第16話 喜びと戸惑いと
俺が今いる街はマガードといい、クロベリア王国の街の一つだ。
で、クロベリアは我が主神の怨敵たるイガース神を国教としている。
そしてこれから俺たちが向かいたいエルダーベインは、
逆に俺の主神を国教とする素晴らしい国である。
……その筈だ、行ったことないけど。
ここからエルダーベインまでは馬車で順調に移動しても半年はかかるという。
すべての行程を馬車に揺られるような、優雅な財力を俺は持ち合わせていない。
徒歩も交えて進むことになるだろう。
それでも今の持ち合わせでは、路銀にするには心許なかった。
「一番危険なのはどれじゃ? のぅのぅ教えろ」
「こら止めなさい、本当に止めて! すんませんすんません」
冒険者ギルド。
依頼板を眺めるモニカが、
となりに居合わせた強面冒険者に気安く話しかけている。
怖いもの知らずというレベルではない。
俺は迷惑顔の強面に頭を下げながらモニカを引き剥がした。
目的地までの路銀をどう都合するか。
結論は冒険者稼業ということになった。
無論だが俺は全く乗り気ではない。
何故なら危険だからである。
しかしモニカに押し切られてしまった俺である。
ただこの案が合理的である理由も存在する。
一つは単純に効率がいい。
魔術師は冒険者のパーティ内では必然的に後衛や支援の役割を担う。
前衛の本業冒険者は武具や諸道具の準備品が必要なため、”投資“にも金が必要だ。
が、俺たち魔術師はその心配はほとんどない。
知識が武器だからである。
まぁ、鎧の類は着れないのでリスクはある。
そして魔物の素材は魔術師ギルド内で高く売れる。
冒険者は冒険者ギルドの買取部門で換金するわけだが、
俺たち魔術師は直で購入希望者と取引するツテを持っている。
顔の広い冒険者なら同じことができるかもしれないが。
もう一つはモニカが俺に戦闘経験を積ませたがっていること。
攻撃的な魔術はもちろん、奇跡についても俺に使わせたいようだ。
まぁ、モニカの身を守るのは俺しかいないわけだし仕方ないか。
ヤギ頭化物形態のモニカならともかく、微少女を守る騎士の役というのは悪い気がしない。
実はあと一つ理由があるのだがこれは追々モニカに教えようと思う。
今伝えると休む間も無く次々と依頼へ駆り出されそうだからだ。
「はぁー、しょぼい依頼しかないのう。
仕方ないからオーガ退治にでもするか、エルよ」
「すんません、この子バカなんです、すんません!」
ぺこぺこと頭を下げてモニカの口を手で塞ぐ俺。
みなぎる自信の出所は一体何なのだ。
まずは小さな依頼をコツコツと積み上げ行くのが大事なのである。
「あれ? モニカちゃん?」
鈴音のような声がした。
俺とモニカが振り返ると、そこにはリタの姿がある。
「なんじゃリタ、ここは女子供の来る場所ではないぞ」
モニカが得意げに言うが俺たちの場違い感も相当だからな。
けれどリタが冒険者ギルドに出入りしているのは意外だ。
「もしかしてリタも冒険者の仕事してるのか?」
リタも啓示を受けし司祭である以上、知神の奇跡は使えるだろう。
それが荒事向けの奇跡かは信仰によるだろうが。
リタから聞いた限り、彼女が使える奇跡はおよそ戦闘向けじゃなかった筈だ。
「え、えっと……そうじゃないんだけど」
言い澱むリタ。
何か訳ありのようだ。
――と、
「うわぁぁぁ! 誰か、誰か憲兵を呼んでくれぇ!!」
喧騒が俺たちの沈黙を引き裂いた。
冒険者ギルドの外、通りの方から聞こえてくる。
酒を飲む冒険者たちは一旦顔を向けたが直ぐに興味を失っていた。
どうせ喧嘩だろ、という声が耳に入ってきた。
確かに往来の喧嘩ごとき、冒険者にしたら刺激が足りないに違いない。
が、知識人としての俺はこういった下卑た刺激は逆に新鮮なので、
不謹慎ながら野次馬へ混じることにした。
騒ぎの中心にいたのは一人の男だった。
レザーアーマーを纏っていることから冒険者か傭兵だろう。
この時点では荒くれ者同士の喧嘩だろうと思えた。
しかしこの男の様子がどうもおかしい。
右手に血濡れのナイフを握り、表情から正気は感じられない。
泥酔しているのか、口は半開きで涎が垂れている。
一目見て”ヤバイ”と判る顔つきだ。
彼の足もとには一人の人物がうつ伏せで倒れている。
顔は見えないが老婆だろうか。
察するに男のナイフで刺されたのだろう。
「へへへ……ヒヒハハハハハ」
負傷した老婆を助けようにも、常軌を逸した男の存在が周囲の人間を躊躇させている。
男を刺激すれば刃が自分に向くことは想像に難くない。
理性とは程遠い笑いを発しながら、男は自分を取り巻く人間たちを見渡す。
その狂った視線を受けて男を取り囲む輪が広がった。
(思ってたよりもヤバイ奴だな)
俺は委縮したリタを背中に庇った。
対してモニカはいつものように好奇心の赴くまままだ。
「ありゃー、明らかにイカれておるのぅ! 人間ああなっては終いじゃぞ」
モニカが空気を読まずに話しかけてきた。
「バカ、お前静かにしてろ……っ!」
静まり返っている場で若い女の声が響いてみろ……
案の定、男はぐるりと首を回して俺たちを捕捉した。
爬虫類を思わせる不自然で不気味な動きだ。
俺たちの周囲の人間が狂った視線に気圧されて離れていく。
そして狂人が不安定な足取りで俺のほうに突進してきた!
