第19話 暴走暴徒

 

 追い詰められたネズミは猫を噛むという。


 てっきり袋のネズミで死を待つ身とばかり思っていた俺だが、

 偶然居合わせた賭博神の司祭は意外に腕が立つらしい。


 目にも止まらぬ早業で悪漢一人の顔を文字通り潰すと、

 気の抜けた笑顔でおちゃらけた。


「ありゃ、あのひと死んだかも。

 ごめんねぇ、エリクサー入れてると加減できなくて」


 しかし本人の言う通り、

 彼女は何やらまずいブツをキメているようだ。

 

 それはどうやらエリクサーというらしい。

 おとぎ話に聞く不老不死薬だか万能薬だが、

 彼女が指しているのは正反対の薬物に違いない。

 

 彼女の手が震えていることが証拠だろう。

 意識が朦朧としているのか、

 構えが弛緩する一瞬があるようだ。

 

 心強いが全幅の信頼は置けそうにない。


 先日往来で暴れた冒険者。

 あいつがキメていたのもエリクサーなら、

 彼女が同じように暴走することも考えられるからだ。



 包囲する側にとって予想外の反撃だったのだろう。

 悪漢たちは少なからず浮足立っている。

 

 それまでの残忍で不快な薄ら笑いはなりをひそめ、

 注意深くこちらを窺う目つきに変わっている。


 奴らを配下にするウィンターとかいう男も同様だ。


「その身のこなし、お前まさか」


「女の過去を詮索するもんじゃなくてよ、なんつって」


 シュッと息を吐く音とともにマーシャは光の杖を投擲した。


 首も向けず真横に放たれたそれは、

 男一人の肩に突き刺さり地面に落ちることなく霧散した。


 肩を抑えてのたうつ男の足元には投げナイフが転がっている。

 おそらく投げようとした気配を察知してマーシャが先手を打ったのだろう。

 そしてマーシャに視線を戻した時には、すでに新たな長杖が握られている。


 達人という評するに相応しい。



「ねーどうする? アタシ思ったより強いよ?」


 確かにマーシャは強い。

 だが虚勢だ。

 手の震えに加え、足元もおぼつかなくなってきている。


 相手もそれに気づいていた。


「やれ」


「伏せろ!」


 ウィンターの合図と同時に男たちが殺到した。


 そしてマーシャが俺たちに命令したのもほとんど同時だ。

 腰を落とした俺とモニカの頭上を光が一閃した。

 マーシャが薙ぎ払ったのだ。


 敵の何人かが昏倒する。

 間髪入れず俺は走り出す。

 二人に合図はしない。その暇はない。

 合図せずとも汲み取るだろう。


 というか汲み取ってもらわねばどっちにしろ終わりだ。


「倒れろ!」



 声とともに力を俺は絞り出した。

 ぶっつけ本番だがやるしかない。


 自分の中心から指先へと水を運ぶイメージ。


 指先から舞い散った水が、

 声に乗って拡散する想像を強く、具現化するように念じる。

 いや、もはや「命じる」に近い。


 視えぬ力が指先から宙に舞い、声に乗り飛んでいく。

 俺の指した標的へと。

 男は突如として臨戦態勢を崩した。

 糸が切れた人形のように、前のめりに倒れていく。

 手からは短剣が零れ落ちていく。

 その顔は驚愕に満たされ、目だけが俺を追えている。


「<<感覚剥奪>>……!」


 決まった。

 が、練習の成果を喜んでいる暇はない。


「”貫け”!」


 鋭い痛みが俺を現実の感覚へ引き戻した。


 同時、視界上方を光の矢が掠める。

 モニカか放った矢だ。

 軌道が俺の頭上ギリッギリだ。というか若干頭を焼いている。


 矢は俺の進路上、感覚剥奪をかけた男のさらに奥へ進んでいき、敵を捉えた。

 飛来する矢を交わすといういうのは簡単ではない。


 それが見慣れぬ魔術によるものなら尚のこと。

 手当すれば致命傷にはならないだろうが、間違いなく再起不能だ。



(いい連携じゃろ)


