006:暁雨、早朝に川原を散歩する(8)

「あなたがたは誰ですか」


 目を覚ました半分だけの男に、いきなり誰何すいかされました。


 こっちが聞きたいわ。誰やお前はって。


 そやけど、先を越されましたね。参ったな。


秋津あきつの家のもんや」


 たたみに座したまま答えると、半分の男はぼんやりと、布団から我が家の天井を見上げておりました。


秋津あきつ……?」


 知らんようにつぶやき、男はまだどこかが朦朧もうろうとしているようです。


 半分だけしかないのですから、そら朦朧もうろうとぐらいはするやろうな。


 私も戦時に訳あって深傷ふかでを負ったおりには、朦朧もうろうどころではありませんでしたしね。


 正直申しまして自分が誰やったのかも忘れるほどでした。


 そやから、この男もそうやったんでしょうね。


「すみません。お名前聞いても分かりません。ここはどこなんでしょうか」


 男は口を動かしはするものの、その口でしゃべっている訳ではないようです。


 いわゆる霊話れいわですね。


 通力つうりきで話してるのです。物の怪や神がよくやるやつです。


 普通に口がきけるもんが、わざわざやるもんではないですけどね。


嵐山あらしやまや。お前を川でひろった」


「川……」


「川底にったのを見つけたのや。うちの、息子が」


 用心ようじんしいしい説明しました。


 いきなり名を教えるんは危険です。


 ユミちゃんに害があっても困りますので。名は内緒です。


「あぁ……ユミちゃんか」


 ぼんやりした目のまま、男がそう言うんで、思わず声上げそうになりました。


 なんで知ってんのや‼︎


「いい子ですね。耳もええし」


 うっすら微笑の顔になり、男はもう疲労したように目を閉じかけています。


「名を言え。眠る前に。どこから来たのや」


 布団にかがんで強く聞くと、男は薄っすら目を開けました。


 どことのう、いつもわろうてるような、黒目がちな目元です。


「どこから来たのやろ……分かりません……ミズグチさん」


「それがお前の名か?」


 思わず問い詰める声になって言うと、男は布団で淡い苦悶くもんの顔になりました。


「違うと思います。僕が……探してる人の……名前、や」


 精魂せいこんきるように、目蓋まぶたも閉じんと男は眠りました。


 眠ったんやと思います。気をうしのうたんか。


 それとも死んだんかと思える急な沈黙やったんで、後ろにひかえて黙っていたおぼろが、少しハッとしたように顔を上げる気配けはいがしました。


「死んだ?」


「死んでへんわ。寝ただけや」


 振り向くとおぼろがスマホをにぎっていたんで、不機嫌ふきげんな声になってしまいました。


「見てへんかったんか、お前」


「調べてたんや。ミズグチさん」


「何か分かったか?」


 一緒に話を聞いてんのやと思うてたやないか。


「分からん。坊がそいつに聞けばよかったのや」


 おぼろはケロッとしてそんな事を言います。


 まるで自分には関係あらへん仕事やていうみたいや。


 関係ない⁉︎


 実はそうかもしれないです。


 別にこいつは秋津あきつの家の仕事を手伝う義理がないですからね。


 おつた姉ちゃんのことはずっと助けておったようですが、本家には寄り付かんかった。つまり我が家の一員とはまだ言えへんのです。


 それは困ったな。手伝てつどうて欲しいのに。


「ちゃんと聞いたやないか。それでも、こいつ、何も知らん分からんて言うてたやろう」


 反論しましたけど、おぼろは知らん顔や。


 どことのう突き放したような顔でこう言いました。


「なんも言うてへんことないわ、こいつ、ミズグチさんを探してんのやろ? それとユミちゃんとは何か話してたんや。何を話してたか、ユミちゃんに聞けばええやんか」


 いやいやユミちゃんはまだ小さいのやし、こういう事に巻き込みとうないんや。


 とは言え、この半分男を拾ってきたは、そもそもユミちゃんか。


 どないしましょうかねえ。


「もう寝てるわ、弓彦ゆみひこは」


「十一時やもんな。良い子はとおに寝てるか」


 スマホがあるのに腕時計を見て、おぼろはそう言いました。


 こいつずっと腕時計してるんです。好きなんでしょうね。


 大抵は取っ替え引っ替え違う腕時計なんですが、今日はえらい古いオメガを使ってました。


 戦時中のもんですよ?


 もう捨てたんかと思うてたわ。


 昔、軍役ぐんえきに就いてた頃に、上官がうてくれたもんらしいです。


 なんで捨てへんのかな。おかしい奴や。


 よっぽど大事な時計なんでしょうね。


 こいつはその上官と、ええ仲やったのやから。


 悪い仲というかね。


 ええ人ではなかったんですよ。


 その悪縁から救い出してやったんが私やった……と思うんですが、どっちが悪縁やら分からしません。


 実は、救い出したりしいひん方が、こいつのためやったのかもしれないですね。


「泊まっていくか」


 もう遅いしな。一応聞きました。


「泊まっていかへん」


 あっさり返球です。返答早いな。


「なんでや……」


 ついため息をついて、私はがっかりしたんでしょうか。ほんまにこいつに関してはこの何十年、がっかりし通しです。


「ユミちゃんに、怜司れいじお兄さんがまた来るて言うてたて伝えといて」


「誰のしきなのや、お前は」


ぼんのやないよ」


 真面目に言うて、おぼろはすらりと立ちました。


「こいつ、早う行き先探して、片付けてくれ」


 布団で気絶している半分の男を見下ろし、おぼろはえらい冷とう言いました。


「なんでや」


「なんででもや」


 怒った顔で言うてます。


 何を怒ってんのや⁉︎


 俺が何したって言うんや。まだ何もしてへんやろ⁉︎


 一切信用がないんですよね。理不尽りふじんやないですか?


「ミズグチさん。俺も探してみとくわ」


あててはあるんか?」


「分からんけど探す。そこしか手掛かりあれへんし。何か分かったら連絡する」


「何も分からへんかったら連絡しいひんのか」


 驚いて聞くと、おぼろは何がおもろかったんか、初めて笑いました。


「アホやな。ぼん。また連絡する」


 そう言いながら、もう半分ぐらいジワッと消えてるやないですか。


 こいつも位相転移いそうてんいする術者じゅつしゃなので、すぐどっかへんで行ってしまうすずめちゃんなのやけど、今日はえらいゆっくり消えていきます。


 いつもなら一瞬でき消えられる化け物なんですけども。


「坊……好きや。俺のことも忘れんといてくれ」


 切なげに言うて、それもき消える前の空耳そらみみみたいでした。


 は? なんて?


 俺いっぺん死んださかいに、耳遠いんやわ。


 もっと大きい声で言うていけばええのに。


 ほんまにいつまで経っても、お前はアホなすずめちゃんやな。


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