002: Happy Birthday (3)

 とまあ、普通やったら、これで終わりと思うやろう……。


 もちろん俺もそう思ってたわ。あとはラブラブハッピーエンドやないか。全部語らんでええわ。おさっしくださいやわ!


 そやのに帰宅したらな、我が家のセキュリティが破られていたんや。


 怜司れいじ兄やんに!


「おぉー、お帰りとおるちゃん。なんやデートやったんか。悪いけど、うちのぼんが絵ぇ描きたいのやて。アトリエ使わせてなー」


 いつものダルそうな美貌びぼうで、怜司れいじ兄やんは事務所に入ってすぐの、客用のチェアに長い足を組んで座り、もくもく煙草たばこ吸うてた。


 ここ禁煙やぞコラァ! ノー・スモーキング・プリーズ‼︎


 その兄やんの足元には、黒ダスがハフハフ言うて嬉しげに集まり、元のご主人様を恋しがってるみたいやった。


 けど兄さんは邪魔くさそうに黒ダスをっ飛ばし、吸いかけの煙草たばこをポイッと床に放った。


 何やっとんじゃワレェ‼︎ ととおるちゃん思ったけど、吸殻すいがらは黒ダス何号かが空中キャッチして食うた。


 死ぬぞ⁉︎ お前⁉︎ そんなもん食うな⁉︎ 体おかしなるぞ⁉︎


 俺は青ざめて見たけど、怜司れいじ兄やんは涼しい顔やったわ。


本間ほんま先生、今日が誕生日やろ?」


 怜司れいじ兄やんは白いお首をみながら、色っぽいポーズで言うた。


 無駄に色っぽい。なんやこいつ。常に色っぽいんや。


 アキちゃんはそれにドギマギしちゃったように答えた。


「そ、そうやけど……」


 なんでみなんやジュニア。殺すぞ。


 その答えを聞いて、怜司れいじ兄やんはにやあっと笑った。


「誕生日プレゼント、持ってきたんや。暁雨ぎょううさんがな。まだ作ってる最中やけどな」


 天井を視線で指して、怜司れいじ兄やんはそう言うた。


 たぶん、アキちゃんのおとんの暁雨ぎょううさんが、二階のアトリエにいるて言うてんのやろうな。


「俺、絵描くのに邪魔や言うて追い出されたんや。ひどいやろう。先生はいつもとおるちゃんと仲良しでええなあ。俺も先生に乗り換えようかな?」


 にやにやしながら怜司れいじ兄やんは言い、アキちゃんは青ざめてた。


「俺はあいにく先生に誕生日プレゼント何も用意してへんしな、しゃあないし体で払おうか。もろうてくれる?」


 怜司れいじ兄やんは客用チェアで悩ましいポーズやった。アキちゃんの顔色は青色から紫色になり、俺の顔色は暗黒面に落ちた。


 それを見て、怜司れいじ兄やんが急に吹き出して笑った。


「アホか。何をマジにとってんのや。そないなことするわけないやろ。俺は今夜は坊々の相手で忙しいのや」


 にこにこして怜司れいじ兄やんはトレンチコートの中の胸ポケットから、新しい煙草たばこを一本取り出し、例の、あのアキちゃんのおとんとおそろいの銀のライターで火をつけた。


 銀の蜻蛉とんぼの飾りがついててな、古いもんやけど、ええもんみたいや。怜司れいじ兄やんはそれをすごく大事にしてる。


 別に何がどうって言えへんのやけど、大事なんやなっていうのが分かるあつかい方や。


 それって別に、ライターが好きなんやなくて、アキちゃんのおとんが好きなんやな。


 そういうのええなって、俺はいつもうらやましいんや。


 俺もずっとアキちゃんのこと、大事にしてやれたらいいな。


「絵、まだかな。遅いなあ。いつまで描いてんのや……」


 怜司れいじ兄やんは椅子で煙草たばこ吸いながら、一人でぶつぶつ文句言うてた。


 一人で居てんのがさびしいみたいやった。


 この人らは、俺とアキちゃんが買い物に出かけた後に来たのやろうし、兄やんも、そんなに長くは待ってへんはずやけどな?