 モニカの自賛が頭の中に響いてくるが返答する余裕はない。


 ただ、こいつはどこまで俺の心を見られるのか恐怖を覚える。

 光る矢が突き立った男の先にはウィンターがいる。

 その隣には護衛と思しき一際屈強な男も。


 いかにも非情な顔つきだ。

 頑強な顎と一度折れて繋いだような歪な鼻。

 冷たい眼光。


 報酬と引き換えに暴力を振るうプロなのだろう。

 後衛のマーシャがそのリーチで追っ手を払い、牽制してくれている。


 活路は俺とモニカが開くしかない。


 たしかに暴力の本業に正面から勝ち目はない。

 しかし俺とモニカのもつ力は、その間合いにはない。


 躊躇しなければ勝てる。


「”貫け!”」


 もう一発。

 景気のいいモニカの声がすぐ後ろから俺を追い越した。

 すぐに光の矢が走り、男は悶絶する。

 その脇を俺たち3人は走り抜ける。


 ――筈だった。


 矢が来ない。

 確かにモニカのトリガーが聞こえた。

 しかし肝心の矢が飛ばない。

 これはつまり――


「充填切れじゃ!」


 モニカの珍しく焦る声が耳に入った。

 モニカの杖は誰でも“魔術の矢”が撃てるよう仕込んである。

 しかし有限だ。


「ここでかよ」と思った時には、

 俺は第2のぶっつけ本番に移行していた。


 生死を争う局面というのは不思議なもので、

 のほほんと生きている俺ですら尋常じゃない速さで頭が回転する。

 

 まるで頭と体が別々に動いているかのようだ。

 などと考えているのと同時、頭のなかで“魔術の矢”を詠唱していた。


 練習したことはあるが成功したことはほとんどない挑戦だった。



 古今東西いろいろな例えがあるが、詠唱を「馬車」とする。

 すると魔術は「道」であり、

 そして「目的地」が魔法の発現だ。

 

 身振り、触媒、言葉など複雑だったり

 丁寧な手順を踏むほど馬車は安定して道を辿り、目的地に至る。


 だが速さと引き換えだ。

 目的地に早く至るためには、

 より短い道を往くか、乗り物を変える必要がある。


 より強靭な馬に代えれば。

 より車体を軽くすれば。

 いっそ車体を捨て、直接馬に乗れば。

 或いは自身が、馬になれば。


 リスクと引き換えに魔法へ迅速に到達することができる。


 呪文を簡略化する。

 または簡潔な身振りに変換する。

 或いは頭の中で詠唱する。

 解は無数にある。


 それは一つの高み、高速詠唱と呼ばれる妙技。

 

 ――意識が鋭敏化する。あるいは泥のように弛緩する。

 

 ――すべてが手に取るようにわかる。いや、自分の体が見つからない。



「―れ――ゼ―浸―」



 俺の口か?


 何か言葉が紡がれる。

 母国語ではない。古文明語でもない。


 それは日差しが雲を抜け、大地に降り注ぐ音。

 いま風が生まれた音。

 昨日の蝶が死期を悟る音。


 本当に俺の口から出た言葉か?


(これは言葉か?)



 それは確かにこう表し、魔法を発現させた。


「<<魔術の矢>>」



 その詠唱速度は瞬きよりも速い。

 俺の眼前に現れた光の矢は、

 構えた男の右腕をもぎとり――


「う、腕が…!?」


 壁に縫い付けた。


 屈強な男はバランスを失い、尻餅をつく。

 肩ごと消失した腕を呆然と見やる。

 断面からつぷつぷと鮮血が滲み出す。


 俺の視点からは見えていた。


 壁に突き立ち発光する矢と、

 それによって飾り付けられた男の右腕が。


「やるねぇ少年!」


 マーシャの賛辞を浴びても全く嬉しくない。

 

 一つ、あの威力は異常だ。

 四肢をもぐ威力は想定の上を行き過ぎている。

 

 一つ、あれは高速詠唱ではない。

 俺が覚えていたのは古文明語であって、謎の音の羅列ではない。

 

 一つ、先ほどから主神オヴダールの濃密な視線に中てられて発狂しそうだからだ。


「(すまんすまん)」


 俺の心を読んだのか、

 モニカが脳内に直接謝罪を寄越した。

 同時に俺を包む緊張が消えた。


 高速詠唱(のようなもの)を決めてから、

 高位の存在が尋常ならざる気配で俺を包んでいることを感じていた。

 

 そんな存在はモニカ――主神以外にない。

 神の興味をひくというのは初めての感覚だったが、

 まるで品定めされる鶏のような気分だった。


“神の威光”を経験していなければ発狂していたかもしれない。

 それとはまた別に視界が霞む。


 目玉が裏返る感じ……これは分かる、魔術の反動だ。


 人間が魔術、または奇跡によって魔法を発現させるとき、

 代償として精神力を消耗する。

 精神力の全容については俺如きでは到底説明できない。

 

 ここで重要なのは、精神力は肉体と意識を繋ぐマナの一種であること。

 

