005:暁雨、米を炊く (5)

「おとうさん、おいしいね」


 不細工ぶさいくにぎめし頬張ほおばって、弓彦ゆみひこ機嫌きげんよう言うてました。


「僕ねえ、おにぎりが一番好きや。その次がマクドナルドのポテト。ポテトのほうが好きかも?」


 好き勝手なことを言うてる弓彦ゆみひこが、座敷ざしきめしを食うてるのを見ながら、私は横に座っておりました。


「おとうさん食べへんのぉ?」


 一人で食うのがつまらんのか、弓彦ゆみひこ一際ひときわ大きなにぎめし無理矢理むりやり、手渡してきます。


 私は特に腹はかんのですが、食べられへん訳ではないので、仕方なくお相伴しょうばんしました。


 美味うまいな。


 けど、白川しらかわで食うたにぎめしのほうが、美味うまいような気がしました。


 同じ米のめしにぎっただけのはずやのに不思議ふしぎやな。


「そんなことあれへんよ。おとうさんのおにぎりも美味おいしいよ」


 ユミちゃんがニッコリとして、ご飯粒はんつぶまみれでわろうていました。


 ユミちゃん、おとうさん何も言うてへんけどなあ。何か言うてたやろか。だまってたはずなのやけど……。


 きっと物凄ものすごさっしがええ子なのでしょうね?


 いいや、そないな訳あらへんな。


 油断ゆだんすきもあらへん。


「ユミちゃん、お腹いっぱいなったわ」


 丸いほほについた飯粒めしつぶつまんでとってやっていると、弓彦ゆみひこが急におぼこい声で言いました。


「眠いよぅ、おとうさん」


 トロンと閉じかけた目で言うて、弓彦ゆみひこかじったにぎめしをまだ持ったまま、うとうと船をぎ始め、見るに手足もみじこう、ぷくぷくとしたおぼこい体にちぢみ、着物も少々大きすぎるほどになっていきました。


 今日の通力ちからきたようです。


 ほんまはまだおぼこいのやから、じゅつもそうなごうは続かへんのです。


 座ったまま器用きように眠り込む弓彦ゆみひこ座敷ざしき座布団ざぶとんに寝かしてやって、そこにあるままになっていた派手はでがらの幼児用のタオルをかけてやりました。


 そうしてから、小さい手についた飯粒めしつぶをとってやっていると、寝言のように弓彦ゆみひこが言いました。


「おとうさん。ずっといてね」


 ずっとるやんか、ユミちゃん。


 そやけど、弓彦ゆみひこのそれは祈りのようなものでした。


 誰かに求められるゆえ、今もこうしてここにるような気がするのです。


 弓彦ゆみひこに付きうてたたみにごろ寝すると、ふところで電話が鳴っておりました。


 声もなく震えるだけの電話です。世の中変われば変わるものです。


 それが誰からかは分かりましたが、いまだに使い慣れへんスマホなるものを取り出して、その板きれに映っている光る絵を確かめました。


 阿闍梨餅あじゃりもちの写真です。私は最近これが好きでして。


 昔は甘いもんなど男の子の食べるもんやおへんて言うて、我が家では禁じられていたのですが、そないなもん知ったことやないです。悪い子ですからね?


 しばらく電話が震えるのを見てから、通話に応答おうとうしました。


ぼん……何で出えへんの』


 しょんぼりとした美声が、電話口で静かになげいておりました。


 それがみょう可笑おかしく、眠る幼子おさなごをはばかってひそめた声で答えました。


「可愛い子と寝るんがいそがしゅうて」


 そう言い終えんそばから、ハァと困ったようなため息が通話の向こう側から聞こえて来ました。


ぼんのアホ』


「そうやで」


 うらみがましい声にわろうて答えると、もう相手は何も言いませんでした。


おぼろ、今度、米のき方教えてくれへんか。ユミちゃんが腹減ったて言うのやけど、米もろくにけへんわ」


 ぶつぶつボヤいて言うと、相手はわろたんやか、怒ったんやか。息の音がしただけで、何も言いませんでした。


「また白川しらかわへ行ってもええやろか?」


 くと案外、自分でもすっとぼけた声でした。


 それには相手も苦笑したようで、かすかな笑い声が聞こえて来ました。


 実は私は、この阿闍梨餅あじゃりもちが笑う声が好きでして、飽きませんね。何遍なんべん食うても美味うまいわ。


『いつ来んのや』


「分からへん。近いうちにやな」


 すうすう眠っている弓彦ゆみひこの小さい背をのんびりでながら、そない言うたところ、相手はまただまっておりました。


 ところでその、阿闍梨餅あじゃりもちですけども、甘い餡子あんこと、もちもちした厩肥きゅうひを、しっとりとした小麦粉の皮で包んで焼いた菓子です。


 あもうて美味うまいのやけど、売っている菓子屋の名が満月まんげつていうんです。


 つまり望月もちづきや。


 初めてうた頃には、こいつは望月もちづきと名乗っておりまして、それはそれは意地悪いけずやったです。


 ちいともなびかんくせに、そやのになぜか常にいとしかったですね。不思議ふしぎなものです。


 まあ、妖怪やもんね。しょうがない。


 多少の意地悪いけず仕返しかえしです。


 わざとやってるんやないのやけど……わざとやってるんやろか?


ぼん相変あいかわらずやなぁ』


「そうやろか?」


『そうや。いつもれない雲間くもまのお月さんや』


 電話の声がさびしそうで、こっちまでさびしゅうなりました。


「近いうちっていつやろな」


『もう、何言うてんのや。それは坊が決めんのやろ』


 あきれたふうに怒った声が言うので、思わず電話に映ってる阿闍梨餅あじゃりもちを見ました。


 今日はあもうないな、このもち


「お前が決めて」


 もちにらんで厳命げんめいしますと、息をむような気配けはいが電話からしました。


 こういう時、こいつは何を考えてるんやろか。昔からさっぱり分かりません。


『明日でもええ?』


 あっ、今日やないんや?


 ちょっと驚きましたが、明日でもまあ悪うないでしょう。


 月はまだ望月もちづきと違うけど、そないなこと、もう今は関係あらへんのですからね。


「明日でええよ」


 目を閉じて、どことのう、その暗闇の向こうに見える気のする、白い姿を思いながら答えると、うっすらと眠気がしました。


『きっと来てな』


 今夜とは言わへん連れない月が、さびしげでした。


「きっと行くわ」


 電話にそう約束すると、それは無言で切れました。


 あっ、切ったぞ? それだけか?


 いつもこんな感じですね。


 いろいろみ合わへんのです。


 けど、そのほうが、なごう熱うてええんやないでしょうか。


 身をがすんも、とろ火がええわ。


 そういうことにしましょうかね。今は。






 眠り込んで冷えへんように、眠る弓彦ゆみひこの体を抱っこすると、甘いにおいがしました。


 しばらくやすむことにします。


 白川しらかわで、連れない月が満ちるまで、眠って待てば、明日はすぐにもやってくるでしょう。


 ほな今日のところはこれにて、失敬しっけいいたします。




――終――

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