006:暁雨、早朝に川原を散歩する(23)
蔵に寄らねばなりません。
我が家の蔵は不気味なところです。
多くの太刀やら古道具が眠っており、戦前にはこの蔵の他に、文庫蔵もありました。
そこには先祖代々受け継いだ文物が収まっていましたが、我が家も戦後の接収に遭い、多くの財産を失ったようです。
それは仕方のないこと。負け戦でした。
何もかも失ったわけではないだけ、マシというもの。
秋津家の何よりの財産は血です。
血脈の中にある通力が、息子の暁彦と、小さなユミちゃんの中に受け継がれ、我が家は断絶を免れたのです。
正直に申せば、我が家系の存続はないものと覚悟していました。
己が秋津の末代と、私は思っていたのです。
「アキちゃん、蔵へ行くんやな」
知った道をついてくる茂が、着なれた和装でひょいひょいと庭の踏み石を飛んで付いてきます。
秋津家の庭は今も綺麗に剪定され、庭師が丹精しておるようでしたが、昔と比べると小さい箱庭のようなものでした。
家から蔵までは歩いてもすぐです。
蔵の分厚い鉄扉には古い錠前がかかっています。
不思議とそれだけは昔と変わらん。
おそらく、この蔵のそばに屋敷の一部を移築したのでしょう。
この蔵が我が家の神刀、
秋津は神刀・水煙を守り伝えるためにあった家系です。
そやから、この蔵を守るのが、我が家の使命でありました。
その太刀が、今や人の姿に化けて、車椅子に乗って自由にウロウロいたしますので、この蔵はもう、ただの物置きも同然です。
それでも幾振りかの伝家の名刀はまだここに残されています。
うちの蔵を荒らしに来た
自ら異なる位相に隠れる
祀るべき太刀や。
私が黒い鉄の錠前に触れると、鍵はガチッと重い音を立てて勝手に開きました。
おう、と茂が驚いた声で低く唸ります。
「鍵ないんやな、この蔵の」
「鍵などいらんのや」
茂に答え、私は錠前を外して蔵の扉を押し開きました。
ひどく重い時もあれば、軽いこともある扉です。
人を中に入れるかどうか、それを決めるんは中に居るモノたちです。
皆、秋津の血を引く者にだけ仕える物の怪どもや。
私のかつての愛刀、
伝え聞くところによると、茜丸はもともとは
空から降ってきたという
しかし、それを鍛えたのは同じ炉の者たちやと聞いております。
そやから、言うなれば、茜丸は水煙や雷電と同じ腹から出た、異父弟というようなものや。
隕鉄やないということで、水煙はあれを卑しい弟と思うておるようです。
可哀想にな。
そんな悪いものやあらへんのですよ。
子猫のように可愛い太刀や。
あいにく元は人を食う悪い蛇やったようですが、うちの祖先の誰やかが調伏し、その通力を見込んで、太刀として刀匠に打たせたのだそうです。
以来、茜丸は我が家では代々、跡取りが用いる武器でした。
水煙はおとんのもんやさかいに、息子の方は茜丸を使うのです。
太刀としての作りは水煙と同じです。重さも切れ味も大層は変わらん。
違うとこがあるとしたら、水煙は神刀やけど、茜丸は、そうやな……妖刀?