 それが消耗すると、

 肉体が如何に健康であっても一時的な昏睡を引き起こすのである。


 さっきの高速詠唱のようなもの。

 あれは過剰に精神力を使ったようだ。

 つまり俺はいま、気絶しようとしている。


 体がフワついてきた。


 抗う術は――あっ、もう駄目だ。



――――――



「しっかりせぇ!!」



 バシリ、と頬に衝撃。


 体の内側を見ていた眼球が、ぐるりと回転。


 呆れ顔のモニカだ。


 どうやら気を失っている間に都合よく助かったということはないらしい。

 目の前には片腕を失って戦意喪失している男がいる。

 たぶん数秒も経っていない。


 叩かれた顔面からじんわりと活力が伝わってくる。

 目が覚めるような冷たい活力だ。

 たぶん堕神由来の何かなのかもしれない。

 類似する魔術は存在するし。


「少年、大丈夫…?」


 そこで俺はようやく気が付いた。

 背後から腕を回され、抱えられるように立っていることに。


 意識を失って立っていられるはずがないわけで、

 それは当然のことだ。

 

 俺を抱えているのはマーシャだ。

 こいつはこいつで意識が怪しそうなのに、

 助けてくれるなんて感謝しかない。


「がぁぁぁっ!」


 俺を手放したマーシャは、そのまま背後に長杖を一閃。


 追ってきた男を荒々しく打ち据えた。

 残る障害はほとんどない。


 しかし目に入ったマーシャの背中には深々とナイフが突き立っていた。

 ……俺を庇って受けたのか。


 数秒の気絶だったが無防備な背中を晒すには長すぎた。

 片膝をつくマーシャ。

 額には脂汗が浮かんでいる。


「いよいよアタシの負けかな……行って二人とも」


 浅く呼吸を繰り返す女司祭は、

 意識を保つのがやっとに見える。


「嘘だろ、マーシャ」


 俺の読みだとある筈なのだ。

 ウィンターの背後に隠された道が。


 賭博の最中に観察してたいたが、

 一か所、照明を受けても影の動かない不自然な壁があった。


 おそらく「客用入口」ではない「関係者用の入り口」だ。

 ウィンターがその方向から現れたことからも確信できた。


 それが突破口だと思っていた。


 もう少しなのに。


 ――そうだ”治癒”!

 老婆を助けてから使う機会がなかったが、今こそ使う時がきた。


 「こうだったか…? ”治癒”!」


 マーシャに翳した掌には、何の力も感じなかった。

 成功したときのことを再現しようにも、無我夢中だったから再現しようがない。


「”治癒”! くそっ何がダメなんだよ!」

 

「何をしているエル」


 杖を構え、少なくなった手勢を牽制しながらモニカが問うた。

 どういう意味だ?


「さっさと行くぞ、死ぬ気かエル?」


 モニカは俺を急かす。

 まるで賭博場に入場するときのように。

 

 ……こいつは、当然のようにマーシャを置き去りにするつもりなのだ。


 その目は冷たく無感情には見えない。


 ……いつも通りだ。


 助けてくれた人間を見捨てることを非情などと毛頭も思っていない。

 

 そもそも非情という概念すら知らない。

 だから普段と同じ目ができる。

 

 無垢で、ただ恐ろしい。

 そして確信する。


 この神は、俺を助けない。


 堕神オヴダールにとって今重要なことは、

 不安定な物質世界の体が傷を負わないこと。

 

 他神の信者が死のうが知ったことではないのだ。

 これからマーシャを庇った俺が傷を負っても助力をするだろうか。

 

 以前、「信者に死なれては困る」と言っていたが信用しきれない。

 適当に次の堕神司祭を見繕っては使い潰してを繰り返すのではないか。


 思えばゴブリン討伐のときもそうだ。

 自分の興味のために戦司祭に傷を負わせた。


 そして興味の対象だったゴブリンさえも、

 用が済むと平然と殺そうとした。

 

 自由であるがゆえに無情。

 己が欲求こそが真理。


 それが堕神オヴダールの神性か。


「少年、これを……あたしに飲ませて」


 震える手でマーシャが小瓶を握っている。

 もはや蓋を開けることすらままならないのか。


 先ほどまでの勇猛ぶりからは想像できない弱弱しさだ。


 たしかにマーシャは博打狂いでヤク中でアホで粗野で女性のわりに臭い。


 こんなところで出会わなければ近寄りたくもない人間だ。 

 しかし見殺しにする選択はない。


 こんな掃きだめで、一人死なせるわけにはいかない。


「おい、クソ主神! 俺に加護を授けてみやがれ!」


 博打上等。

 マーシャが密かに飲もうとしていたエリクサーを引っ手繰ると、

 俺は一口に飲み下した。

 

 口が、のどが、胸が熱い。

 視界が収縮する。


 歪んでいく世界の中で、誰かの歓声が聞こえた気がした。

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