第2話 対面


 神の代理人たる司祭は、

 地上において神の御業の一端を行使することができる。


 “奇跡”と呼ばれる超自然的な力だが、

 これは学べば修得できるものではない。

 

 俗物的に言うなら、

 ”神から授かった特権”と言い換えてもいい。


 神自身が資格者を選定するのだ。


 選定され、啓示を受けた者=司祭だけが

 ”奇跡”の行使を特別に許されるのである。


 神の啓示は唐突に下される。

 

 そして人は司祭となる。


 今の俺のように……



 

 <<汝に啓示を与える>>


 その言葉――神の声が頭に響いたのと同時に、

 俺は魔物が言葉通りの神であることを理解させられた。


 しかもこの神、

 この国の主神たる太陽神イガースなどではなく……



「我が名はオヴダール。

 汝ら人の子が呼ぶところの堕神である。

 汝、我に仕え、尽くし、

 崇高なる教えをあまねく世に知らしめるべし」


 邪教として迫害される堕神とは。


 しかし今俺の心を満たしているのは恐怖だけではない。

 畏敬や感動、感謝といった感情もだった。


 ”人は神と相対したとき、自らの矮小さと神の威光を本能的に理解する”


 いつの間にか頬を伝っていた涙を拭い、思い出していた。

 パラ読みした太陽神の教本通りであったと。



 俺は堕神オヴダールから啓示を受けた。


 つまり堕神の司祭になってしまったのだ。

 

 「ブルーノたちは……死んだんですか?」

 

 尋ねずにいられなかった。

 

 脳裏に焼きついて消えない光景だからだ。

 記憶が本物なら、ブルーノは死んだ。

 

 自らの顎を引きちぎって。

 

 あいつはクズだった。

 しかし凄惨な死にかたをするほどじゃない。

 

 「汝が見たのは幻。 我に触れたが故の恐慌。

  其れは彼のものたちも同じこと」

 

 「幻? ブルーノは生きていると?」

 

 「魂はこの世界にある」

 

 どうやら死んではいないようだ。

 案外、俺のようにぴんぴんしているのかもしれない。

 

 「汝は格別。 汝は選ばれたが故にここにいる」

 

 ……そうでもない言い回しだ。

 ブルーノと一味が心配になる。

 


「しかし恐れながら申し上げます。

 まず私は堕神の教えについて全くの無知です。


 そしてこの国では現在、

 堕神を敵視する太陽神……イガースが国教として君臨しています。


 私が堕神の教えについて知り得ないのも、

 太陽神たちによる堕神への徹底的な排除、

 焚書によるもの。

 

 このような窮地でどうして教えを広めることができましょう」



 俺の額には脂汗が滲んでいた。


 目の前の魔物が神であり、

 俺が司祭として選ばれた栄誉は分かった。


 しかしながらこの国はイガース神のお膝元である。

 真っ向から対立する不倶戴天の敵なのだ。

 


 俺が堕神の信者だとイガース教徒にバレようものなら、

 確実に生かしてもらえないだろう。

 

 しかも選ばれし”司祭”である。

 楽に死なせてはくれまい。


 布教の使命を帯びた瞬間から八方塞がりなのである。



「汝の事情はよく分かった。

 では好きにせよ」


 俺の訴えに対する返答はあまりに厳しかった。

 というか投げやりなものであった。


 堕神は手近な椅子を引き寄せると腰を下ろして足を組む。

 それまでとは打って変わって

 杜撰というかフランクな身のこなしで。


 そして山羊の口で、流暢に語り始めた。



「この喋り方も堅苦しいから崩すぞ、汝も楽にせよ。

 まず教義についてじゃがワシは束縛を好かん。


 どう言い表すかは自由じゃが……

 そうさな、”自由にせよ”というのが教義じゃな。

 