かもしれませんね。
まあええやないですか。斬れれば何でもかまへんのです。
水煙と並び、茜丸も知る者は知る、秋津の坊の太刀。
どうぞお見知りおきください。
埃っぽい蔵の中に滑り込み、薄暗い通路を私が行くと、カタカタと何かが鳴る音がしました。
戸棚の奥で、何かが打ち震えるように鳴っています。
縛り上げられたような苦しい息遣いが、蔵の奥からゆっくり聞こえてくるようでした。
只人の耳には聞こえん音でしょうけど、こちらは只人やない。
息子の暁彦にも聞こえたはずやけど、あれは耳が遠いんか、聞こえんフリをしておったようです。
不甲斐ない。
皆はそう思ったようや。
そうかもしれへんけど、茜丸は
ぎょうさん鬼斬ったさかいに。
代々の怨念も染み付いておるのでしょう。
暁彦がそれを好まんというのは、しょうのないこと。
あれには絵筆が合うてた。太刀よりも。そういうことかも分かりませんね。
鳴る太刀の音を目掛けて、探すまでもない奥の棚へ行くと、そこには霧箱に収まった長物が、びっしりと封印の札を貼られて置かれていました。
札には細っそりと整った優雅な筆で、念入りな封印の
お
妹よ……。
あれはこの太刀が、よほど好かんかったようです。
息子に触らせとうないと願い、こないして、片付けてあったのでしょうね。
酷いやないか、お登与。
いくら
跡取り息子に太刀が要ることくらい、知らん女ではないはずやけどなあ。
私は少々古びた桐箱の護符に触れました。
あっさりと粉々になった護符が、積年の塵のように霧散し、箱の蓋を開けるのには何の支障もない。
すうっと持ち上がる作りの良い桐箱を開き、その中でも赤い糸で縛り上げてある、
その途端、太刀が唸ります。
まるで機関車が脱線でもしたような耳障りな音や。
「えらいご機嫌斜めやなあ」
後を付いてきていた茂が、おっかなそうに言うています。
太刀に巻かれてるんは赤い縫い糸でした。女子が裁縫に使うようなね。
指をかけて糸を引くと、それはプツンと切れました。
それで登与の腹でも痛うなってへんとええけどなあ。
この際、知ったことではありません。
兄貴の太刀を粗略に扱うとは、困った妹があったものです。
「
声をかけると、憤怒の声で唸っていた太刀が、急にか細い声で何か言うたようでした。
しかしいつも、茜丸の声は何を言うてんのやら、分からへん。
言葉が違うというよりは、これは喋れへんのです。
喋らんように、ずっと前の祖先の代から、舌が抜いてある。
包みを開いて、中に仕舞われた優美な反りの太刀を取り出すと、それは赤い
昔と変わらず、赤糸を巻いた柄には、鈴がつけてあります。
それは俺がやったものや。
茜丸に。
何かの褒美として。
「変わらんなあ、お前は」
それが嬉しい気がして、思わず目を細め、太刀を鞘から引き抜くと、その刀身は赤い。血に濡れたような。あるいは血に染まった池を覗き込むような、濡れた太刀でした。
その鏡のような刀身に、自分の目が映っていました。
いや。違うな。そこから見返してくるのは、大きな、ひどく血走った、まん丸な黄色い目や。
蛇の如き、縦に裂けた赤い瞳が、こちらを見ています。
怨むように。
「茜丸。見忘れたんか、俺を」
そういうこともあるんかと、私が尋ねると、その蛇は太刀の中から這い出してきました。
赤い肌の、人型の姿で、一糸も纏わず。
乱れた長い髪のように、鱗のある長い触手が、頭から生えていて、その一本一本が怒っています。ガラガラ蛇みたいにね。
そやけど、茜丸はその異形の顔で、悲しそうに眉を歪め、何も言わず私の首に抱きついて来ました。
不思議なほど軽い神です。
いや、物の怪か。
水煙はそうやというけど、私には分からんのです。
神と、物の怪の違いが。
似たようなもんやあらしまへんか?
どっちも人を食うのやわ。
その証に、茜丸も泣くような
食わんといてな。
「行こか。また。鬼退治やわぁ」
そうっと背を撫でて、そう伝えると、私の耳を食うたまま、太刀が笑う音が聞こえました。
「アキちゃん、楽しみやなぁ。どんな奴やろ。腕が鳴るわあ」
にこにこと機嫌の良い声で言う茂の顔も、いつものように晴れやかでした。
三都幻妖夜話:SantoStory:Fragments 椎堂かおる @zero
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