006:暁雨、早朝に川原を散歩する(9)

 人間て一生、変わらんもんです。


 成長するんは体だけで、アホは一生治りませんし、死んだ後でも治りません。


 神になろうが鬼になろうが、アホはアホのままなのです。


 それは断言できます。私がその実例です。


 朝餉あさげの席で、今日は三歳くらいのあどけないユミちゃんに味噌汁みそしるを飲ませながら、がっくり来ておりました。


 あいつなんで断るんやろな。


 泊まっていけって言うたのに?


 嫌いなんか、俺のこと。


 好きやって言うたくせに。


 言うたくせに……。


 そういうことが、ずうっと頭の中でモヤモヤっとして、ちいとも気が晴れへんのです。


 アホやな。ええ歳して。


 生きてたら今年で九十五歳ですよ?


 死んだせいで、それがいまだに二十一なんですよ。


 いつまでたっても青いことこの上なく、ほんまにさおです。


「おみそしるぅ〜」


 舌足らずな声で弓彦ゆみひこが食事をねだり、タオルでできた前掛まえかけにネギと豆腐をこぼしながら、ごはんを入れた味噌汁みそしるさじから食うております。


 いわゆる猫まんまですね。


 こんな下々しもじもの食うもんを、我が家ではいつ解禁かいきんしたのか。


 当家は戦前は男爵家だんしゃくけやったんですよ?


 それでも、これが可愛いユミちゃんの大好物なのでいたかたありません。


「ユミちゃん、昨日のな、川でひろってきた人やけどな。あれと何を話したのや? おとうさんに教えてくれへんか」


「ぶぶ〜」


 息子が一度食うたネギを吹き飛ばして遊んでおります。


 お行儀ぎょうぎが悪い! ユミちゃん!


 しかも今朝見たら二歳ぐらいに若返っていました。


 どうしたんや今日は⁉︎


 昨日は七歳ぐらいやったやないか。


 なんで今日に限ってこんな小さいのや。


「ユミちゃん……」


 青ざめて聞きましたが、今日の息子はの二歳です。


 言葉もつたのうて、何言うてんのやら半分も分からへん。


「あの川でひろった半分のお兄さん、何言うてたんや? 昨日……」


 聞いてるそばからユミちゃんは、キャッキャッと喜んで、素手すででこちらが持つわん味噌汁みそしるをかき回してきます。


 アッ、やめなさいユミちゃん、やめて。


「川でお金ぎょうさんあるって答えたん、あの人か? しゃべったんか?」


「おしぇんべ、おしぇんべ」


 もうユミちゃんは赤ちゃん煎餅せんべいのことしか言わない状態でした。


 もう無理や。言うて通じる相手ではないです。


 なんでこんな事に。


「あれまあ。ユミちゃん、お行儀ぎょうぎが悪おすえ」


 朝から機嫌きげんのええ声で、食事の登与とよが来ました。


 式神sきがみまいを引き連れております。


 いくつになっても登与とよはなやいだたちで、娘時代のように毎日振袖ふりそでとはいきませんが、今朝も品のええ訪問着ほうもんぎまとい、髪もきちんとうております。


 さすがは秋津あきつの姫やな。


 しかし、その秋津あきつ殿とのやったはずの私は、すで相当量そうとうりょうの豆腐の味噌汁をすえの息子に浴びせられました。


 世が世なら、ありえへんことです。世が世なら。


「いやぁ、お兄ちゃん。今朝はえらい……御御御付おみおつけもしたたるような美男子びなんしどすなあ」


 登与とよは面白いと思ってんのか、そのようなことを申し、式神しきがみまいとともに、華麗かれいそでで口元を覆って、オホホーッと笑いました。


 面白うないわ‼︎


「ユミちゃん、おとうさんがお気の毒やさかい、お行儀ぎょうぎようしなさい。あんたも秋津あきつの子なのどすやろ。そんなお行儀ぎょうぎやと、見苦しおすえ?」


 自分も息子と同じ、鏡のごとき黒漆くろうるしの食卓につき、登与とよはニッコリとして、そんなふうに言いました。


「おしぇんべ」


 ユミちゃんは幼児椅子から真面目に答えています。


「はいはい」


 慈愛に満ちた笑みで、登与とよふところからビニールの袋に入った幼児煎餅せんべいを出し、袋をいてユミちゃんの小さい手にサッとにぎらせました。


「ユミちゃん、昨日、なんや変なもん川でひろうたのやて? あれが何なのか、おかあさんには教えとくれやす」


 ほがらかに言う登与とよを見上げ、同じくニッコリとしている振袖姿ふりそですがた式神しきがみまいを見比べながら、弓彦ゆみひこ幼子おぼこらしい無表情な目で、サクサクと煎餅せんべいかじっております。


弓彦ゆみひこ様、お煎餅せんべい、ここにもまだぎょうさんありますえ」


 まい振袖ふりそでたもとから袋入りの幼児煎餅ようじを幾つも出して見せ、そう申しました。


「そやそや。おかあさん、なんも、タダで言うてとはたのんでへん。このお煎餅せんべい、ほんまに美味おいしおすなあ」


 にこやかな母親の話にユミちゃんも納得したんやら、どうやら。


 煎餅せんべい食いながら弓彦ゆみひこは重たい口を開きました。


「おかあさん、怒らへん?」


「なぁんも怒らへん。言うてみて?」


 女神のような美しい表情で、お登与とよはまるで生まれてこのかた一遍いっぺんも怒ったことあれへんように言うてます。


「ユミちゃん……夢見たのぉ」


「夢?」


 美しいシナを作ったまま、お登与が聞き返しました。


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