第17話 大掃除


 職業に貴賤なし。

 汚れ仕事をやってくれる人間がいるからそ、

 汚れ仕事をやらなくていい人間がいるのである。


 たまには汚れ仕事を請け負って、

 そのありがたみを実感することは大事なことだ。




「はい、あちらに見えますのがブロブでございまーす」


 俺が指し示す下水道の天井。


 そこには汚水を凝固させたような物体がへばりついている。

 大きさにして野良犬一匹分くらいか。


 僅かに収縮していることから、

 それがただの粘液でないことがわかる。


「おぉっ! あれがスライムと同族の……ぜ、全然可愛くないではないか」


 後ろを歩くモニカが狼狽える。

 そりゃそうだ。

 何てったって汚物から生まれた魔物なんだもの。


 あんなものやこんなもので構成されている生き物が可愛いはずあるまい。


「まぁ実際のスライムもあれを透明にしたようなもんだと思うぜ、多分」


 ”灯火”の明かりを汚水の塊――ブロブに近づける。

 

 より鮮明に照らし出された半固体の中には、

 細かいゴミやらなんやらが見て取れる。

 非常に不潔だ。


「だってスライムもブロブも同じようなもんってエルが言ったのではないか!

 おのれワシを騙したな!?」


「分類上はな、って言ったろう。生態も大して変わんないって。

 暗いところにいて、

 天井から落ちて獲物を捕らえて溶かす――な? 一緒だろ」


「あのように気持ち悪いとは聞いてない!」


 モニカの抗議を流すと、

 俺はブロブに意識を集中させる。

 

 初めのうちは律儀に”神様お願いします”的なことを念じたが、

 今では感覚的に行使できるようになった。


「<<感覚剥奪>>」


 対象に掌を向けるのは魔術の詠唱のときのくせだった。

 この動作と奇跡名を口にすると、なんとなく成功しやすい気がするのだ。


 桶の水をひっくり返したような音と共にブロブは落下した。

 飛沫がかからないよう俺は素早く距離をとる。


 続いてモニカが詠唱を始める。


「”魔力の矢”っ!」


 ブロブに向けた杖の先端から小さな光が生まれ、

 矢の形をとって発射される。

 

 魔術によって生み出された矢は

 真っ直ぐにブロブに突き刺さり、消えた。 

 

 魔力の矢を受けたブロブは穏やかに収縮を繰り返している。


 まだ息がありそうだ。

 呼吸をしているのかは知らないけれども。


「モニカ、もう一発」


「わかっておるわ」


 不機嫌そうにモニカが再び詠唱を始めた。


 モニカの詠唱はたどたどしく、遅く、威力も俺の”矢”には及ばない。

 だが短期間の訓練でここまで使えるのなら十分評価に値する。


 2発目の矢を受けてブロブは半固体から液体になった。

 こうして完全な液状になればブロブを絶命させたことになる。

 

 その汚水たまりをモニカは複雑な表情で見つめていた。


「思ってたのと違う……」


 スライムは迷宮や洞窟内に住む、半固体の魔物だ。

 その体はゼリーのように透き通ってぷるぷるとしており、

 まぁ愛らしいといえばそうかもしれない。


 とはいえ天井に張り付いて獲物を待ち伏せし、

 真下を通りかかったところに覆いかぶさって窒息させたり、

 毒で侵したり、溶かしたりして捕食する狡猾かつ危険な魔物である。

 

 そのうえ半液体なので物理的なダメージを負わず、

 火や魔術を用いないと殺せない厄介な存在だ。


「ぽよぽよ跳ねてワシの後をついてくる話じゃったろ……」


「どういう算段だよ」


 ここ最近、大衆向け物語でのスライムの活躍は目覚ましい。


 ときに強大な敵として、ときに愛らしいペットとして幅広く活躍しているのだそうだ。

 モニカはそういった物語を好むため、スライムを見てみたいと切望していた。


 冒険者ギルドへ頻繁に足を運んでいた一因もそれのようだ。


 しかしスライムの討伐依頼というのはあまり無い。

 爆発的に繁殖するわけでも活動範囲が広いわけでもない消極的な魔物だからだ。

 迷宮や洞窟に入った冒険者がついでに排除する、言わば罠のような側面が強い。


 ”スライムみたいな奴いるけど、一緒に下水道行く?”

