006:暁雨、早朝に川原を散歩する(19)

 あきれるほどの赤いタヌキの人形をかかえて、しげるが満面の笑みで廊下に現れました。


 自分も狐狸こりの仲間のような愛嬌あいきょうのある顔をしております。


「先生ぇ、これ落としてはりますよ、あーあーもう、何個うたんですかこのタヌキィ……」


 しげるが落としたヌイグルミをひろい集めながら来たらしい式神しきがみ秋尾あきおも、いかにもきつねという顔でやってきました。


 きつねがタヌキをかかえて来るのやから、おかしなもんです。


「あれ、皆さまおそろいで、どないかしはったんですか?」


 座敷ざしき雁首がんくびそろえる秋津家あきつけ面々めんめんを、秋尾あきお不思議ふしぎそうに見ました。


「あのぅ……このヌイグルミはですね、動物園のお土産みやげショップで弓彦ゆみひこ様がえろうお気にして、ぎょうさん欲しいて言わはったんで、つい……」


 じっと陰鬱いんうつに見る我々が、ヌイグルミが多すぎるのにあきれたのやと秋尾あきおは思うたようで、すで面目めんぼくなさそうな言い訳の口調です。


「勝手にすみません。でもこれ可愛いですやろ。オオサンショウウオのほうは、僕が何とか止めましたんで」


 あははと愛想あいそう笑いして、きつねがそない言うてます。


「オオサンショウウオ?」


 話好きなきつねに話させようと、私は聞き返してやりました。


 すると秋尾あきおうなずいて、笑顔で私を見ました。


「へぇ、そないです。今、世間せけんでは、えらい流行はやってるらしいですねぇ。なんでも水族館に変わった模様もよう山椒魚さんしょううおてるとかで、それの人形やら何やらぎょうさん作って売ってはりましたわ。えらい人気で……。けど僕はアレ、どうも気色きしょく悪いですけどねぇ……」


 苦笑いで言うて、秋尾あきおは怖がるふうに首をすくめております。


 伏見ふしみ白狐びゃっこが怖がるようなもんとは到底とうてい思えませんけども、このきつねは昔から食えへんやつです。


「そやけど、ユミちゃん様はえらいお気に入りやったようですよ、暁彦あきひこ様」


 にこやかに言うきつねの話に、私も思わずにやりとしました。


 なるほどなぁ。ほんまにいつも、よう気がきつねなのです。


「その話、もうちょっとゆっくり聞こか」


 私がにこやかに言うと、きつねもにこやかでした。


「いやぁ、そんなん僕の口からはよう話せません。詳しいとこは、うちの先生からお聞きになってください」


 とても無理やていう仕草しぐさでひらひら手を振って見せ、きつねは主人であるしげるを両手で示して、へこへこ平身低頭しております。


 腰は低い割に頑固がんこきつねで、あくまでも茂のしきです。


 主人を立てておるのです。


 そんなよう出来た式神しきがみが、我が家に他にいたでしょうか。


「なんやなんや? 俺に何か聞きたいんかアキちゃん」


 満面の笑みで茂が嬉しげにしゃしゃり出て来ました。


「なんでも聞いて、なんでも」


 すっかり子供に戻ったような笑みで、しげるが私の前に正座して、うきうきと聞かれるのを待っています。


 つい最近までじじいやったくせに、ようずかしげものう少年時代に戻れるものやな。


 しげる伏見稲荷ふしみいなり権現ごんげんさんに大金をみついで、せんにしてもらったのですよ?


 そういうのは、ちゃあんと修行をして、通力つうりきを得てるもんやないですか。ほんまになげかわしい。


 こいつはつくづく商家しょうかの子ぉやなと、うちの戦時中にうなった親類しんるいたちが、かつて言うておった悪口などを思い出すのです。


 けどまあ、それも手やったやろな。


 そのおかげで今もこうして、しげるは可愛げのある顔で私の前に座っておれるのですから。


「なんでも手伝うよ」


 しげる物凄ものすごうれしげです。


 隠居暮いんきょぐらしが、よっぽどひまなのでしょうね?


「別になんも手伝わんかてええんや。何か調べてきたんか、しげる?」


 やむなくたずねると、茂はうんうんと嬉しそうに頷きました。


「たまたまやったのやけどな、ユミちゃんと動物園行ったら、山椒魚さんしょううおがおったのや。そいつが言うてた。山のぬしがいつやったかの大雨で迷うて、人間に捕まったのやて」


「山のぬし何者なにもんや」


 腕組みしたまま、しげるに問うと、しげるは少々悩むように首をかしげました。


山椒魚さんしょううおやろなぁ、アキちゃん。あいつら自分が世の中で一番えらいと思うてるようや。そやから、そいつが言うてる山のぬしていうんも山椒魚さんしょううおやろう。カエルやイモリの仲間とはいえ、山で千年生きたていうんや。そら、もう、神の一種やろなあ」


