006:暁雨、早朝に川原を散歩する(6)

ぼん!」


 どたどたと廊下を走る音がして、ガラッと乱暴に座敷ざしきふすまが開きました。


 日ごろ、いくら言うても嫌がって、本家の敷居しきいまたがん奴が、今朝は呼ばれもしいひんのにけ込んでくるとは。


「どっどどど、どっ……どない、したん……それ⁉︎」


 そこまで上擦うわずれるかというほど上擦うわずった声でした。


 おぼろです。


 身支度みじたくもそこそこにんできたという風情ふぜいの、簡素かんそなシャツとズボンのちで、長い乱れ髪のまま、紙のように青ざめて廊下に立っております。


 ふすますがるようにして。


 なつかしいなあ、おぼろ。お前がそんな青い顔して、うちの廊下ろうかに突っ立ってると、俺も自分のつらかった青春時代を思い出すわ。


 しかし今は令和二年です。


 もはやつらいことなど、あらへんのです。


 そやのに、こいつと来たら。


「そいつ何や⁉︎ 写真見たえ⁉︎ Webで……! 坊……そいつ何⁉︎ 川で抱き合うてる写真が! ネットに! あぁああ……」


 言葉にならへんようです。しかし言いたいことは分かりましたね。


「抱きうてへん。ひろうただけや。川に落ちてたのや。死にかけてたもんやし、放っとくわけにも……」


「放っとけへんような奴なんか⁉︎ 放っとけへん美人が川に何匹いてんのや‼︎」


 いきなり感極かんきわまったような悲鳴で、おぼろ怒鳴どなっております。


 めずしいな。こんなことあるんや。


 ぽかんとして座したまま見上げておりますと、おぼろが一瞬、気を失いそうな遠い目になっていました。


 こんな奴やったか……?


 ちいとも知りませんでした。


「落ち着け。何を勘違かんちがいしてんのや。ほんまにひろうただけや。一面識いちめんしきもないわ。まだ口もきいてへん」


 手招てまねきして呼び寄せても、おぼろは青ざめたまま、うらんだような目でじぃっと見てくるばかりです。


 なんかお前にそこまでうらまれるような事を俺がしたんか?


 したな。すみませんでした。


「こっち来て」


 強くまねくと、おぼろは無言で、ただれいのような足取りで座敷ざしきに入ってきて、私のやや後ろに並んで座りました。


 その、半分しかあれへん男の寝てる、布団の枕元に。


「こいつ……何や」


「俺も知りたいわ」


 うらみがましゅう言うおぼろに、ついため息混じりに答えました。


 ユミちゃんが川で見つけたんで、ひろうてきたのや。かくかくしかじか。


 手短に、かつ誤解がないよう、さっさと伝えました。


 何で俺がどうのこうの言われなあかんのや。自分かて、怒鳴どなり込まれるようなアレやコレやが、アッチやコッチになんぼでもぎょうさんるくせに。


 もう知ったこっちゃありませんよ。


 知るか!


 急な暴言ぼうげんをお許しください。私もね、腹立つことは人並ひとなみにあるんですよ、ほんまはね。


 えてるだけです。


 それは相手も同じやったということですね。


 おぼろも?


 一切いっさい気づかんかったですけどね、昔は。


 だってこいつと来たら全然、おくびにも出さんのですから。


 まあそんなうらみ言はさておき。


 今は言いあらそうてる時ではありません。


「写真て何や。そないなもんったおぼえあらへんぞ」


 したまま背後にたずねると、おぼろが息をする音が聞こえました。


「今は誰でもスマホ持ってて、何かにつけ写真られるのや。それを勝手にネットに公開する奴もいてる」


「何でそんな悪いことするのや」


「悪いことやない。そんなつもりでやってんのやないんや。そやかて、困るさかいに……。坊、皆の見てる前でんだやろ。それが動画に映ってたのや。それで、桂川かつらがわ怪談かいだんやて、さわぎになりかけてる」


さわぎ?」


 おぼろはまだ青ざめた顔で、じっとたたみを見ていました。


ぎは別にかまへん。ネット上のことなら、止めようもあるさかい」


 自分がどうにかするていう口ぶりで、おぼろは言うて、白い眉間みけんしわを寄せました。


「こいつ、本家に置くんか」


 もう何か決まってるとでも言うように、えらい深刻しんこくに言うもんやし、思わず笑えてしまいました。


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