堕神のグロソラリア ~平凡魔術師が《敗北邪神》を《最高神》に成り上がらせるまで~

備前島

第1話 降臨の代償


 俺はエルネスト=ヘイレン。20歳。

 一流を目指す魔術師だ。


 頭脳派魔術師であるはずの俺は今、

 全力で走っていた。


 なぜか。

 魔術師ギルドの在籍義務である、課題のせいだ。

 

 実験に必要な触媒を切らしてしまったため、

 なじみの薬屋に駆け込んだのが先刻のこと。


 しかし全てが揃わず、店を梯子するために飛び出したのが

 さっきのことだ。

 

「どこのどいつだ! ムカデネズミの肝なんて買占めやがるのは!」


 叫んだところで在庫は補充されない。

 店主曰く、最近なぜか飛ぶように売れるのだという。

 品切れなど無縁なニッチ素材にも関わらず。


「今日は近道!」


 最短ルートを行きたい俺は、広い通りを外れた。

 裏路地から迅速に向かうためである。



 路地は薄暗く、ちょっと危ない噂も聞く。

 

 しかし俺に選択の余地はなかった。



 ……いや、この先の未来を知っていたのなら、

 その選択は無理にでもしなかっただろう。



「おい、ここは通行止めだぜ」


「っと! なんだよブルーノ君。

 こんなところで会うとか今日はツいてないわ」


 俺の急行を遮ったのは、同じ魔術師のブルーノだった。

 何年か早く魔術師ギルドに入っただけで先輩風を吹かせる面倒な男だ。


「今日は金もってんだろエルネスト。

 俺たち飲みたい気分なんだよ、寄越せ」


「いま急いでるから。 そういうのは後日頼むマジで」


 俺の提案は却下されたようだ。

 ニタニタ笑うブルーノの背後から、一人また一人と取り巻きが現れる。



 小金持ちのブルーノを囲む、いつものご機嫌伺いどもだ。

 

 背後を振り返る。

 通路を塞ぐように既に数人が構えていた。

 不快な顔でブルーノは勝ち誇る。


「こういうのをよぉ、ふ――」

「袋のネズミってな。 でもここまでやるか?

 ……もしかしてムカデネズミの肝買占めてんのも、ブルーノ君かよ」


 俺に遮られたことが不愉快だったようだ。

 ブルーノは舌打ちしながら袋を取り出して見せる。



 どうやらあれが俺の目当ての品らしい。


「エルネストー、てめぇ調子乗りすぎなんだよ。

 俺の研究テーマを何回横取りすりゃ気が済むんだぁ?」


「は? あれはブルーノ君がとっくに諦めたやつだろ?

 しかも俺が学院入る前に。 そんな話知らんての」


「うるせぇ! 俺ならできたんだよ!!

 寛大な俺ももう限界だぜ……おい、謝れ。

 地べた這いつくばって無様にな」


「えぇぇ……」


 言いがかりもいいところだ。

 自分の能力不足を棚に上げて八つ当たりとは

 お里が知れる。


 しかしそんな横暴も、ブルーノの実家が小金持ちだから

 黙認されているのが現状だ。


「優秀なブルーノ君の成果を卑しくも横取りしてすみませんでしたー!