 という俺の誘いにモニカが二つ返事で乗ってきたのは、

 そういった状況だったからだ。


 ちなみにブロブは汚水から生まれる”スライム状”の魔物である。

 生態がほとんと同じことから両者を同一とみなす者も多い。


 スライムは発生源が不明である。

 しかしブロブは汚水に含まれる魔術的素材が反応して生まれる、という点が両者の違いだ。


「次の出口までもう少しだな」


「ワシは今すぐにでも帰りたい」


 地図を照らすと、現在地から30分ほどの地点に出入り口を示す印がある。


 ぐずるモニカに構わず俺は歩を進める。

 モニカがどう言ったところで進んだ方が早いのである。


 さて、魔術の学徒たる俺がこんな汚れ仕事しているのか。


 それは先日の騒ぎが原因だ。

 具体的には老婆の刀傷を公衆の面前で治したのが良くなかった。


 たしかに負傷者や周囲の人間から感謝はされた。

 しかし魔術師の俺が傷を治癒させたことに苦い顔をする人間がいる。


 一人は教会だ。

 傷を癒す”治癒”の奇跡は教会の――イガース司祭たちの専売特許である。

 この事業のおかげで教会は尊敬と信仰、そして布施を得ているのだ。

 

 魔術師ギルドが”治癒”に近しい呪文を生み出したとき、

 圧力をかけて使用禁止に追い込んだのもそのためである。


 もう一人は魔術師ギルドだ。

 これは単に上の理由による、教会との軋轢を避けたいがためである。

 国教たるイガース教によって国が運営されている以上、衝突はご法度だ。

 

 で、俺が老婆を治した事実が双方の耳に入った。

 魔術師が傷を治す手段は”治癒”の奇跡の類似呪文以外にない。

 

 ということは魔術師ギルドが、

 呪文の使用禁止の取り決めを破ったことになるのである。


(実際はマジの”治癒”だったんだけどね)


 ”違います! 俺が堕神の司祭で、行使したのは本物の”治癒”の奇跡です!”

 

 という事実が明らかになるよりかはマシな展開だった。


 しかし俺は魔術師ギルド支部長からこってりと絞られ、

 罰としてこの下水掃除を一週間も賜ったのである。


「本当のことを言ってしまえばよかろうに。善行じゃぞ善行」


「それで味方してくれるのはあの婆さんだけだからなー」


 悲しいかな。


 され、なぜ魔術師ギルドの学徒が下水掃除をやらされるか?


 それは魔術師ギルドから下水に流された試料等から先のブロブが生まれ、

 下水の機能を損なう恐れがあるからだ。


「<<感覚剥奪>>」


 とはいえ良い機会だったかもしれない。

 通路の曲がり角から現れた、大ネズミを転倒させながら思う。

 この仕事は俺とモニカ、両方の試運転を兼ねているのだ。


 堕神の奇跡を使えるようになったはいいが、

 誰かの目に触れるわけにはいかない。

 

 その点ここ下水道では好き勝手に試し撃ちができるのである。

 標的も豊富にいる。


「”魔力の矢”っ!」


 転倒したネズミにモニカの”矢”が突き立った。

 が、致命傷ではない。


 もがくネズミにもう一発、モニカが”矢”を打ち込んで絶命させた。

 

 下水に巣くうのは主にブロブと大ネズミだ。

 大ネズミはどういうわけか野良犬か

 それ以上に肥大化したネズミである。

 

 こいつらも増えすぎないよう定期的に駆除しなければならない。


「魔術というのは難しいのぉ。

 神的に本調子なら街ごと抉り取れば済むんじゃが」


「そういう物騒な事、外で言うの止めてね本当に」


 モニカがぶつくさと呟く。

 彼女には基礎的な魔術を教えているところだ。


 当初に比べれば幾らか詠唱がマシになってきた。


 先日モニカの魔術的素質を計測したところ驚愕の結果だった。

 それこそ人間離れしている、としか形容できない。


 が、制御が全くできていないので呪文の成功率は低い。

 総合的に見習いレベルである。

 

