006:暁雨、早朝に川原を散歩する(15)

「何をふくれてんのや、ぼん……」


 気まずそうに後をついてきながら、おぼろが言うてます。


 ふくれてませんよ、フグやあるまいし。


 プンプンしながら、例の半分の男のおる客間へ向かいました。


 さっきの動画を見せてみましょう。あれがミズグチさんかどうなんか、首実験くびじっけんやわ。


 たずね人がさっさと見つかれば、あいつも我が家を出ていってくれるでしょう。


 正直言うて、長々と居座られても迷惑です。うちにはもう、新たな神をかこうておくような余裕はあらへんのやさかいに。


 息子はあの白蛇しろへび一匹で足りるて言うてるし、それでかまへんと私も思います。


 かつて自分がこの家であじおうたような辛酸しんさんを、息子の暁彦あきひこにもめさせようというつもりはあらへん。


 登与とよにもそないなつもりはないでしょう。たぶん……?


 えぇ? どうなんや、あの妹は何を考えておるんやら。


 あれも何故なぜか、このたび、あの半分の男を我が家でかくまうのに反対はしませんでした。


 まるで我が家で調伏ちょうぶくして、今後も式神しきがみとしてうていくつもりのようや。


 そういえばユミちゃんにはしきがいいひんのです。


 まいはお登与とよのもんやし、きつねしげるのもんや。


 おぼろは……今は誰のもんでもないて言うてます。


 こいつは、こいつのものなのや。


 そやから、ユミちゃんのしきになってくれるもんが誰もいいひん。


 それは由々ゆゆしき事でしょうかね?


 それで弓彦ゆみひこも、小さいながらも巫覡ふげきの血につらなるもんとして、自分の式神しきがみを探していたのでしょうか。


 それやったら、このまねかれざる神を無下むげに追い出すわけにもいかへんやないか……?


 座敷のふすまに手をかけたところで、はたとそれに思い当たり、私は手を止めました。


 まさかあの水口みずぐちとかいう、イモリとデキてるような破廉恥はれんちな変態が、うちの座敷で寝ている男となんやかんやあるのでしょうか?


 動画を見る限りでは、あれが巫覡ふげきの一種とは思えませんでしたが、何事も断言はできません。


 いやぁ、それは。


 所有者がいるしき分捕ぶんどるのは無作法ぶさほうやな。めたら難儀なんぎです。


 そやけど、所有者が誰かわからへんのやったら、ねえ?


 迷うて来たもんは、行くあてがあれへんのやったら、ひろうたもののもんやということでも、かまへんでしょう。


 あいつが探してるていうミズグチさんが誰やったんか、我が家は知らんかったていうことにしておいても、ええんやないか……?


