006:暁雨、早朝に川原を散歩する(13)

 化けもんが生きながらえるには霊力れいりょくが要るのです。


 それは人間も同じや。


 天地あめつちから与えられる恵みがあって初めて、人も物の怪も生きていられるのです。


 天に許されて生きている人間は、体を保つための食い物を食えばええけど、物の怪は肉体を保てばええというもんではありません。


 自分のたましいを保つための霊力が要るのです。


 物の怪については、何らかの霊力ちからみなもとを与え、その存在を天地あめつちが格別にお許しになる場合もあれば、そのような加護かごうて、人をおそうて食うたり、精気を吸うたりして生きながらえる者も少なくありません。


 食うのはともかく、人の精気を吸う化けもんは、まだ気の良いほうです。


 人が死にいたるほど吸うんでなければ、まあ、ええやないですか?


 可愛いものです。


 吸われるほうにとっては、ただ可愛いだけでは済まへん害悪があることも、まあ、あるにはあるわけですが。


 精気というのは、アレですよ。


 ほら。なんというか……。


 人と人とが愛し合う時に、布団の中などでやることです。


 そんなもん物の怪のせいとばかりは言えへんのやないですか?


 そうと知りつつ耽溺たんできする人間の弱さが、そういう化けもんどもをのさばらせ、ほんまもんの鬼にするだけですよ。


「あのなあ、お登与とよ……ユミちゃんは?」


 出かける支度したくをしておったらしい妹が、座敷ざしきにおりましたので、弓彦ゆみひこ居場所いばしょを聞きました。


 ユミちゃんから、あの化けもんの名を聞き出さねばなりません。


「ユミちゃんはしげるちゃんと出かけましたえ」


「え。なんでそんな勝手なことを」


 思わずあきれて申しましたが、大崎おおさきしげる式神しきがみきつねと共に来て、弓彦ゆみひこを動物園に連れて行ったというのです。


 元から約束しておったようで、そういえばそんな話やったやろうか。


 それで私は子守こもりにんからは解放されて、今日は祇園ぎおんで絵でも描こうかと、そない思っていたのでした。


 川であの半分の男をひろうたせいで、そんな長閑のどかな気持ちはどこかへ消えておりましたが、そういえば、そうやったかもしれません。


「お兄ちゃん。うちは今日は用事があって、出かけなあきまへん。お一人で大丈夫どすか?」


 心配げに登与とよが申しています。


 もう外出の出立いでたちで、毛皮のえりのついた黒い天鵞絨ビロードのコートを着物の上に着ておりました。


「大丈夫、とは?」


「あの得体たいの知れへん物の怪のことどす。おぼろをお呼びになってはどないどす? お一人では手にあまる化けもんやもしれまへんさかいに」


 登与とよがほんまに心配しておるようで、私はぽかんとしました。


 どういう意味や、お登与とよ


 なんで俺があんな妖怪一匹のために、助けが要るんや。アホらしい。


 口のらへん妹ならではの悪い冗談か知らんけど、えらいあなどられたもんやわ。


 そやけど……そうやな。


 そういえば私には実は、実体がないのです。


 ほんまは、ユミちゃんのことを行儀ぎょうぎが悪いてとがめられような立場やあらへん。


 私は実は、生きてはいいひんのです。


 死んでもおらんのやけど、あの激しかった戦いの終わりに、たましいだけが肉体から抜け落ちてしもて、体のほうはもう、うしのうたのでございます。


 おそらく、そうなのやと思う。


 私は戻る先をうしのうた、行儀ぎょうぎの悪いりょうなのや。


 それがずうっと、なく彷徨さまようておったところに、幸運にも、上の息子が筆を入れた遺影いえい依代よりしろにして、こうして肉体めいたものを得て化けて出てるのやさかいに、お登与とよは不安なのやろう。


 生霊いきすだまにも寿命の尽きることがあるのやないかと。


「大丈夫や」


 気が立ってるらしい妹をなだめるために、そう言うておきました。


 すると登与とよはさらにムッとしたようです。


 根拠があらへんのを見抜かれたんでしょうか。


 かしこい妹も考えもんやな。


「もっと怜司れいじをおそばにお置きになったらええのに。誰にも遠慮など、もう要りまへんやろ。あの子はお兄ちゃんを守る神や。そないしはったほうがええと思います」


 登与とよは難しい顔をして、早口にそう言いました。


 昔から、お節介せっかいな妹なのや。


 ほんまに余計なお世話なのです。


 こちらがおそばに置こうかなと思うたところで、あちらがおそばにいとうないて言うんやないか。


 そんなもん、格好かっこう悪うて妹にはよう言いません。


 言えって? 言えませんよ⁉︎ 言えるわけあらへん。


 なんででしょうかね。子供の頃からこの妹には、つい意地いじを張ってしまうのです。


 しょうがないお兄ちゃんやな、ほんまに。


「くだらんこと言うてんと、お前はさっさと出かけたらええわ。俺もやっと一人で羽根をのばして、のんびりできるというものや」


「あらまあ、そないどすか! ほなあの化けもんとどうぞごゆっくり」


 なんでか登与とよまでがプンプン怒って出かけて行きました。式神しきがみまいを連れてね。


 確かに巫覡ふげきにとっては、ともをするしき一柱ひとはしらもいいひんというのは、格好かっこうの付かんもんかもしれません。


 昔はうちも、外出のともをさせるしきに不自由するなど、決してあらへん家やったけですども。


 しかし今さらです。


 もはやとおに死んだような身で、今さら新しい式神しきがみなどってもねえ?


 ええ……?


 ああ、そういうことか?


 それであいつら怒ってんのやな。


 俺があの半分のやつを今から自分の式神しきがみにするとでも?


 えぇ?


 皆さんもそういう目で私を見ておられたのですか?


 それは心外しんがいやな。


ぼん!」


 急におぼろの声がしました。


 ヒッ。何もしてへんで俺は。


 何でお前は急に来るのや。


 いきなり座敷ざしきいて出たおぼろの姿に、私はのけぞりました。


 おぼろみょう衣装いしょうを着てったからです。


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