006:暁雨、早朝に川原を散歩する(14)

「なんや……その格好かっこう


 位相転移いそうてんいいて出たおぼろは、白い鳥みたいな服を着ておりました。


 白い上着に白のズボンをはき、くつまで白で、首には外套がいとうとも襟巻えりまきともつかへん羽毛うもうの巻き物をしていて、髪にも白くきらめ雲母うんものような粉が散らされています。


 なんの祭りや……おぼろ


 唖然あぜんとして見ました。


堪忍かんにんや。仕事中やったんや」


 芝居の衣装か何かのようです。奇妙な格好かっこうや。


「見つけたのや、ミズグチさん」


 おぼろ単刀直入たんとうちょくにゅうでした。


「えらい早いな」


偶々たまたまや。どうもえんのある化けもんやったんやろな」


 衣装の内ポケットからスマホを取り出して、おぼろ座敷ざしきに私と向きうて突っ立っているまま、その画面を見せてきました。


 手のひらに乗るほどの小さい画面に、精彩せいさい総天然色そうてんねんしょくの映像が。


 世の中、えらい進歩したものや。


 何度見ても不思議ふしぎです。


 そこには今、目の前にいるのと同じおぼろ美貌びぼう大写おおうつしになっていました。


『こんにちは! 怜司れいじお兄さんだよ!』


 あやしい笑顔で画面の中のおぼろが優しゅう言うていました。


 はあ? これお前か?


 驚くやらあきれるやらで、まだ唖然あぜんとしたまま私があんぐりと生身のほうのおぼろの顔を見ると、なんでか顔あこうしてれています。


「な、なんやねん。こういう仕事やの! ぼん、見たことないんか⁉︎ 今さらそんな目で見んといて……」


 心なしかジタバタして、人の家のたたみ遠慮えんりょのう土足どそくで踏んでります。


 行儀ぎょうぎ悪いぞ、おぼろ


 しかもこの笑顔はなんや。こんな顔、俺は滅多めったに見いひんぞ。


「こんなん見んでええんや。早送り……」


 気まずいのか、さっさと映像を早回しする操作をして、おぼろは何かを見せたいようです。


水口みずぐちユウスケ先生でぇーす!』


 画面の中の、子供が見る絵本の絵のような、布で縫われて作られた森のような部屋で、大きな木のみきに作られていたとびらがバーンと開いて、虹色にじいろの紙吹雪やシャボン玉とともに、目のくらむような光があふれ出てきました。


 そこからロケットで打ち出されたような人影が。


 どうもほんまに何かで打ち出されているようです。


 ぴょんと若い男が飛び出してきました。


 それも、やはり芝居しばいの衣装のような、水滴すいてきのような形のものがぶらぶらいくつも下がった、薄青い服を着ています。


 画面には手書きの文字で、みずぐちゆうすけ先生、と表示されました。


 そこでおぼろの長い指がサッと画面に触れ、映像が静止しました。


「こいつ、水口みずくちっていうんや。最近ネットの動画配信で人気の出た水棲すいせい生物マニアで、元は水族館のスタッフやったらしい」


 水族館の?


 おぼろの話に、つい黙り込みました。


 アキちゃんも水族館やて言うてたなあ。


 虫の知らせていうんでしょうか。人間には予感があるものです。


 巫覡ふげきに至っては、霊力に応じて強い予知能力を示すもんもいてます。


 我が家系にも予知能力のある者が時折ときおり生まれてきますが、私や息子の暁彦あきひこはそうではありません。


 それでも、何かしら予感はあるものです。


 何か強く呼ぶものがあれば、その声が遠くからでも聞こえるように。


「話したんか、この水口みずぐちていう奴と」


「話したわ。仕事でやってる子供向けの動画のゲストなんや。今まさにってる。東京でやけど。俺が京都出身やて知ってて、同郷どうきょうやしなつかしいんやて。こいつ、ちょっと前に京都の水族館を退職して、東京でタレントになったのや」


「どんな男やった?」


「カエルとチューするような男や」


 おぼろ渋面じゅうめんで言うてます。


 はっ⁉︎ 何て?


