んー、じゃあモニカを先生の助手にしちまおう。
エイダ、導師代理権限でよろしく」
「はぁ? どういう流れよ」
つくづく面倒だ。
俺は細く息を吐くと、声のトーンを幾分落とした。
「……薬屋の爺さんな、いよいよ先が無いらしいんだわ。
モニカは早くに両親を亡くしてて、
その上爺さんまで死んだら天涯孤独になるだろ?
だから一人でもやってけるように色々学ばせたいって言ってたよ……
最期の願いだって……」
俺は呟くように述べた。
額に手を当て、
テーブルにその肘を置きながら。
いかにも”思い出すのも辛いです”といった素振りだ。
吟遊詩人も真っ青の名演である。
案の定、エイダは神妙な表情を作っていた。
……もう一押しか?
と、モニカが唐突に咳払いをした。
それ自体は特別なことではない。
ただの偶然だろう。
しかし俺はおもむろにモニカの横に回り、
そのか細い背中を優しく擦った。
「大丈夫か?」
問いかける俺の目は語っているはずだ。
”女優になれ”と。
様々な物語を読破した今のモニカなら、
やってやれないはずはない。
只ならぬ俺の眼力にモニカは全てを察したのだろう。
今度は大きめの咳払いをしモニカは儚げに笑みを作った。
「大丈夫じゃ、いつもの薬を飲んだから問題ない」
モニカの不穏な言葉にエイダは顔を歪める。
そして口元を覆い恐る恐る俺に問うた。
「ま、まさかモニカちゃん、体が悪いの……?」
「薬さえちゃんと飲んでれば、それほど深刻じゃないんだ。
ただ体が強い方じゃなくてな」
な?という確認に対し、モニカは絶妙に力なく頷いた。
「そう、大丈夫じゃ。
だって頑張るって決めたから……!」
モニカの健気な笑顔がエイダに突き刺さった。
直視するに耐えず、
エイダは両の手で顔を覆い何やら頷いている。
完全に涙零れてるな、あれは。
俺はと言えば笑いを堪え過ぎて顔が強張りっぱなしだった。
正直今にでも爆笑しそうで脂汗が出る。
鼻の穴が膨らんで唇の端も上がってきた。
エイダが顔を上げる前にリセットしなくては。
こっそりと頬の筋肉を揉み解して、俺はエイダに退室を促した。
エイダの肩を抱きながら部屋の外まで送ってやる。
「そういうことだから、な。 頼むわ」
こくり、と顔を覆ったエイダが頷いた。
手の隙間から鼻を啜る音が聞こえた気がする。
こいつは昔から雰囲気に流されやすいからなぁ。
エイダがとぼとぼと去って行ったことを確認し、
今度こそ扉を施錠する。
一つの局面を乗り切ったという達成感が身を包んだ。
「ぶふふふ! 泣くかアレで! 馬鹿じゃろ、普通に馬鹿じゃろ!」
俺の枕に顔を埋めて爆笑しているモニカ。
両足をばたつかせていることから
相当なご機嫌であることが伺える。
「薬ってなんだよ! さっき食ってたナッツか? くっ、ふははは!」
俺も抑えていた笑いを解放した。
しかしエイダの奴。
涙脆いとは思っていたがこうも上手くいくとは。
悪い男に騙されないよう気にかけてやらないとな。
「しかしお主、性格最悪じゃのぅ!」
「堕神様こそ流石の演技!」
”病弱なモニカとそれを気遣う俺”という即興劇が、
俺とモニカの定番ギャグとなったのはこの日からであった。
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