(おい、待て! 呪文……は駄目だ、杖がない! というか詠唱が間に合わない!)
ゴブリン退治で使ったような魔道具があればギリギリ間に合うかもしれないが、
今はそんな物騒なものを携帯していない。
つまり今、俺は丸腰の一般人なのである。
男の凶刃から身を守る術は何もない。
せめてもと、リタに加えてモニカを背に庇う。
幸いにも冒険者ギルドの目と鼻の先だ。
俺が刺されている間に助けがくるだろう。
その中には”治癒”が使える司祭もいるかもしれない。
「ヒヒヒヒヒヒ!」
けたたましい笑い声を上げながら男が目前に迫る。
つんのめるような走りかただ。
焦点のあっていない眼球を見据える。
汚れた刃が鈍く光る。
頼むから死なない程度に刺さってくれと祈る。
――その時
<< 祈れ ! >>
突如として思考に割り込む声がある。
その現象が何なのか、声の主が誰なのかを考えるより先に俺の口は動いていた。
「”感覚剥奪”……!」
声から命令を受けた体が勝手に動いたのか、はたまた本能だったのか。
果たして俺には判断できなかったが試みは成功した。
「ヒッ」
刃が触れる寸前、男は声とも呼吸ともつかない音を発して顔面から転倒した。
軌道が変わったナイフは俺のズボンを切り裂いたが、傷はさほど深くない。
倒れた男は起き上がってこない。
手はナイフを放し、四肢をてんでバラバラ振り回している。
もがいている、と形容できる。
まるで死の間際の蛾のような醜態を晒す男を、
俺は呆気にとられて見下ろしていた。
いや、呆気にとられたのは男に対してではなく自分が成したことに対してだ。
”感覚剥奪”
かつてゴブリンシャーマンが行使し、戦司祭を危機に陥れた”奇跡”。
この奇跡に抵抗できなかった対象は五感のいずれかを一時的に奪われるという、
堕神の従者だけが持ちうる力。
男は今、地面がどこにあるかを認識できていないようだ。
もしかしたら視覚や聴覚も阻害されているかもしれない。
故に完全に無力化されている。
闇の司祭にのみ許された力。
無意識とはいえ間違いなく俺が行使したのだ。
と、背中を突かれる感覚に振り向く。
そこには薄く笑うモニカの顔があった。
「上出来じゃ」
思考に干渉する存在など我が主神以外にいるはずもない。
「おい、わざとか?」
俺に奇跡を試し撃ちさせるために、わざとイカレ野郎を誘導したのか。
詰問にモニカは答えず一点を指差した。
そこには負傷して動けない老婆がいる。
すでに通行人が駆け寄って助け起こしているが、手当できるものはいないようだ。
「次はあれじゃ」
「あの婆さんに止めを刺してやれとでも言うつもりか?」
「いいからはよ行け。 本当に死ぬぞ」
助ける算段があるのだろうか。
その辺で治癒の奇跡が使えるイガース司祭を呼んでくるべきでは?
……既に他の人が探しに行っているか。
俺は釈然としないままに、老婆のもとへ歩を進める。
しかし足が重い。
というより背中が重い。
「リタ? どうしたケガしてるのか?」
原因は俺の背中を掴んで離さない少女のせいだ。
小さい頭を押しつけて、小さく震えている。
モニカのせいで忘れていた。
リタのように普通の女の子はショックを受けて当然のだった。
俺の問いかけに首を振って否定するが、一向に離れてくれる気配はない。
仕方なしに俺はリタを引きずるように進んだのであった。
襟が閉まって息が苦しい。
「で、どうするんだ?」
老婆は鎖骨のあたりから斜めに傷を負っていた。
俺のかすり傷とは比べ物にならない量の出血である。
助けが来るまで手で押さえて止血するか。
介抱している人たちにモニカが割り込み、俺の手を傷に添えさせた、
まるで普通の司祭が傷を治すときのように。
そして自信ありげに俺を見つめるモニカ。
言うまでもない、と瞳は語っていた。
半信半疑なのは俺だ。
これではまるで、俺が”治癒”の奇跡でもって老婆を助けそうな雰囲気ではないか。
周囲の視線も期待を含んでいるように感じられる。
こうなれば自棄だ。
真剣に祈る気持ちで俺は奇跡の行使を試みる。
「<<治癒>>」
傷に当てた掌がじんわりと温かくなる感覚がした。
すると数秒後、血を流していた傷口が徐々に塞がっていく。
まるで時間が巻き戻るかのように。
「おおっ!」
見守っていた人々から驚きとも喜びともつかない声が漏れた。
老婆は意識を取り戻さないが呼吸は安定しているようだ。
出血は完全に止まった。
一命は取り留めたと思いたい。
(俺が人の命を救ったのか?)
人生でこうも劇的な瞬間はなかった。
魔術に出会ったとき以来か、それ以上の衝撃だった。
ふわついた頭の俺の肩を誰かがバシバシ叩いてくる。
”ありがとう”やら”やるな!”やらの賛辞も聞こえる。
どうやら本当に危機を乗り切ったらしい。
「のっ?」
ドヤ顔のモニカを責めるに責められず、俺は気の抜けた笑みを返すしかなかった。
あとずっと背中は重かった。
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