 とはいえ結構な数の”矢”を撃ち続けている割に余裕が見られる。

 精神力の容量は流石に神といったところか。


「そろそろキツいな」


 俺は少し眩暈がしてきた。

 奇跡の行使も魔術と同じく、精神力を使う。


 予想していたことだ。

 人間は精神力が枯渇すると気を失ってしまう。

 すると半日は動けなくなる。


 俺は背嚢から”矢”用の杖を取出し、片手にもった。

 自身の魔力が切れたときのために”矢”を付呪した杖である。

 これなら詠唱も魔力もなく攻撃できる。


「あっ! エルだけずるいぞ! ワシにも貸せ!」


「魔力が限界になったらな」


 モニカが文句を垂れるが応じない。

 

 反復練習が大事なのは何事においても同じである。


「いいから!」


「駄目だって! 練習にならないだろうが!」


 ぴょこぴょこ跳ねて俺から杖を奪おうとするモニカ。

 俺は杖を掲げてそれを阻止する。


 低めの身長が仇になったな。


「不心得者め……闇の奇跡パンチ!」


「ぐっ!?」


 唐突に俺の鳩尾に打撃が打ち込まれる。

 呼吸が止まり、思わず体をくの字に折る俺。


「闇の奇跡キック!」


「ぐはっ!」


 続いて回し蹴り。

 顔面でもろに受けた俺は尻もちをつき、床に強かに後頭部をぶつけた。


 あの堕神、体は少女設定だが力はそうでもないらしい。

 鳩尾と顔面と後頭部の激痛にのたうつ俺。


 やがて痛みが治まったころ、

 俺は周囲の異変に気が付いた。


(なんか明るいぞ?)


 見上げた天井は下水路のそれだが、

 俺の”灯火”とは違う明かりが辺りを照らしている。

 

 ていうか何で俺は仰向けに倒れているんだ?

 あの位置では尻もちをついた後、通路の壁に激突するはずだ。


 後頭部の痛みに顔を顰めつつ上半身を起こす。

 そして立ち上がろうとした俺の眼前には壁があった。


 おかしい。

 なぜ目と鼻先に壁がある。


 そして視線を下げる。

 壁から生えた俺の上半身があった。


「えっ!? ど、どういうことだ!?」


 切断されたのか俺は。

 にしては元気だ。


 それに下半身の感覚はある。

 足が動かせる。


「エル! そのような姿で生きておるのか!?」


 どこからかモニカの声が聞こえる。

 そういえば周囲に見当たらない。

 

「待ってろ今引っこ抜いてやるぞ!」


 焦りを含んだ声とともに、何者かが俺の足首を掴んだ。

 良かった、やっぱり下半身はついていたようだ。

 

 そのまま壁の中へ引き込まれていった俺は、

 壁を通過し元の暗い下水へ引きずり出された。


「いやぁ、焦ったぞ。

 まさか闇の奇跡キックでエルが壁にめり込むとは思わなんだ」


 安堵した様子のモニカが俺の足首から手を放した。

 今度こそ体を起こす。

 立ち上がって周囲を見るが間違いなく進んできた下水道だ。


 俺はおもむろに、めりこんでいた壁を指で突く。

 すると指先が壁に吸い込まれるようになくなっていく。


 引き抜く。 指はしっかりついている。

 モニカも真似をする。 同様だ。


「おぉー、こんなこともできるんじゃな」


「……擬装されてるな、魔術的に。 内部からの光も通さないのか」


 手元の地図を広げるが該当の位置に通路の記述はない。

 明らかに正規のルートではない。


 これは学院に報告すべき――


「何しとるんじゃ、行くぞ」


 俺が止める間もなくモニカは壁の中へ消えて行った。


「いやいや、マズいって! 明らかに怪しいでしょ」


 好奇心旺盛な堕神に連られ、

 俺も未知の通路に足を踏み入れたのであった。 

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