第27話 瞑想

 

 甘ったるさと爽やかさ。

 それらが混ざった、形容しがたい香りが鼻をつく。

 くしゃみをこらえると徐々に鼻孔が、喉が、体が香りに慣れていく。


 俺は瞑想していた。

 迷走ではない。


 魔術師ギルドの一室。

 瞑想専用の一室を貸し切っている。


 体中に香油を塗りたくり、香を焚く。

 結界によって一切の音はない。

 薄暗い室内はわずかな蝋燭だけで照らされている。

 

 すべては集中力を高めるためだ。


「……(集中できねぇ)」


 しかしながら、俺は集中していなかった。

 何故か。

 目の前にいるモニカが原因だ。

 

 瞑想は全裸が基本。

 それは俺もモニカも同じことだった。


 ちらり。

 薄目を開けて正面を見る。

 俺と向かい合うように座り、瞑想するモニカがいる。

 

 明度のせいでぼんやりとしか見えない。

 しかし香油でテカテカする肌は、得も言われぬ――


「(逆に気になるわ!)」


 モニカと瞑想すれば何かが開ける。

 自分で提案しておいて、逆効果だったかもしれない。


 俺は気を紛らわせるべく、目をきつく閉じる。

 そして昨日のことを振り返った。




 …

 ……

 ………


「あ、起きたぞ」


 解毒薬の効き目は覿面だった。

 調合された薬をマーシャに飲ませたところ、

 少し待っただけで目を開けたのだ。


 マーシャの目は賭博場で会ったときよりも明らかに健康的だ。


「なぁに、この状況。 あと謎の清涼感」


 マーシャのベッドを囲む俺、モニカ、リタ。

 寝癖のついた頭をかきながらマーシャは面々を見渡す。


「うぅっ!? 手足がもげそうなほど痛い」


 半身を起こそうとしたマーシャが顔を歪める。


「それはの、副作用じゃ」


「副作用? なんの話?」


 モニカの嘘は予め口裏を合わせたものだ。

 この薬の副作用は現状、「飲みすぎると死ぬ」だけだ。


 ……調合した本人から聞いた以上そうとしか言えない。


 マーシャが感じる激痛は、間違いなく賭神降臨の代償だろう。

 以前に太陽神の若い司祭から降臨の儀式について聞いていた。


 神を降臨させる奇跡は、最高位の司祭のみが許される。

 しかも命がけだ。

 マーシャに賭神バクラトが降りたときは、モニカ曰く

「あれは略式みたいなもん」だったそうだ。


 だから死ぬことはなかった。

 死ぬほど痛いみたいだが。


「そっちのいかにも大人しめのかわいい子はなに?

 エルくんの彼女じゃないとして」


「失礼だな。 知識神の司祭のリタだよ。

 解毒薬を作るのに助けてもらった」


 ぺこり、と頭を下げるリタ。

 マーシャの粗野な雰囲気に警戒しているようだ。


「のうのうマーシャや、はよ教えんか」


「……なにを?」


「賭博神の奇跡じゃよ、約束したじゃろ」

 

 無遠慮にマーシャを揺するモニカ。

 痛みに顔を歪めながら、マーシャは記憶を辿る。


「えーっと、地下酒場から出たら改めて賭けで決めるんじゃなかった?」


「だから出たじゃろ。 ワシらの勝ちじゃ」


「んん?」


 首をひねるマーシャと俺。

 酒場でゴタゴタに巻き込まれるとき

「賭けに勝ったら使える奇跡を教えてもらう」という提案で同意した。


 そのとき、マーシャは「それはここを出られたらにしよっか」と返答したはずだ。


「もしかして“ここから出られるか”どうかが賭けで、

 地下酒場を出られたから俺らの勝ちって解釈か?」


「そういうことじゃ」


「んな無茶な!」


 笑いあう俺たち。


「まぁいいよ、お礼も兼ねて教えてあげる。

 私の主神バクラトの奇跡は“博打”。 まんまだね。

 ざっくり言うと、神と博打勝負ができるの」


「なんじゃそれ楽しそう!」


 はしゃぐモニカ。

 賭博神と仲良さげにしていたわりに知らなかったのか。


「“博打”は司祭の格によってベットの上限が広がるの。

 より価値あるモノを賭け、勝てばご褒美タンマリってこと。

 もちろん、負けた時はタダじゃすまないけどね」


「その、“ベット”ってなんなんでしょう……?」


 リタは冷静だ。


「賭け金。 自分が所有するものなら何でも」


「……マーシャがベットできる、一番価値あるモノはなんなんだ?」


「魂だよ」


「……なるほどな」


 ベットに応じて神は見返りを与えなくてはならない。

 しかしマーシャは自らの魂を安く扱っている。

 神からすれば不公平な賭けをやらされているというわけだ。


 “博打”は話を聞く限り、汎用性の高い奇跡だ。

 詠唱を終えるとベットを決定する。


 すると偶発的な事象がすぐに発生するので、

 事象の結果を予想するというもの。

 

