006:暁雨、早朝に川原を散歩する(10)

「夢見るのぉ、ときどき。夢の中で好きなとこへ行けるの。なんでかいつも、お外が夜なんやけど」


 ユミちゃんは煎餅せんべいかじりながら、なんでもない事のように言うておりました。


「……」


 話を聞いている登与とよはまだ笑うておりましたが、幾分いくぶん引きつっておりました。


「なんで夜なんどすやろなあ?」


 登与とよがそう言いながらも軽くワナワナしております。


 まあ、それは、普通やったらただの夢なのやろうけど、我が家では少々、事情がちごうておりまして。


「奥様……ユミちゃん様は、夢歩きしはるんやおへんか……?」


 式神しきがみまいが小声で教えておりますが、そないなこと、登与とよも知っておるはずでした。


「お兄ちゃん」


 急にキッとこっちを見て、お登与とよが言います。


「ユミちゃんは界渡かいわたりはしいひんて言うてはったやないですか。出たり消えたりはしいひんのどす。大きいなったり小そうなったりするだけやて。そやからしっかり見てれば、どっこも行かへんのやし平気やろて、言うてましたやろ?」


 早口に言うお登与とよにかける言葉もあらへんのやけど、私のその見解けんかいはどうも、間違まちごうてましたね。


 弓彦ゆみひこは眠ると、たましいだけが体から抜け出て、あちこち彷徨さまようようなのです。


 それも通力ちからやと言えば、そうかもしれないですが、うっかりして体に戻れへんようになったりすると大事おおごとです。


 生霊いきりょうとして彷徨さまよいでた先で、何かに食われたり囚われたりしたら、体のほうは生けるしかばねや。


 逆に体だけが死んでしもうたら、たましいだけになってしまうわけでして。喜ばしいこととは言えません。


 夢の中で彷徨さまようて行く先が常に夜やというのは、おそらくほんまに夜やからです。良い話やないです。


 どこをどう通って行くのやら、弓彦ゆみひこたましいは、自分の夢のどこかにある出口から、常世とこよ、つまり皆が生きておる現実の世に出られるということのようです。


 隣で寝ておったかて、それには気付きようがないです。体はずっと布団の中で寝てるのやから。


 いや。まあ、危ないですけども、実は我が家系にはちょいちょいあることです。


 たましい寝相ねぞうが悪いのですよね。


 上の暁彦はそういうことがなかったんでしょうけども、私には多少そういうおぼえが。いやほんまに子供の頃だけですよ?


 大人になれば直るでしょう。ジタバタしたかて、どうもなりません。


 そやのにお登与とよときたら……。


「ユミちゃん、あきまへん。危ないさかいに、ネンネするとき、夢など絶対に見いひんようにしなさい」


 お登与とよはきっぱりと言いましたが、ユミちゃんは煎餅せんべい食いながらみょうな顔をしておりました。


「そんなん無理やもーん」


 そう言うてる間にも、見ればまたにゅうっと背が伸びております。


 こっちのしつけもなっておらず、夢歩きまでするとは……。


 まだまだ一人前になる日は遠そうです。


「それはさておき、例の半分だけの男とはどこでうたんや?」


 ユミちゃんが話せるうちに聞いておかなと思って、急いで口をはさみました。


 ユミちゃんにも、登与とよの気まずい説教から逃げ出すための、渡りに船やったのでしょう。重かった口が急に軽やかです。


「夢の中で歩いてたら、何回かうたのぉ。前からやで。でも川で会うんは初めてや」


「何回かて、あんた何遍なんべんも夢歩きしてたんか?」


 お登与とよが横で頓狂とんきょうな声を上げておりますが、まあそんなん今はええから。


「いつも会うんは、どんなとこでやったんや?」


 登与とよ牽制けんせいしつつ、ユミちゃんに聞きました。


「お水がいっぱいあるとこや。ほんで魚がおるんや。こんな……おとうさんぐらい、大き〜い魚も」


 両手をいっぱいに広げて、にぎったままの煎餅せんべいの粉を飛び散らせながら、ユミちゃんはさも凄いことのように言いました。


 どこや……それは。そんな大きい魚がおるところって。


 アマゾンか? 揚子江ようすこう? それとも海やろか。


 お登与とよの顔が青ざめております。


きょうからは……出られへんはずどす」


 まるで自分に言い聞かせるように、登与とよが不安げにそない申しました。


「はあ⁉︎」


 次はこちらが驚く番でした。


「なんでや⁉︎」


「なんでて……そら、そうどすやろ。秋津あきつ跡取あととりはきょうから出たらあきまへんのや。天子様てんしさまが当家にそないお命じになったのどすやろ」


「そんなん戦前までの話や。この家にはもう、そんなかせはないのやぞ」


「けど危のうおすし……」


 小声でぶつぶつと登与とよが言い訳めいたことを。


 まったく母親というやつは!


 可愛い子には旅をさせろて言うやろ。


 まあ確かに危ないけどもや……。


 ほんまに、うちの女子共おなごどもときたら、しょうがないな。


「ほなきょうのどこかなのやな?」


 ユミちゃんが彷徨さまよい出た場所は、祖先伝来そせんでんらい結界内けっかいないや。つまり京都市内ということです。


 お登与とよ洛中洛外らくちゅうらくがいのほんのせまいところしか、きょうやとは思うていません。


「そういうことどすな!」


 ぷいっとスネたように言うて、お登与とよはえらいさびしそうです。まいも心配げに見ております。


「京のどこかで、そないな大きい魚がおるとこが、あるやろか? 桂川かつらがわやないなら鴨川かもがわか?」


「川やないもーん。流れてへんもん。それにお部屋の中やもん」


 煎餅せんべいをもぐもぐやりながら弓彦ゆみひこが楽しげに言うております。


「なんやそれ?」


 首をひねりながら言うと、登与とよも私と似たような顔で、首をひねっておりました。


大殿おおとの祇園ぎおんの事務所に電話しはって、暁彦あきひこ様にお聞きにならはったらどないどす?」


 まいが急にそんなことを。


 えっ、アキちゃんか?


 そういえば最近、アキちゃんの顔を見てへんな。


 ええ機会や。あれがほんまの、うちの当主とうしゅなのやさかいに。


 そうや、そうや。ちょうどええ。


 あの真っ二つの半分男、うちの長男に何とかさせましょう。


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