 ……これでいい? じゃあ、その袋くれる? 金なら払うから」


 汚いので地面は触らなかったが、深々と頭を下げた。


 さっさと謝罪をすませ、手を差し出した俺。

 これで解決。

 なかよしなかよしである。


「てめぇ舐めてんじゃねぇぞぉぉぉぉ!!」


「なんでさ……」


 きちんと謝ったのに。

 湯だったゴブリンのような形相でブルーノは叫ぶ。


「ちょうどいい、最近覚えた破壊魔法の試し撃ちだ。

 動くんじゃねぇぞカス」


「おいおい、さすがにブルーノ君でもバレたら除籍じゃすまないよ」


 俺が諫めるのも聞かず詠唱を始めるブルーノ。

 眼前に構えた杖は完全に俺に定められている。


 人に向けての破壊魔法はご法度だ。


 ここにいる魔術師の誰もが知っているはずだが、

 止める人間は俺しかいない。


 後ろから近づいてきた男が俺を羽交い絞めにした。

 まさに的状態の俺だ。


「“穿孔”!」


 詠唱が完遂され、魔法が放たれた。

 炎ような光弾が杖から迸り――


「っ!」


 俺の足元で炸裂した。

 ブルーノの“穿孔”は俺を傷つけなかったが、

 足先の地面を浅く抉っている。


「おぉー初めていい顔したなぁ。 そうだよワザと外した。

 ビビらせてからのほうがおもしれぇからなぁ。

 まぁその顔も次で吹っ飛んじまうけど」


 けたけた笑う。

 表情豊かなブタだ。

 

 英雄譚であればここから体術なり魔術なりで、

 華麗に窮地を脱するだろう。


 しかし悲しいかな。

 俺は研究と平和を第一に愛する魔術師だ。

 ブルーノのように野蛮な魔法は修めていない。


 正確には超初級を一つだけ唱えられるが、

 この状況では詠唱中にぶん殴られるだろう。

 しかも羽交い絞めにされているし。


「命乞いしろエルネスト! したら許してやるかもしんねぇ」


「ゆるしてくださいブルーノさまー。

 エイダに君の悪口言ってすみませんでしたあー」


「てめぇブッ殺す!!!」


 今度こそ本気でキレた様子のブルーノ。

 ちなみにエイダは俺の幼馴染で、ブルーノがフラれた相手だ。


 口では飄々としている俺だが心のなかでは違う。

 こいつだけには真剣に屈服したくなかったのだ。

 男の意地とでも言うのだろうか。


 なるようになれと“穿孔”の詠唱を見守る俺。

 

「こいつ詠唱ヘタクソだなぁ、な?」


 俺を羽交い絞めする男に同意を求める。

 無論、返事はない。


「“穿――」


 詠唱は成された。

 これで俺のまあまあな顔面ともおさらばか。

 せめてもの抵抗と、ブルーノを睨みつける俺。


 しかし破壊の光が飛んでくることはなかった。

 ほぼ終わっていた詠唱を中断し、ブルーノは目を見開いている。


「どうした? 許してくれんの?」


 問いかけに答えない。

 俺と睨み合いをしているわけではない。

 証拠に、奴の視線は俺の背後を示していた。


 路地の奥、その暗がりを。


「な、なんだよアレ! 誰だお前!」


「ヒッ!」


「うわっ、なんだこれ!?」


 どうやら第三者が来たようだ。

 もしや助けてくれるのか。


 羽交い絞めにされているので振り返ることはできない。

 しかし取り巻きの悲鳴から、どうやら戦況は傾きつつあるようだ。


「おわっ! 足が!?」


 耳元で悲鳴が上がった。

 体が自由になり、振り返る。

 俺を拘束していた男は尻餅をついていた。

 

 そしてそれに覆いかぶさる黒い霧のようなもの。

 

「な、んだこれ」


 言葉が出ない。

 たとえるなら闇で出来た蚊柱。

 意思をもった煙。


 そしてその中に光る、双眸。

 

 目が合う。


 目の前に、来る。

 

 ――俺の目に、“入って”くる。


「があああああああ!!!」


 それが俺の声なのか、別の奴の声なのか。

 判別することはできなかった。




 <<汝――由――せよ――真の――>>




 ただ頭のなかが掻き乱され、思考させられていた。



 何を?

 わからない。


 俺にはわからない何かを。

 俺の脳の限界を超えた速度で、でたらめに計算させられていた。


 頭を抱えてのたうち回る。

 


 なんだか分からないが早く終わってくれ!