「なんでそんな話が動物園に落ちてんのや」


 信用できひん気分で言うと、しげるふところから折り畳まれた紙を取り出してきて、私の前に広げて見せました。


 それは動物園の地図やったんです。いわゆるパンフレットというもんです。


「ほら、ここに京都の森ていう、地元の生き物の展示場所ができてんのや。そこに山椒魚さんしょううおがおった」


 しげるは動物園の敷地の中ほどを指差して、そう言いました。


 地図には私がほんまに若かった頃と、ほとんど変わらん京都動物園の敷地が色とりどりに描かれていますが、動物のおりの並びは戦前のままとはいきません。


 昔は散歩がてら、動物園に写生しゃせいに通うたものやったけど、昨今さっぱり行きません。


 思い出のある場所が変わり果てたんを見とうない気分が強うて、ユミちゃんに連れて行けと強請ねだられても、どうも足が向かへんかったのです。


 しかし、そんな場所に解決のいとぐちがあったとはねえ。


 出不精でぶしょう大概たいがいにせなあかんな。


 よもやしげるにしたり顔でこちらが教えられる羽目はめになるとは。


「そいつも名のある化けもんか」


「あいにく名はない。今時の連中は山の化けもんに名をやるような情緒じょうちょがないようや。それやし、そいつは名無しの山椒魚さんしょううおやったけど、山のぬしが捕らえらたのを、新参しんざん水鳥くいなに聞いたのやそうや」


「お前がそれを何故なぜ聞けたんや……けだもんの声がお前には聞こえるんか?」


 せんになってしげるも腕を上げたのかと、少々おどろいてたずねましたが、しげるはにっこりして言いました。


「いいや。全部、秋尾あきおが聞いたんや」


きつねやないか! お前の手柄てがらみたいに言うんやない」


 しげるがあんまりシレッと言うもんやさかいに、その昔この家でしげるが暮らしておった頃のように、つい怒鳴どなりつけてしまいました。


 あかん、あかん。こいつ今は他人やで。身内やないんや。


 しかも、どこぞの社長か会長になったというのやさかい、粗略そりゃくあつこうたら可哀想かわいそうやわと、私も即座そくざに反省したのですが、しげるはなんも気にしてへんように、むしろへらへら喜んでおります。


「まあええやんか、アキちゃん。この件、俺も混ぜてくれ。ひまやさかいに」


 なぜかれた顔で、しげるは畳に落ちていた赤いタヌキを取り上げて、お願いしますというようにペコペコ頭を下げさせて見せました。


 何やってんのやお前は、ええ歳して恥ずかしいと思わへんのか。


 むしろこちらが恥ずかしく、目をらして何かをこらえました。


 正体はじじいでも顔が可愛いのです。


「可愛いやろ、これ。なあアキちゃん。動物園にこれの本物がおるんやで。また俺と一緒に絵描きに行こうな。なあ、アキちゃあん」


 甘えた声で強請ねだしげるが恥ずかしゅうて、ちょっとこれどうすんのやと思いました。


 あまり言いとうはないのですが、しげるは昔から可愛げのある男で、しかも親元を離れてさびしいんか、子供の頃から何かにつけ私に甘えてくるんで、突き放すんが大変でした。


 あっちいけ茂!


「知らんわ、俺はそんな赤いタヌキなんか描きとうない」


 断固として言いました。


「えぇ……でもこれタヌキやないんやでアキちゃん。レッサーなんとか言うんや。レッサー……なんやったかな。忘れたわぁ。気になるし見にいこうよ。アキちゃんかてもうずっと暇やんか?」


 な? としげる強請ねだり、うんうんときつね迎合げいごうしてうなずいています。


 レッサー……? なんやそれ……。


 知らん動物や……。気にな……る?


「レッサーパンダや、坊」


 暗い穴の底から響いてくるような声が、座敷の隅から聞こえて来ました。


 おぼろです。


「え、レッサー……?」


 思わず復唱して見上げると、座敷の隅で立ち上がっていたおぼろと目が合いました。


 白い衣装にも負けんほど、骨のように白い顔です。血が通ってるように見えへん。


 あかん。何かが完全にあかん。


 怒っていますが何にでしょうか?


 まさか私が悪いんですか?


 おぼろは明らかに怒っています。長年のするどかんで私にはわかるのです。


 なぜならおぼろが、殺してええならもう殺すていう顔で私を見ているからわかるのです。


 なんでや……?


「動物園に可愛いレッサーパンダでも描きにいかはったらどないです? 俺は仕事があるさかい、もう東京に戻らせてもらいますわ」


 おぼろは冷たい声で亡霊のようにそない言うと、今度はフッと描き消えました。一瞬でね。止めるひますらあらしません。


 あ……っ、待っ……。


「そやそやレッサーパンダやわぁアキちゃん! さすがおぼろは物知りやなあ」


 満面の笑みで、茂がうれしいんか万歳バンザイしておりました。


 しげる……。お前は。わざとやってんのか。


「動物園で聞いたおもろい話、まだあるんやで。アキちゃん。向こうでゆっくり話そうか」


 そう言うて、しげるは笑顔でひざを詰めて来ました。


 おやまあ。それは聞かなしゃあないなあ。


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