 それでいこう。 

 本来なら布教の義務すらないしの」



 寒っ、そう呟くと堕神は窓を閉めた。


 鋭い指を擦り合わせて肌寒そうにしているので、

 恐れながら羽織るものを手渡した。


 豊かな胸部が隠れるが全く惜しいと思わない。


 鷹揚に頷いてローブを羽織った堕神は話を続ける。


「次に、イガースを初めとする障害についてじゃが

 そんなことはワシの知ったことではない。

 やり方は無限大じゃ、むしろ汝だけの布教を見つけ出せ!」


「えぇ……」


 語気を強めて勢いで押し切ろうとしているが、

 つまりは無計画ということだ。


 こういう仕事の振り方が雑な人間は良くないと思う。

 神だが。



「その辺の司祭捕まえて経験談を聞くとかあるじゃろうが。

 皆までか? 皆まで言わないと駄目か?」



 フランクを通り越して俺を煽り始めた神。


 啓示を受けるってこういうものなのか?

 “神の声”を受けた時と今のギャップに戸惑いを隠せない。


 

 思い描いていた人物像とは異なるが、

 受け入れるしかあるまい。


 頭の中はこんらががっていたが、

 だからこそ今の俺は眠りたかった。 


 ともあれ魔術師と司祭の両立か。

 明日からは忙しくなりそうだな。


「眠りにつくが良い」

 という神の言葉と共に俺の意識は遠くなっていった。



 …

 ……

 ………


 朝の冷気が部屋を満たしている。

 差し込む朝日を受けて目を覚ます。


 頭の下にはほんのり温かい教訓本がある。

 これのおかげか昨夜は奇天烈な夢を見た。


 俺が魔術師でありながら

 神の啓示を受けるという馬鹿げた内容だった。


 もしや魔術的側面から

 奇跡の解析を試みよという暗示なのかもしれない。


「……なんてこった」

 

 その段でようやく気がついた。

 俺の隣で眠る異形に。

 目を擦って再確認するが間違いない。


 夢に出た自称堕神の魔物である。


 毛に覆われた頭がもぞもぞとシーツに沈み、

「あと5分だけ」とかなんとか言っている。


 ついでに立派な角が壁の一部を抉っていた。


 これは修繕費とられるやつだ。


 どうやら突飛な夢の続きを見ているらしい。


 魔術師ギルドのど真ん中に、

 堕神を騙る魔物が現れて俺を司祭に指名するとは。


「朝から不敬じゃの。 自由を司るワシでもちょっと怒るぞ」


 シーツから腕が伸び俺に向けられた。


 そして襲い来る”神の威光”。

 突如として俺の胸を打つ圧倒的な存在感。


 そして畏敬の念という名の鈍器で鼻っ柱を殴られたように

 涙と鼻水が止まらない。


 間違いない、この方は神だ。


「すいません、謝ります。

 謝りますからそれやめて下さい、えぐっ」


 鼻水が垂れないよう咽びながら懇願する。


 どうやら神の威光は任意で発動できるらしい。

 精神系の魔術のようでタチが悪い。

 そしてこういう使い道が適切とはとても思えない。


 皺くちゃの掌が閉じられると同時、

 俺の頭を覆っていた感動は消え去った。

 

 心が嘘のように平静になり涙でグシャグシャになった顔を拭う。


 その間に魔物はベッドから起き上がり

 シーツを綺麗に直していた。


 妙なところで几帳面な神である。


「人の子は朝食を摂るのじゃろ? 