「ぐうはつてきなじしょう? よくわからんぞ」


「例えばあと5秒で猫が横切るか。 枝から葉が離れるか。

 目の前の子どもが歌いだすか……そういう単純なやつ」


「マーシャ、詠唱しとったか?」


「私くらいになると頭の中でできるの。

 こう見えて回数こなしてるからねぇ。

 司祭の中じゃ、まあまあ位高いんじゃないかな」


 まあまあどころじゃない。

 賭博神から目をかけられるほどだぞ、マーシャ。


「で、でも魂を賭けたとして、負けたらどうなるんですか?」


「そりゃぁ死ぬんだろ」


 俺がその状況だし。


「んー、それより悪いかもよ」


「死ぬより悪いことって……ほかの人を巻き込むとか、ですか?」


「いやね、私も死んだことないから言い切れないんだけど。

 なんか別の神が絡んでるっぽいんだよねぇ、悪そうなやつ。

 罰ゲーム的なことさせられるんじゃないかなぁ」


 モニカを一瞥するマーシャ。

 たしかに賭神バクラトと堕神オヴダールの中は悪くなかった。

 モニカに心当たりはなさそうだが。 


「じゃあ今度は私から質問ね。

 エルくん、君はなにもの? ただの魔術師じゃないんでしょ」


 未だベッドから起き上がれないマーシャ。

 しかし俺を見る視線は鋭く、今にも飛びかかりそうな気配を感じる。


 俺が邪神の司祭であることを確信している――そんな態度だ。


「……察しの通りだ。 なんで分かった」


「暴れているとき、受けたんだよ。 君の“感覚剥奪”」


「なんと……あっ」


 俺とマーシャの注目を集め、モニカが口を噤んだ。

 失敗に気が付いたようだ。

 マーシャはモニカとの関係までは言及していない。


「モニカちゃんが訳ありなのも気づいてたよ。

 驚いてたよね、私が“感覚剥奪”を防いだとき」


 しまった、そんな顔でモニカが俺を見た。

 俺の知らない話だ。

 とはいえ聞いていたところで流れは変わるまい。


「エル君は堕神オヴダールの司祭なんだね?

 それもかなり高位の」


「あぁ」


 リタが俺を見る目に驚きの色が浮かんだ。


「私ね、これでも昔は聖堂騎士だったんだよ。

 だから“黒き”奴らの気配には敏感なつもり。

 でも君からはそういう空気は全然ない」


 聖堂騎士団。

 太陽神イガース教団が組織する、武装組織だ。

 その強さは折り紙付き。

 マーシャの強さの由来か。


「私も鈍ったのかなぁ、気づかないなんて。

 なんにせよ君は敵。 放ってはおけない」


「動かない体で吠えるのう。

 処断に迷ったからこそ、ともに脱出したのであろう?」


「だからこそ、私が始末しないといけない。

 悲劇を繰り返さないために」


 モニカを睨む目は決意に満ちていた。

 なぜこれほどまでの忠誠心がありながら、イガースを抜けたのだろう。


「俺が魔術を好きなのは人を助けるからだ。

 司祭になっても同じこと。

 人を傷つけるために奇跡は使わない」


「私が殺した奴らは、そんな素敵な思想じゃなかったよ」


「信じられないだろうな、俺は逃げない。

 俺が何者か、マーシャの目で見極めてくれ」


「いいよ受けて立つ」


 かくして俺とマーシャは決闘でカタをつけることになった。

 期日は10日後。

 俺はマーシャに打ち勝たねばならない。

 同時に彼女に自身の魂の価値を認めさせるのだ。


 それから俺は計画を練った。

 マーシャに勝つためには4つの鍛錬が必要だ。

 とびきり過酷な鍛錬が。



 …

 ……

 ………


 そして今に至る。


 瞑想は続いている。

 マーシャの鋭い眼差しを思い出し、いくらか冷静になった。

 最初の鍛錬。

 それは『心』だ。


 言い換えれば精神の掌握。

 瞑想により内なるマナと向き合う。

 そしてマナとの親和性を高めるのだ。


 実戦経験を積んだ今なら。

 司祭となった今なら。

 きっと新しい何が開けると踏んでいた。


「……(来た)」


 意識が遠くなる。

 体が地の底へ沈んでいく。

 激しい耳鳴りが始まり、終わる。 

 まるで別の世界に踏み込んだようだ。


 気が付くと俺は、闇の中にいた。

 暗闇の中、一つだけ灯りが見える。

 

 歩み寄る。

 それは少女。

 うつむいているた顔は見えない。

 けれど特徴的なオレンジの毛色、

 大きな三つ編み。


 ――モニカだ。

 

 ……ちがう。


「堕神、オヴダール……」


 ソレが顔を上げる。 

 俺を見つめるモニカの目。

 四角いヤギの瞳孔が鈍く光っていた。

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