006:暁雨、早朝に川原を散歩する(11)

「もしもし、アキちゃんか?」


 通話が繋がった電話に話しかけると、自分とそっくりな息子の顔写真が画面に表示されていました。


 祇園ぎおん画室がしつで絵を描きながら、ちょっと笑ってこちらを見ている写真です。


 我が子ながら、なかなかの男前です。親馬鹿なんかもしれませんけど。


『どないしたん、おとん。電話くれるやなんてめずらしいな』


 歩きながら話しているような気配けはいで、電話の向こうの声が答えてきました。


 アキちゃん、電話しながら歩くんは危なないか? 何かにぶつかったりしいひんのか……。おとん心配やわ。


 せめて立ち止まって電話しなさい。おとんはちゃんと座敷ざしきで正座してから電話してるんやで。


 などと言うても、しょうがありません。話を進めましょう。


「ちょっと聞きたいのやけど、きょうのどこかで人ぐらいある大きい魚がいそうなとこって、どこやろか?」


 単刀直入たんとうちょくにゅうに聞いたところ、息子は一瞬も言いよどまず、すぐ答えました。


『京都水族館やろ』


「は?」


 耳を疑う話やったんで、聞き間違いかと。


『京都水族館』


 一言一句よう聞こえるように息子が言い返してきます。


きょうに水族館があるんか? 海もあらへんのに?」


『うん。あらへんけど、あるんや。知らんかった?』


 知らんかった。


 そないなもん昔はあらへんかった。


 海のないところに水族館やなんて、魔法としか思えんわ。


『おとんも来てみればええのに。面白いところやで』


「俺は海のもんは嫌いや」


 そう教えると、息子は困ったようにわろうておりました。


『面白いところやけどなあ……。イルカもるし、ユミちゃんも見たいんやないかな? いつやったか、イルカ見たいて言うてた』


「イルカ?」


『うん。イルカ。画面切り替えるし見て』


 そない言うて、アキちゃんが映像での通信を求めてきました。


 スマホ同士やと声だけやのうて映像が送れるんですよ? 知ってはりましたか?


 ほんまに技術の進歩は驚くほどです。私の若い頃には電話すらめずらしかったですけどね。


 と、言うてるに、えーとこれどないしてつなぐんやったかな?


 これか? というボタンらしきものにれると、アキちゃんやのうて、並々なみなみと水をたたえたプールのようなものが映り、そこからピョーンと灰色の大きなものが飛び出してきて、えがき、また水に落ちていきました。


 ザブーン。ものすごい水しぶきです。


 水を浴びたんか、息子が笑いながらひいひい言うてました。


『見えた?』


 暁彦あきひこの声がいていますが、向き直った画面に映っているのは息子やのうて、その連れ合いのへびです。


『おとん、こんにちわー。とおるですぅ。元気?』


 気さくにへびが手を振っております。


 なんでるんや、お前。


 なんでということはないか。暁彦あきひこの連れ合いやもんな。


 おとん、もしや、お邪魔じゃまやったかな?


 堪忍かんにんやで。


『イルカは魚やないけど、水族館には他に大きい魚もいてると思うで』


 息子がそう説明するあいだ、なぜか画面に映されているへびが、何かせなあかんと思ったんか、タップダンスのようなみょうおどりをおどり、すぐそばの透明な壁の向こうにいるイルカから水を浴びせられたり、逃げまどったりしておりました。


「なんでアキちゃんらはそこにるんや?」


 愚問ぐもんかと思いましたが、気になって、ねんのためたずねました。


『デートや!』


 へびが笑いながら申しましたが、れたんか息子が大声で、違うやろと否定するんが聞こえます。


『仕事や。ここで子供達が魚のするワークショップやるから、それ用の絵と、館内の飾りの絵を依頼されたんや。今日はその一回目の打ち合わせ』


 俺は働いてるのやぞという口ぶりで、息子が言うてます。


 デートでええやんか、アキちゃん。


 若い人生を仲睦なかむつまじゅう謳歌おうかすればええのや。


 デート……。悪うない。ええなぁ。


 そやのに息子はひとしきりれており、気まずそうに話を戻してきます。


『それより、人ぐらいある大きい魚って、急にどないしたん? 何かあったんか……あアアアアアッ⁉︎』


 悲鳴のような声で電話口の息子が絶叫しております。


 えっ。なんや、どないしたんや、暁彦あきひこ。大丈夫か⁉︎


 そない思いましたが、どちらかと言うと大丈夫やないんは、こちらの方やったんです。


 急にヌメッとした冷たい手が、座る私の首をつかみ、りあおぐと背後に、半分だけの男がいました。


 どこをどううてきたんか。


 それに背からすがられた私を、暁彦あきひこは通話の画面越しに見たのでしょう。


 息子とへびが、それはそれは言葉にならへん、悲鳴とも何ともつかへん声を発して、ジタバタ暴れておるんが、電話越しにも分かりました。


 アキちゃん……格好かっこう悪いぞ。


 秋津あきつの男子たるもの、何があろうが平常心へいじょうしんや。


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