 死ぬなら死ぬでいい。

 ただただ苦しい。


 揺れる視界なかで、ほかの奴らも呻いているのが見えた。

 


 ――見えただけだ。

 それについて考えることは、俺に許されていなかった。


「お……ごぁ……」


 誰かの顔だ。

 ブルーノ、とかいう。

 

 両目から涙を、口から涎を流している。

 見開いた目には俺が見えた。


 ……同じ顔をしている。


「た、す……エル、ネ……」


 ブルーノは自らの口に手を突っ込んでいる。

 下顎を掴み、ひたすらに引き下げている。


 もっと、もっと口を開こうとするかのように。


 そうすることで奴に入り込んだ何者かを吐き出すかのように。


 やがて唇の端が鮮明に赤くなる。

 

 頬が裂ける。

 舌が垂れ下がる。


 口が、広げられていく。


 その目は、まだ俺を見ている。


「は…ぐぉ…!」


 声にならない叫びとともに。

 

 彼は、己の顎を引きちぎった。


 


 血しぶき。


 


 頭が握りつぶされたかのように、俺の意識はそこで途切れた。



 俺は、死んだのだろうか。






 …

 ……

 ………



 ――寒い



 窓から入り込む冷気に、眠りから引き戻された。


 部屋はすっかり暗くなっていたが、

 窓辺は月光によりいくらか明るい。 


「いつから寝てんだ……俺」


 上半身をゆっくり起こし、記憶を辿る。

 ベッドに入る記憶がない。

 夜を迎えた覚えもない。


 なんだこの感覚は。

 まるで記憶を抜かれたかのようだ。


 そして俺はようやく気が付いた。

 窓辺に誰かが佇んでいることに。


「誰だ……?」


 窓から差し込む月光が闇を映している。

 奇妙な表現だ。


 しかし実際に、月光のなかに照らされるはずの空間には、


 霧のような闇が浮かび上がっている。



 霧のような闇。


「こいつ……っ!?」


 ――知っている。


 散らばっていた欠片が集まるかのように。

 俺の記憶は復元された。

 

 裏路地。



 ブルーノ。



 “穿孔”。



 狂乱。



 ……断末魔。


 喉が渇く。

 全身が冷たい。


 濃密な闇は徐々に姿を変えつつあった。

 そう、まるで蚊柱のようだ。

 

 それは形作る。

 悪夢そのままのような、異形を。



 大きな角が編まれた。

 天井まで届こうかというそれは、一対の槍のようだ。


 闇の中に反射するものがある。



 鏡のように光る双眸。

 その顔は山羊のものだ。


 闇が翼のように広がり、今度は細く収縮する。



 黒い腕だ。

 肘から先は鱗に覆われ、


 不吉な爪が濡れるように光を帯びている。


 毛に覆われた強靭な脚は山羊のもの。

 

 月光に呼応して、ぼんやり浮かび上がるほどに白い胴。

 それは肌を晒した人間のものだった。


 不釣り合いなほどに艶かしい乳房が、

 頭部のおぞましさを引き立たせる。


 


 それは一頭の魔物だった。



 魔物は言葉を発するでもなく、

 ガラスのような瞳で俺を見つめていた。


「な、にが目的だ?」


 ごくり、と乾いた喉が鳴る。

 相手の言葉を待って。


 どれだけ視線を交わしていたか。

 ついに魔物が口火を切った。



「私 は」



 男とも女ともつかない声で、しかし独特な抑揚で告げた。



「神 ダ 」



 ……



 俺はしばし考え、返答する。

 相手の機嫌を損なわないよう、あくまで慎重に。



「……と、いうと?」



 目の前の異形が何者であるにしろ、

 「神だ」という言葉では何の不安も払拭されない。



 むしろ不安が増した。


 俺の問いを受け、魔物は無言で一点を指差した。


 鋭い爪が指示したのは一冊の本。



 一晩の枕と化していた太陽神の教訓本だった。


 俺は時々、本を枕代わりに寝ることがあった。

 そうすると面白い着想をえることがあるからだ。

 あくまで自分の中の迷信にすぎないが。


 しかし魔物が意図するところは分からなかった。



「愚鈍 な」



 魔物はその山羊頭で、はっきりと溜息をついた。

 露骨に呆れている。



 そして俺の眼前へ腕をかざす。

 さながら親が子供を撫でるかのように。



 <<汝に啓示を与える>>



 直後、俺の頭に響く声がある。


 まるで自分が思考したかのように

 内側から聞こえる声だった。



 そして俺は全てを理解させられた。


 まさしく今、”神”が降臨していることを。


 それは間違っても光の神などではないことを。



<<我が名は堕神オヴダール>>


 今度は流暢に、魔物――堕神オヴダールは述べた。

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