両生類りょうせいるいやら魚やらとチューする芸風げいふうの人なんや」


「どういうことなんや……」


 あまりの分からなさに私も青ざめました。


「生き物が好きすぎて何にでもチューすんのや。特に水棲すいせいの生き物。その点については、坊はこの人のこと何も言えへんやろ?」


 おぼろ真面目まじめに言うてるみたいでした。


 ちょっ……。それは? どういう意味や⁉︎


「何にでもて……」


 俺はそんなことしいひん。


 ほんまですよ⁉︎ ほんまです! 信じてください。


 何でおぼろまで俺をさげすむように見るのや⁉︎


 俺がいつそんなことしたのや⁉︎


 お前がそないなこと言うたら、お聞きの皆さんが、ほんまの話かと思わはるやないか!


 うっかり人聞きの悪いこと言うんやないわ。


「これや、これ。見て」


 おぼろがスマホで早送りした画像を見せてきました。


 その映像の中では、先ほどの水口みずぐちという男が、水槽すいそうのイモリをのぞき込みながら、ねつっぽく話しており、内容はイモリの生態せいたいの説明でした。


 そのイモリはヒョロリとした細長い灰色の体に、つぶらな黒い目をした小さいものです。見ようによっては可愛かいらしい。


 そやさかいにか、男は一頻ひとしき熱弁ねつべんしたあと、水槽のイモリの背を指先でそうっとでて、あぁ可愛いですねえ可愛い、と言うたかと思うやいなや、それをサッと取り上げて、ちゅうううっと音を立てて吸うたのです。


 ヒッ。イモリには毒があるのやぞ⁉︎


 種類や個体にもよりますが、男はそれも承知しょうちしていたようでした。


 そやのにチューするやなんて⁉︎


 人が死ぬほどの毒やないとはいえ、テトロドトキシンですよ。


 フグの毒と同じものや。


 そのイモリに口付けするとは、まったくもって蛮行ばんこうと言えましょう。


「この人この調子で何にでもチューするんや。それが見とってビビるし、なんや面白いってことなのやろうけど、怖いわぁ……俺にもやれって言うし」


 おぼろ渋々しぶしぶていで言うております。


「お前もイモリと口付けしたんか」


「してへんわ!」


 あわてたふうにおぼろが言うさかい、なんであわてんのやと思いました。


 俺がイモリに焼きもち焼くとでも?


 ははは。まさか。


 スマホの画面では確かにおぼろ水口みずぐちなる男にイモリとチューするようにけしかけられており、撮影用の会場にいる数人の子供らが、面白がってわろうておりました。


 でもこれは水口みずぐちさんやからやれる蛮行ばんこうや。


 良い子のみんなは絶対に真似しないでね! と画面の水口みずぐちさんが子供らに重々じゅうじゅう言うています。


 そこで一旦いったん、撮影が終了したようです。


 カメラは回っていましたが、会場では皆が挨拶あいさつをしたり、お辞儀じぎ握手あくしゅが交わされていました。


 おぼろ水口みずぐちさんと握手あきしゅをし、二言三言ふたことみこと話したようですが、それに相手はいたく感激した様子で、ねつっぽく両手でおぼろの手を握って何度も振ると、急にガバッと抱きついたではありませんか⁉︎


「何やこいつ⁉︎」


 我ながらさけびました。


「落ち着いてぼん、ただのハグや」


「いつから日本ではこんな事するようになったのや⁉︎」


 俺は聞いてへん。


 いつの間に世の中が変わったのや。


「普通はしいひんけど、挨拶あいさつやろ。する人はするんや」


挨拶あいさつ……?」


 本気で言うてるらしいおぼろの話を聞いて、私も全身からテトロドトキシンが出そうになりました。


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