 そない思うて、手をかけたふすまをいつまでも開けへん私を、おぼろがだんだん怖い目でにらみました。


 見下げ果てた奴やと言わんばかりの冷たい目です。


 これが屍鬼しきやのうて、雪や氷の眷属けんぞくであったら、私は遠に骨まで凍ったことでしょう。


「いや、待て、そうやないんや……」


 察しのええらしいおぼろに、誤解やて言おうとしましたが、なおいっそう冷たい目で見られました。


「さっさと動画見せて、探してんのこいつやろ、今すぐ出ていけって言うたら?」


 ふすまの向こうに聞こえるのもはばからず、おぼろはずけずけ申しました。


「あんな半死半生はんしはんしょうの身で追い出すんか。お前は鬼か」


 思わずなじると、おぼろはよほどムカッと来たようで、珍しゅう怒った顔をしました。


「死ぬかもしれへんからやないか! さっさと会いたい奴に会わせてやるんが情けやろ」


「そない思うんやったら、お前がその水口みずぐちという男をここへ連れてくればええわ。まだ動かされへん」


 いかにしぶとい化けもんといえど、今は半分うしのうた体を再生するので精一杯のはずや。休ませてやらなあかんのです。


 自分の言うたその話に、私自身もさとされました。


 いくら迷惑やいうても、まだ追い出すのは無理や。


 ユミちゃんの式神しきがみの件も、考えるにはまだ時期尚早じきしょうそうです。


 まずはあいつの体を治し、たずね人を見つけてやるんが先決やったな。


「坊はどんな化け物にでも深情ふかなさけなのやな!」


 おぼろは怒ったふうに言うて、私がまだ開けへんかったふすまをガラリと無遠慮ぶえんりょに開けてしまいました。


 その向こうの座敷には、今も布団が敷いてあり、半分だけの男が寝ているはずでした。


 半分だけの。


 いや、それが。


 見ればもう半分やのうて、どことのう可愛げのある顔と、体も、うしのうていた半身がもう、あとは手足を生やすのみのところまでよみがえっているやないですか。


 えらい回復力や。これは中々の化けもんやぞ。


 取り逃すには惜しいなあ……。


 いえ何でもないです。


「何やこれ、ぼん


 怖い声でおぼろいています。


「何やこれ、とは?」


「こいつ、治ってるやないか」


 布団で朦朧もうろうとしている新参しんざんの化け物を見て、おぼろが怒っております。


「そやな。まだ途中やけど」


 そないに怒らんかてええのにと、なだめる笑顔で申しましたが、おぼろがにっこりすることはありませんでした。


「何でや?」


 顔をしかめて、おぼろくもんやし、これは誤解のないように、よう言うておかんとあかんなと思いました。


「二度三度は精つけさせてやったけど、まだ足りんようや。深傷ふかでやったさかいに……」


 ちょっと血をやった程度では、手負ておいいの化け物はすぐ腹が減るのや。


 物の怪は人の血肉やのうて、本来は恐れや信心を食うておるのです。もしくは愛情を。


 そやけど、この家にはこいつに真心まごころをかけてやれる者は誰もいいひんのやさかいに。


 死なん程度の血を吸わせてやるぐらいしか、してやれることも無いわけです。


 そうですよね? そうでしたやろ?


 皆さん今こそ証言してもらえないでしょうか?


「こいつと寝たんか!」


 心なしか断定口調でおぼろが問い詰めてきました。


「そんなんしてへん」


 ハッキリ言いましたよ。ハッキリ言いました!


「嘘つけ! ちょっとやそっとで、体半分モゲとったやつが、こんな急に治ったりするわけあらへんやろ」


 おぼろも怒ると怖いんやなぁ。やっぱりこいつは鬼なんかな、と思えるような声色こわいろです。


 いやいや、待てって。俺の話をよう聞け。


「生命力が強いやつなのや」


「どんだけ強かったらこんなケロッと治るんや。俺がお前ん家でぎったんぎったんにされた時、ここで何日寝込んだと思てんのや?」


 そんなことあったっけなあ……。堪忍かんにんしてくれ、おぼろ


 頼むからそんな鬼みたいな顔せんとってくれへんか。俺はお前には弱いのやから。


「絶対寝たんや。それしか考えられへん!」


 おぼろが死人のような顔色で断言しています。


「血をやっただけや!」


 こちらも慌ててハッキリ言うてやりましたが、時すでに遅しですか?


 なんでや。ちゃんと言うたのに。言いましたよね?


「嘘つき……」


 よっぽど信じてへんのか、おぼろはもう血涙けつるいでも流しそうな赤い涙目なみだめです。


 まずいな。これは。


 むしろこいつのほうが化け物みたいやぞ。


「なんで信じてくれへんのや」


 それが不思議で、蒼白そうはくおぼろの顔を見つめましたが、こちらを見ている白い美貌びぼうは、まるで血などかようていいひんようです。


秋津あきつさん」


 急に横から呼ばれて、ハッとしました。


 布団の中で眠っていたはずの男が、言い争う声で目覚めたんか、身を起こし、なぜかいになっていました。


 手足はまだ片方ずつしかあれへんさかいに、不自由な身で、それでも四つ足でうようにうつぶせて、こちらを見ていました。


 これはこれで青ざめ、飢えたような面構えです。


 はあはあと苦しげな息をするその口元には、のこぎりのような歯がずらりと。


 あかんな。これは明らかに化けもんや。


 おぼろも、それを見たら少しはわかりそうなものや。


 なんで俺がおぼろより、この食い意地の張った正体不明の化けもんを選ぶと思うんやろか。


 おかしいですやろ?


 そやけど、そないなこと呑気のんきに考えておる場合でもなく、いの化け物は恐ろしいほどの素早さで座敷の畳をい、襲いかかってきました。


 私にね。


 廊下で簡単に吹っ飛ばされてしまい、もう半分とは言えへん半裸の男にのしかかられてしまいました。


 いやぁ力が強いなぁ。


 しかも半裸といいますか、ほぼはだかです。


 ほら、こいつを川で助けた時には体が半分だけやったさかいに、服かて半分しかあれへんのは道理どうりですやろ。


 後から生えたもう半分のほうが何も着てへんのは致し方ないのです。


 服は勝手に伸びたり生えたりはしいひんのですから。


 そやから裸でも深い意味はあれへんのです。断じてないのやけど。


 私は脱がせたりはしていません、ほんまです! 信じてください……。


秋津あきつさん、もっと欲しい。もっと……もっと欲しい!」


 血をね⁉︎


 頼むから、もっとハッキリ言うてくれ!


 そう願う私とからみ合う半裸の化けもんを見下ろし、よろめいたおぼろふすまにぶち当たって震えながら、口元をおおって何とも言えへん悲鳴をあげました。


「ひどい……ぼん……! もう……もう終わりや‼︎」


 のどくような悲痛な絶叫です。


 家のはりまでガタピシ鳴るほどの。


 おぼろはそのまま、わっと廊下にして泣き崩れ、私に取り付いた化け物は鋭い歯で私の首をんできます。


 痛い。食われる。


 まるで地獄やな。


 おぼろ。泣くんは後にして、とりあえず助けてはくれへんやろか。

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