 せいぜい、一時間かそこらやろ。


 そんな早くに絵なんか描けるもんかよ、と俺が思ったときやった。


 ぱたぱたと革底のくつの足音がして、アキちゃんのおとんが階段を降りてきた。


 ちょっとレトロな植民地コロニアル風の曲がった階段や。曲線が美しい。


 そこからおとんが降りてくるんを見て、怜司れいじ兄やんはパッと椅子から立った。驚いたみたいに。


 ほんで、花が咲くように、にこーっと笑ったのや。


「坊、もう描けたんか? 早かったなあ。急がんでよかったのに」


 めっちゃ優しい声で、怜司れいじ兄やんは甘い砂糖菓子のようにとろけて言うた。


 そのゲロ甘さに俺とアキちゃんは棒立ちで、顔色がまた一段と悪うなった。ほぼほぼ瀕死ひんしや。


「待たせて済まんかったな、おぼろ。アキちゃんにこの絵、置いて帰りとうて」


 暁雨ぎょううさんは今日は黒いコートやった。もうコート着てる。すぐ出て行くつもりらしいわ。


 でもその手にはまだ、巻かれた絵のじくを持ってた。


「はい。これ。やるわ。誕生日おめでとう」


 おとんは、無造作むぞうさにアキちゃんにその絵のじくを渡して、アキちゃんとそっくりな顔で微笑んでた。


「大きゅうなったな、暁彦あきひこ。おとん嬉しいわ。お登与とよがな、誕生祝いに持っていけって、家でことづけてきたのやけど……」


 暁雨ぎょううさんはそう言うてチラリと、にっこにこして待ってる怜司れいじ兄やんを見やった。


おぼろ。あれは?」


 キュンキュン来るので忙しい怜司れいじ兄やんに、暁雨ぎょううさんは聞いた。


 それでハッとしたんか、怜司れいじ兄やんは二ミリほど正気に返り、ああそうやったって思い出した顔で、自分のトレンチコートのふところに手を入れた。


 そしてたいを引っ張り出してきた。


 たい⁉︎ ふところたいが⁉︎


 お前どういう体してんのや⁉︎


 それは俺でも一抱えはあるなっていう、ご立派な真っ赤っかのたいでな、相当そうとう目出度めでたかった。


 重さもかなりやと思うのに、怜司れいじ兄やんはそれの尻尾あたりを、華奢きゃしゃな指の片手だけで軽々と持ってた。


 化けもんやなこいつ! 知ってたけど!


「めでたいやろ」


 淡々たんたん暁雨ぎょううさんは言うた。


 アキちゃんは青ざめたまま、こくこくとうなずいていた。


「でもな、アキちゃん。おとんはずっと知ってたのやけどな。お前は誕生日に尾頭付おかしらつきのたいが出てくるのは、ちょっとアレやったのやろ。ほんまは誕生日ケーキがええのやな?」


 おとんは切々と、アキちゃんの切ない胸のうちを語ってくれた。


 それ、いつの話やねん。アキちゃんが子供の頃の話やな?


 アキちゃんもう二十三歳やで。大人やわ。


 それとも、そういうのって人は永遠に大人にはならへん部分やろか。


「お登与とよたいがええのやて信じてるのや。許してやってな。代わりに、おとんがバースデーケーキの絵を描いといたしな」


 絵か⁉︎


 まだ言葉もない俺の前で、アキちゃんはこくこくと何度もうなずいていた。


「ありがとう。おとん。俺、嬉しいわ」


 アキちゃんは子供みたいに、おとんに感謝していた。


「チョコレートか白いクリームかで、おとん悩んだのやけどな、おぼろが白がええやろて言うさかい、ショートケーキにしといたしな。それでええか? あかんかったら描き直すのやけど……」


 おとんは心配げに言うて、アキちゃんはそれにブンブン首を横に振ってた。


 ショートケーキでええわて言うてんのやろな。


 アキちゃん、甘いもん食わんのやけどな。お誕生日ケーキていうたら、白いホイップクリームにイチゴが乗ってるやつやなって思うてるみたいや。


 そういうの、アキちゃんの知ってる普通の子は、みんな誕生日に買ってもらえたのやろうな。


 誕生日ケーキか。そんなん要るんや。もう大人やし、要らんやろと思ってな、亨ちゃん、お誕生日ディナーは用意したけど、ケーキは無かったな。


 要るやろて⁉︎


 すんません! 気の利かんへびで! 俺のアホ!


 けど、まあ、ケーキがかぶらんでよかったやんか。さすが神。俺は神やな。


 とおるちゃんがうっかりしちゃったおかげで、おとんのケーキが引き立つやないか。なあ?


 アキちゃんはちょっとドキドキしたふうに、渡された絵のじくをそろりと開いていった。


――つづく――

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