006:暁雨、早朝に川原を散歩する(17)

 やはり家族が一つ屋根の下にそろうというのは、ええものですね。


 まるで盆と正月が一緒に来たようや。


 私の傷の治りが遅いので、お登与とよ式神しきがみまいが手当てしてくれました。


 これは我が家の庭にずうっと昔から生えておった椿つばきせいですが、ほんまに気立てのええ娘です。


 登与がまだほんの小さい頃から、ずいぶん気がうたようで、常にお登与の影のように付きしたごうております。


 この舞に、人型の姿を与えたんは私なのですが、娘時代の登与に生き映しです。そうやなあ、まだ登与が女学校に行っておった頃の姿でしょうか。


 あの頃は私の妹も、目の中に入れてもいとうないほど可愛かったのですけどね。


 ほんまに長い年月としつきが流れました。


「それで……あの化け物におとなしゅう食われてはったんどすか?」


 我が家の座敷に居並んでおった登与が、帰ったばかりの外出着のまま呆れ顔で言うております。


 言うたらあれやけど、俺が死んでおった間にお前は老けたな。大人になったと言うべきでしょうか。


 怖いほど似ておるのです。私の死んだ母親に。


 それはもう、ほんまに縮み上がるほど似ております。


 私の母は美しい女でした。しかし心根はとても冷たかったような気がします。


「そやから、お気をつけてとあれほど言うたのに」


 とがてする口調で、登与は気遣きづかわしげにまゆをひそめております。


 家の座敷には、まいが私の首に包帯ほうたいを巻いているのを眺め、上の息子とお供のへびも、借りてきたへびのように大人しゅう座っておりました。


「びっくりしたわ、おとん。水族館の仕事、ほったらかしてきてもうた」


 暁彦あきひこが困った顔でボヤいております。


「まあ大丈夫やろ。水族館の人も話せばわかってくれるって」


 困り顔の息子とは対照的に、へび呑気のんきです。このへびは常に呑気のんきなのです。


 息子はなんでこんな呑気のんきな神を拾うてきたのでしょうか。まったくうらやましいほどです。


おぼろ。お前がついておりながら、なぜこんなことになったんどすか。お前はお兄ちゃんのしきどすやろう。主人あるじを守るのがお前のつとめどす」


 めずらしゅう声を荒げてお登与がくどくど言うておりました。


 それを座敷のすみで聞く末席まっせきおぼろは、極めて渋々しぶしぶの無表情です。


 なんでお前はそんなすみっこの方にるのや。私の座る座敷の上座かみざから見て最も遠い席です。


 わざと遠くに座ってんのやな。なんでや、ほんまに。お前は何をそんなに怒ってんのや。


「トヨちゃん、そんなもんは暁雨ぎょううの落ち度や。おぼろを責めるんやないわ」


 これも珍しゅう、私の側にひかえていた水煙すいえんが、えらい涼しげな美青年の姿でそうたしなめました。


 誰や、お前、ほんまに水煙すいえんか?


 水煙すいえんおぼろかばうとは、まったく想像もしいひんようなことでした。


 偽物にせもんなんやないか、この太刀たち。こんな奴ではなかったですけどね。


「ユミちゃんはいつ戻ってくるのや?」


 水煙すいえんは帰りが遅い弓彦ゆみひこを心配する口調で聞きました。誰にともなく。


 我々は家の座敷で顔付き合わせて座り、例のもんはまた客間の布団ふとん気絶きぜつです。


 手足を生やして回復しきったところで、また、白目しろめをむいて倒れたのです。


 そりゃまあ、急な再生に霊力ちからを使い果たしたのでしょう。いくら生命力が強いというても、うしのうた半身はんしんをわずか一日二日で回復させたのです。


 ちょいちょい私の血をつまみ食いしながらとはいえ、まったく驚異的きょういてきと言うていい。


 まさにもんならではの所業しょぎょうや。


「夕方には戻るていう約束で、しげるちゃんと行ったのやけど、遅おすな」


 心配そうに登与が言うてます。


 座敷の掛け時計が、ボーンボーンと四時を打ちました。


 まだ四時ですよ?


 一個も遅いことあれへん。ユミちゃんは動物園に行ったのですし、しげる秋尾あきおも一緒にるのやから、別に危ないこともあれへんやろうに。


「ユミちゃんはなぜあれをひろってきたのや?」


 不思議ふしぎそうに、水煙すいえんが私に聞きました。


 人間のような姿に化けて聞かれると、実に不思議ふしぎな気がしました。


 アキちゃんが描いた絵やという、その冷たい月のような姿を、私はじっと見ました。


 まるで、ちっとも知らん神のようです。


「なぜかは知らん。起き抜けに川へ行くと言うてきかへんから、川へ連れていったら急に飛び込んでひろうてきたのや。何かが川から呼んでると言うてた」


「それがあのもんやったのやな?」


 おそらくそうやろな。水煙すいえんの問いかけに、私はただうなずきました。


「お前はあれをなぜひろうてきたのや」


 それがあかんかったかのように、水煙すいえんは私を責める口調です。


 えっ。なぜって。あかんかったんか?


 あのまま川にほかしてきたらよかったか?


 いや、まあ、そうかもしれませんが……。


「悪いくせやな、お前の。おぼろなげくわけやわ」


 笑いをこらえた顔で、水煙すいえんが言い、結局こらえきれへんかったんか、くくくと意地悪イケズそうに笑いました。


「ほんまにお前のひろぐせには難儀なんぎする。死んでも治らん病気やな」


「俺がひろうたんやない。ユミちゃんや。川にあんなもん落ちてて……どうすればよかったて言うんや、お前は」


 水煙すいえんの言いようが心外しんがいで、私も思わず反論しましたが、水煙すいえんは笑うばかりでした。


「まあええんやないか。ひろうた神も時にはええもんや。そうやろアキちゃん」


 面白そうに言うて、水煙すいえんは息子に話を吹っかけました。


 座敷の中ほどでへびと並んでいた暁彦あきひこは、困ったように、ただただわろうております。


「あいつハンザキていうのん?」


 息子の代わりに呑気のんきへびが、いかにも呑気のんきそうに水煙すいえんたずねました。


「そうや。けどそれは名前やない。お前がへびやていうのと同じや、とおる


 水煙すいえんが親切げに答えるので、私はそれにも内心びっくりして聞きました。


 この家、俺が知らんうちに何かが変わったな。


 それが何かは分かりませんが、我が家がこの地に広大な領地をゆうしておった戦前の頃とは、何かがまるで違うようです。


 家屋敷いえやしきはずいぶん、ちっぽけにはなったものの、それと引き換えに何かええもんが、我が家に来たようや。


「ただいまぁ」


 大きな声が、玄関のほうから聞こえました。


 弓彦ゆみひこが帰ってきたようです。


 これでほんまに、家族が全員そろいました。

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