 ついで今後の計画について相談しようではないか」


 さぁ行くぞ、と先立って部屋を出ようとする魔物。


 俺は思った。

 

 切実に。


「この人帰らないの?」と。




 ――その後、魔物丸出しの堕神と共にお出かけなどしなかった。



 太陽神のお膝元で魔物を連れまわすなど酔狂なこと。


 パニック必至の処刑必至ではないか。


 なので俺は単身街へ出た。

 適当に買い集めたパンと水と少しの干し肉等をもって、

 人生初の神の供物としたのである。

 

 

「こういうとき、人の子のご家庭では“オカエリ”と言うんじゃったかのう」


 買い出しから戻った俺に堕神はそう声をかける。


 窓辺についた両手に顎を乗せ

 (まるでとってつけた少女のような所作だ)、

 往来を眺めていた御老人は物珍しそうに朝食を共にするのだった。


「草食動物の顎にはキツイのぅ」


「それ山羊なんです?それも羊?」


「これはー…どっちじゃろうな」


 そして気になるクズ、もといブルーノ一味だが……

 

「ブルーノたちは、なんていうか魂が抜けたようになったらしい。

 やっぱりアレのせいなのか?」

 

「凡庸な人の子では神の器に成りえぬ。

 あやつらが治るには時間がかかるぞ」

 

 何を言っているのかいまいち分からない。

 俺が幸運だったことだけは確かなようだ。


 固いパンを噛みながら俺は目の前の堕神を観察する。



 モチャモチャとパンを咀嚼する様子を見ていると

 動物に対する慈愛の心が込み上げてきそうになる。


 反芻、というのだったか。


 そんな場違いな感情をパンと共に飲み込むと、

 俺は恐る恐る尋ねた。


「あの、いくつか質問をしてもよろしいでしょうか」


「……構わんが一つ条件がある」


 堕神はパンを飲み込んで応じた。


「昨晩も言ったように、斯様に畏まられては居心地が悪い。

 形式ばらず汝の普段通りに話すが良い。


 人の子と同じ食事を摂っている、ただの人間じゃと思って」


(そうは言われても……)


 神と人である。

 王と平民より離れた身分なのだ。


 そして相手は見るからに威圧的な、

 魔物そのものの風貌をしているのである。

 

 そのプレッシャーたるや半端じゃない。


 言い淀む俺に怪訝な目を向ける神。


 神はしばし思案し、

 如何にも妙案が浮かんだという風に両の掌を合わせた。


 いちいち仕草が乙女チックで不気味である。


「さては、この姿がいかんのじゃろ?

 ワシも久方ぶりに姿を現わす故、

 気合いを入れて“ザ・邪神”な風貌をチョイスしたからの。


 汝が気兼ねなく話せるような風貌に変わるとしよう。

 どれ……」


 ほっ、という掛け声をと共に

 魔物の姿は瞬時に別人へ変わった。

 

 “瞬く間に”という言葉通りの早業である。

 

 異形の神は今や青年となっていた。


 日焼けのない不健康な白い肌、

 癖のついた茶髪、

 くまをこさえた気怠そうな目が俺を見つめていた。

 

 (うわ陰気そうな奴出た――)


「――って俺じゃん!!」


「なかなかのツッコミじゃ」


 見慣れない姿に反応が遅れたが、その姿形は完全に俺だ。

 いかにも不健康な本の虫です、といった印象である。


 客観的に見ると自分の顔というのは

 思っている以上に気持ちの悪いものだった。


「ではなく、俺が二人居ては事件でしょ!? 

 それ以外でお願いします!」


「えぇー……それもそうじゃの」


 自分の残念な顔を見せつけられるという

 悲しい不快感をこれ以上味わいたくなかった。

 

 ほっ、という気の抜けた掛け声と共に元俺は姿を変えた。


 今度の人物は妙齢の女性だ。


 金髪で目はやや小さいが逆に小動物チック。

 しかし唇は厚めで胸もなかなか大きいというギャップ。

 やや低い背丈にスタイルも細すぎず絶妙な……


(これ果物屋のシェリーちゃんじゃねえか!)


 密かに気になっていた異性を目の前にして俺は狼狽した。

 何故よりにもよって彼女を選んだのか。


「汝が窓から風景見てるとき

 全然気になってないんだけどたまたま、

 たまたま目に入っちゃうんだよねぇ不思議だわー

 ってオナゴシリーズぅー」



「そんなシリーズはない!」



 俺の気恥ずかしさが爽やかな朝に響き渡った。

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